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剣聖

 翌日、ぐっすりと眠った私の目覚めは爽快そのものだった。

 眠る直前にマリアと交わしたやり取りを思い出すと、幸せすぎて顔がへにゃっとなる。


「お嬢様。嬉しそうですね。それほどお仕事が待ちきれないですか?」

「ふふ。えぇ、そうね…幸せなこともあったものだし」

「幸せなこと、ですか?」

「えぇ、そうよ」


 髪を梳きながら問いかけてくるマリアに私は微笑みを返す。

 鏡の中に映る彼女の頬が緩んでいるのを見て、幸せな心地だった。


 …こんな日々がずっと続けばいい。本当にそう思う。


 だからそのためにも、政務に励まないといけないところなのだけど。


「その前に、やる事があるわ」


 取り急ぎ、領主にしか出来ない決算書類や判を押す仕事を終わらせた私は机から顔をあげる。

 外を見れば陽はまだ登り切っておらず、未だ時間がある。


「やる事、ですか」

「えぇ」


 執務机に肘をついている私に、リチャーズが困惑気味に問い返してくる。

 他の役人たちも何を言っているのかわからない様子だ。


「多分、近いうちに襲撃があるわ」

「…!?」


 不穏極まりない私の言葉に彼らは目を剥いた。


「もしかして、セロース殿が?」

「えぇ。私がこの場所に来た当日も襲われた。恐らく、彼としてはあそこで仕留めておきたかったのでしょう」


 私は身の回りに護衛や男をあまり置いていない。


 マリアと一緒にいたいと言うこともあるが、貴族社会で育った私は根本的に男を信用できない。セロースに去り際、襲撃のことを仄めかした際、明らかに動揺していた。普段なら誤魔化されていたであろうが、あれであの襲撃の犯人は確定した。


「しかし…どうして近いうちにと?」

「簡単よ。 セロースの家に残っていた金品は消えてて、彼の家はもぬけの殻だった。それを手土産に公爵の元へと助けを求めたとしても…彼が私に何の報復もしないと思う?」

「…彼なら、報復するでしょうな」


 追放組の役人の一人がそう言って顎を引く。私も彼ならそうすると思う。

 彼は飲まされた煮え湯をそのままにしておけないタイプだろう。


「なら、最初の時よりも大掛かりに、本格的に山賊にここを襲わせるつもりでしょう。ピエール公爵の領地に着くまでに一週間はかかるけど、途中で古き森に寄って襲わせれば、そこまで時間はかからない。準備をしたとしてもね」

「しかし、公爵様への襲撃を山賊が受け入れるでしょうか?」

「そこは推測でしかないわ。たぶん、騎士にしてやると勧誘するか、金品を渡すのか…国内外で噂されている私の風聞はお世辞にもいいとは言えない。彼ならそこも強調するでしょうね。最悪、この街を潰して食い物にしたとしてもおかしくはない」

