剣聖の秘めたる想い
「…っ!」
剣聖の変化は劇的だった。
驚愕に目を見開いて、唇をわなわなと震わせている。
それだけの変化があれば、答えを貰わなくても答えを得たようなものだ。
…嘘をつけないタイプなのね。
「物音は立てないで。マリアが飛び込んで来ちゃうわ」
「…っ」
腰を浮かせかけた剣聖は扉の方を見て、恐る恐る席に着いた。
「な、なぜ…?」
「分かるわよ。貴方、初めて出会った時からシュバルツの方を見ていたでしょう。男が女を狙う時のような、獲物を見定める目…欲望の光が宿った眼差しを」
「…っ」
先ほどの威勢はどこへ行ったやら。剣聖は目を見開いて言葉を継げていない。
弱みを握ったも同然である私は、にやりと口を動かした。
「これを国中に広めたらどうなるかしら?戦争の英雄が男色家だって」
「俺を、脅す気か…?」
…そんなつもりはないけど、そう取られてもおかしくはない発言よね。
先ほどの縮こまっていた様子の彼は、剣気を膨らませつつあった。
息を飲んで背筋に汗が伝った私は、乾いた唇を湿らせる。ここが正念場だ。だからこそ、
「そんな事はしないわ。私も同じ穴のムジナだからね」
私はここで、自分の弱みを暴露する。
「…なん、だと?」
ありえない発言に、剣聖はまたも怪訝そうに眉を顰めた。
どう言う意味なのか、と言外の問いかけに、私は肩を竦ませる。
「私はさっきの子…一緒にいたメイドが好きなの。百合、というやつよ」
「一国の元王女が…女好き、しかも、メイドが好きだと?」
「そう。これで互いに秘密を握る同士になったわけね。ようやく胸襟を割って話せるわ」
親密になるためには互いの弱みをさらけ出し、共有するのが手っ取り早い。
私にとってもこれは賭けだ。だからこそ、彼はこの瞬間に話し合いのテーブルに着いた。
「一応聞いて置こうかしら。貴方は、なんで男好きになったのか」
「……女は信用出来ねぇ」
問いかけに少しの間があったが、彼は正直な気持ちを吐露し始めた。
「地位や金によって、同じ人間でもころころと表情を変えやがる。しかも、少しでも条件がいいやつがいりゃ、すぐにそいつに鞍替えだ。女が言っている『愛している』が、どれだけ薄っぺらいか…!」
拳を強く握り、煮え切らない思いを吐き出した彼には並々ならぬ経験があったのだろう。
反論出来なくはないが、彼の言っている事には正論も含まれている。
「だが男は違ぇ。俺の強さに魅入られた奴らは裏切らない。俺の方が強ぇからな。そんで、女を信じられなくなったら…まぁ、そういう事だ」
「…なるほど」
トラウマ、と言う奴である。辟易した彼の表情を見れば、それがいかに大きなものか推察出来る。
とはいえ最初から少しくらい男同士にも興味があったのだろうな、と私は心の中で当たりをつけた。
「…俺が話したんだ。あんたも話せよ」
顎をしゃくって促され、私はマリアに惹かれた時のことを話した。
恥ずかしい気持ちもあったけど、同性に惹かれていると言っても彼は嫌悪しないでいてくれた。
これまでに誰にも話したことがなくて、私の口は滑るように動いていく。
「…命の恩人か。お前にとっちゃ、あいつは特別ってわけだ」
「えぇ。他の女の子じゃだめなの。私は、マリアが良い。マリアじゃないとだめだった」
端的に言わずとも、私は男が嫌いである。けれど、女の子なら誰もいいというわけじゃなかった。
私の周りで働いているのはマリアだけじゃない。他のメイドも沢山いる。
試しに彼女らに触れて見たり、見つめて見たりしたが、何の感慨も沸かなかったのだ。
「だが、そりゃぁ無茶な話だろ。同じ女っていうだけでも壁があるのに、メイドに恋なんてなぁ…」
「…そんなの誰が決めたの?」
諦めと哀れが含まれたその視線に私の語気は自然と強くなった。
彼が息を呑む。立ち上がった私は再度、彼に問いかけた。