「そこまで…」


 やるのかどうか。正直言って私からしたらメリットはないんだけど、人間は愚かな生き物だ。

 時に利害を考えずに恨みのままに攻撃をしようとする。その可能性もなきにもしもあらず。

 アスセーナの街の城壁は未だに修復されておらず、誰が入り込んだとしても分からないし。


「それに、よしんば襲撃がなかったとしても、この街の治安回復は最優先よ。こんな荒れ果てたままの街じゃ、みんな住みたがらない。見回りをする兵士も育てる必要があるわ」

「なるほど。おっしゃっている意味は分かりました。そのための兵士の増員、強化が必須と言うことですね」

「そういうこと。その為に私は一日領地を空けるわ。その間を任せたいの」

「何をなさるおつもりで?」


 納得を見せた者達の問いかけに、私は窓の外を見た。


「剣聖と呼ばれた男を迎えに行くわ」

「リディル・アウストロス様をですか…!?」


 私の言葉に彼らは驚きに目を見開いていた。

『戦争の柱』『一騎当千の猛者』『百戦の英雄』『砦落とし』

 さまざまな異名で呼ばれる男の名前に、彼らは唸りをあげる。


「ですが、彼は王国の騎士団長へという勧誘も受けなかった男と聞きます。領主様に彼を連れてこられるような餌は…」

「ないわ。だから説得する。ダメで元々、無理ならその時考えるわ」


 やって見なければ分からない事ならやっておいた方がいい。

 そう言った私に彼らは複雑そうな顔をしながらも頷いていた。


「じゃぁそう言う事だから、よろしくね」


 既に居場所はシュバルツに調べさせてある。最近、彼にも働かせすぎかもしれない。

 ともあれ、こうして私達は剣聖を迎えに領地を出た。



 ◇


 剣聖が住む場所はアスセーナの街から馬車で半日ほどの場所にあった。

 古き森のほど近く、人が寄り付かないような小高い丘に山小屋がこしらえられている。

 目的地に近づいた私は、御者のシュバルツに声をかける。


「シュバルツ。苦労をかけるわね。諜報員まがいの仕事をさせて」

「いえ。イリス様が望まれるのでしたら、こんなもの苦ではありません」


 すぐにそう返ってくる返事に私は苦笑い。彼が忠誠を誓っているのは私ではなく、死んでしまった母のことだろうに。


「イリス様はお変わりになられた」


 私の苦笑いを感じたのか、シュバルツは馬に鞭を打ちながらそう言った。

 首をかしげると、彼は思い出すように空に目を向ける。


「雲がかかって行先が分からないような、そんな顔をされておられたのに、最近は生き生きとしていらっしゃる。その姿は、亡きリリアン様にそっくりです」

「そうなのかしら…」

「えぇ。正直なところ最初は不安もありましたが…ですが、今のイリス様は何か目標を見つけた様子。ならば、全力でそれを支えるのが私たち使用人の役目でございます」


 言い切った彼の言葉に、マリアはうんうんと顎を引いている。


 …シュバルツ、マリアに余計なことを吹き込まないで。


「…けど、休みも欲しいでしょう。貴方が信頼出来る者たちなら、私のところへ連れてきていいのよ」

「ではお言葉に甘えまして。ですが、あまり仕事を取られるのも悔しいですなぁ」

「ふふ。それは私にも分かります」


 マリアとシュバルツがそんな風に笑みを交わす。

 その様子にもやっとした私は頬を膨らませて窓を見やるが、ちょうど目的地に着いたようだ。

 馬車を降りて周りを見渡すと、そこには小綺麗な山小屋が建っていた。

 綺麗に切られた薪が積み重なり、獣の肉や皮が干されている。

 生活感の溢れる光景を前に、私が足を踏み出し、マリアが扉を叩く。


 一度叩くが返事はない。二度目、三度目でようやく中から物音がした。


「しつけぇな。どこの貴族だ」


 出てきたのは、金髪を短く切り揃えた偉丈夫だった。

 東の国から伝わってきたという布を合わせた軽い服装に、髭をこさえている。

 一見して清潔感の欠片もない服装ではある。

 だが、剣を腰に差して立っている彼は、佇まいからして只者ではあるまい。

 私でさえそう思うのだから、武術の心得のあるマリアの緊張具合が伺えるようだ。


「どうして貴族と分かったの?」


 扉を開ける前から彼は貴族だと断言していた。

 私の質問に、彼は私を見て一瞬だけ目を丸くするが、すぐに「っは」と鼻を鳴らす。


「足音を立てないような使用人の足運びは独特だ。それに比べ、あんたは優雅に見せる為の足運び。一頭の馬に引かせた馬車の音を比べりゃ、大抵は貴族だと分かるだろうが」

「…耳がいいのね」

「普通だ。こんなもん。で、俺に何の用だ」

「その前に、上がらせてもらっていいかしら?お茶も飲みたいわ」

「…っち」


 扉を開けて中を示す彼は、私の胸や腰に視線をやることもなくそう言って促す。

 彼の言葉遣いにマリアが眉を顰めていたのはともかく、私は少し意外に思いながら中に入った。


 洋燈に照らされた室内は簡素な作りだ。

 壁に沿って作られたベッドに、奥には竃と食事をするための机がある。

 干された服は乱雑に畳まれ、家具には埃が被っている。

 席に促された私は、マリアが埃を払ってくれた席に座り、『剣聖』と相対する。


「…」


『剣聖』…戦争の英雄か。全くそんな風には見えないわね。

 人は見た目だけで判断してはいけないと分かっているけれど、野卑な男というのが私の第一印象だ。


「勧誘なら断るぜ」


 席に着くなり、剣聖はそう言って私に宣言する。

 これまで幾度も問われた質問だったのだろう。うんざりように言う彼に、私は「そう」と返した。


「その前に自己紹介しない?私の名前はイリス・オルタミア。アスセーナの街の領主よ」

「…リディル・アウストロスだ」


 領主、と言う言葉に片眉をあげるだけだった彼はぶっきらぼうにそう言う。

 互いの自己紹介を終えて、既に断られている私は彼に問いかける。


「確かに、私は貴方を勧誘しに来たわ。勧誘なら断るという話だったけど…聞かせて欲しいの。どうしたら来てくれる?貴方が望むものはなんなの?」

「お前には絶対に手にいれられねぇものだ」

「…絶対に?」

「そうだ。金もいらねぇ。名誉もいらねぇ。権力?爵位?牛にでも食わせろ」


 彼が言ったことの全ては、彼が立てた武勲を考えれば容易に叶えられること。

 にも関わらず、彼はこんな辺鄙な領地の、しかも山小屋で過ごしている。


「…なら、愛、かしら?」


 金では買えないモノ。一番最初に思い浮かぶのはそれだがーー


「愛、か。近いかもしれねぇな。言っとくが、いくら別嬪でもあんたみたいな爆弾付きの女は御免だ」

「私のこと、知ってるのね」

「『捨てられた王女』『羽を奪われた白鳥』『愛を知らない婚約玩具』まぁ、世間で言われてる噂くらいは、俺の耳にも入ってらぁな」

「少しは言葉を…」

「いいのよ、マリア。事実だから」


 歯に布着せぬ剣聖の言葉に足を踏み出しかけたマリアを私は制する。

 世間一般の評価なんてどうでもいい。顔も見たことがない連中だもの。

 私はマリアが近くにいてくれれば、それだけでいいのだ。


 それよりも、愛、と発言した剣聖の反応の方が興味深い。

 その視線は私よりもむしろ、私の隣に向けられている気がする。


「…マリアはあげないわよ」

「あぁ?」


 …違うのか。じっとマリアを見ていると思ったのだけど。


 私の愛おしいマリアに手を出すつもりなら絶対に許さなかったところだ。

 頭をぽりぽりとかいた剣聖は「ともかく」と強引に話を終わらせる。


「とにかく、そう言うことなら早く帰ってくれ。俺は士官だがにゃ興味ねぇんでな」

「…分かったわ。帰るとしましょう」


 目的が達せないのは残念ではある。だが、だめで元々の方法だったのだ。

 選択肢が一つ潰せただけでもよしとすべき。自分を納得させた私は立ち上がって扉を出て行く。

 馬車を見てくれているシュバルツが私を迎えてくれるが、首を振った私を見て察したらしい。

 馬車の扉を開けて、私を迎えてくれた。


「『剣聖』があんな方だとは思いませんでした」

「そうね。確かに、乱暴ではあるけれど」


 失望の色を見せながら隣に座ったマリアに、私はそっと息を吐く。

 シュバルツが扉を閉めて御者の席に乗り込み、「お嬢様」と呼びかけて来た。


「えぇ、いいわ。出し…」


 出発してもらおうと思った私は、視線を感じてそちらを振り向く。

 そこには、山小屋の扉から馬車をじっと見つめる剣聖の姿があった。

 直後、電撃のような閃きが私の頭を駆け抜け、私は言おうとしたことと逆を言う。


「待ってッ!彼に言い残していた事があったわ。悪いけど、少しだけ待ってくれるかしら」

「かしこまりました」


 私はシュバルツにそう言って馬車を降りる。そこにマリアがついて来ようとしたが、私は首を振った。


「マリア。私は一人で彼に話したい事があるの」

「ですが…」

「一人じゃないと話せない事もあるでしょうか。お願い」


 心配そうな顔をして食い下がろうとするマリアに私は微笑みを返す。

 マリアは逡巡していた様子だったが、すぐに強い目を向けて来た。


「少しでも物音がしたら、すぐに私が駆けつけます。どうか、本当にお気をつけください」

「きっと大丈夫よ。彼、私に興味がないと言っていたし」


 心配してくれて嬉しい。その言葉を言うわけにはいかず、私はマリアに背を向ける。

 馬車から降りて来た私に、剣聖は険しい目を向けていた。


「あんたもしつけぇな。俺は勧誘は受けないって言ったろ」

「えぇ。聞いたわ。だから、確認したい事があるの。二人で」

「…入れよ」


 私の真剣な声に何か思うところがあったのか、彼はそう言って通してくれる。

 先ほどと同じ席、同じ構図。だが、マリアがいない事だけは違っている。

 さらに言えば扉は閉められ、私は男と密室に二人きりの状況だ。むさ苦しい。早く出たい。


「んで、確認したい事ってなんだよ」

「簡潔に言うわね」


 私は机に肘を置いて、彼の一挙手一投足を見逃さないように注視する。

 前置きの割に口を開かない私に彼はむっとしていたがーー



「あなた、男色家でしょう」



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