「もう一度聞くわ。相手が同性のメイドだからって、私の恋が叶わないなんて、誰が決めたの?」
「そりゃ、おめぇ…世間的に、常識的に考えて…」
「嫌よ。私は私の思いを変えたくない。諦めたくないの」
首を振った私に彼は今までで一番驚いた表情をしていた。
私は胸に手を当てて、燻り続ける熱を感じながら続ける。
「私はマリアが好きなの。どうしようもなく好きなの。好きになってしまったんだもの…相手が女の子だから何?愛してもいいじゃない!間違っているのは私じゃない。世界よ!」
「め、メシア教では、同性愛は禁じられて…」
「そんなもの信じていないわ。信じていない宗教の為に、どうして私が諦めないといけないの?貴方も同じでしょう。言い訳を重ねないで、正直になさい」
ひゅっと彼は息を呑んだ。
「私は私の恋路を邪魔するものは世間だろうが宗教だろうが常識だろうが叩き潰す。私は、マリアと一緒になりたい。同性の女の子と、メイドと対等な関係になって、手を繋いで、もっとお話をして………もっといちゃいちゃしていたいの。でも、世界がそれを許さない。なら世界を変えればいい。いいえ、変えるわ。まずはアスセーナの街からね」
言葉に熱がこもっているのが自分でも分かる。
今、想いを伝えてマリアが応えてくれるとは思えない。嫌われるのが怖い。
なら、嫌われないように世間から変えればいい。否、変えていくのだ。
まくし立てるように開いていた口を閉じて、私は初めて会った同好の士を見据える。
「もう一度聞きましょう。リディル・アウストロス」
「…」
「貴方が望むものは、なに?」
「お、おれは…」
唇を震わせる彼は、心の整理がつかないと言った様子だ。
彼が言葉を紡ごうとする前に、私はさらに追い討ちをかける。
「金でも、名誉でも、爵位でも、権力でもない。どの道私は貴方にそれを用意出来ない」
「ぁ、あぁ…」
「私が提供するのはチャンスよ、今、ここで選びなさい」
指を一本立てて、私は彼に突きつける。
「ここで私の手を取れば、憚りなく男色家だと言える環境が近づく。大昔の貴族にもそういう人は公然といたらしいしね。けど、私は狙われている身…私がいなくなれば、貴方の望みは永遠に叶わない」
「…っ!」
「誰に憚れる事もなく男が好きでいれる環境に飛び込むチャンス。貴方はここで腰を引くような不能野郎かしら。それとも、私の手を取る正直者かしら。もっと欲望に素直になったらどうなのッ?」
挑発に近い物言いだ。ともすれば激昂されてもおかしくはない。俯いている彼の表情は見えない。
ばく、ばくと、心臓の鼓動が時計の代わりに時を刻む。
彼がその気になれば、私はすぐに殺されてもおかしくはなく、張り詰めた緊張に汗が滴っていく。
彼は何も言わない。言いたい事どころか余計な事まで話した私は口を噤んだ。
張りつめられた沈黙の中、私によって開かれた一本の道に、彼は。
「おもしれぇ…おもしれぇじゃねぇかっ!」
確かめるように、噛み締めるように彼は呟いた。
顔を上げた彼の瞳は、一目見て分かるほど情熱に溢れている。
「あぁ、確かにそうだ。『剣聖』として名が売れたほどの俺が、世間様に媚びへつらなきゃならねぇ?俺は間違ってない。俺は正しかった。これまでも、これからも俺は正しい。間違っているのは世間であり世界だ。あんたは…それを思い出させてくれたんだな」
「そうね。貴方は間違ってない。なら、どうするの?」
「決まってらぁ」
顎を引き、彼は私に手を差し出す。
「おれぁ、あんたについて行く。大馬鹿野郎が法螺吹きで終わるのか、世界を変える偉人になるのか。見届けさせてもらおうじゃねぇか!」
「えぇ。私の下で存分に見届けなさい」
にやりと、私と剣聖は笑みを交わした。
「私は、マリアと一緒になるために」
「俺は、俺の愛のために」
同性を愛する者同士の同盟が、ここに決した。




