幼児と犬
「犬も好きなんですか」
ぼくはどうしても、まだ気の利いた大人の会話ができない。
「そうよ。とってもかわいいイヌなの。湖畔のショップで買ったのよ。あ、大丈夫よ。そこの主人とは先代から懇意にしてるの。先代はとっくに亡くなったけど。今は上位階級の息子が経営してるわ」
バルバラさんの笑顔とは裏腹に、ネロの表情が曇った。
「その犬、どこにいる?」
「クリシスに預けてきたわ。あなたがこの新人にかまけているなんて知らないから、一人で食料を見張ることになって、機嫌が悪かったわよ」
また新しい登場人物だ。
次のメンバーは、できればネロみたいな落ち着いたタイプがいい。
「あいつが文句を言っていようが、どうでもいい。問題はその犬だ。聖母会の犬でない保証はない。アミクスに確認させよう。急ぐぞ」
ぼくのネコたちは疑いもしなかったのに……。
『お前のネコたちは、とっくに確認済みだ』
ゴミ箱型聖母脳、アミクスが淡々と言った。
最新鋭の聖母脳がどうして反聖母軍のネロたちの味方をしているのか、質問しようと思って、すっかり機会を失っていた。
『ワタシの紹介は落ち着いてから。まずは、犬の件を片付けよう』
食料の引き渡し場所になっている大岩の近くで、浮遊車が止まった。
車から最初に降りたのはネロだ。
ぼくもそれに続いた。
犬を購入した当事者のバルバラさんは、茶トラに夢中で出てこない。
自分で購入したというのに、心配じゃないんだろうか。
それにしても――こんな暗い森に立つのは初めてだ。
培養センターの窓や庭から夜の森を見たことはある。
黒い怪物みたいだ、という使い古された感想を抱いた。
でも、それは比喩ではなかったと、今、実感している。
森は枝葉を伸ばし、ぼく達を監視している。
そう確信した。
車の中に戻って、ネコたちと、バルバラさんと一緒にいたい。
けど、そんな弱虫なところは見せられない。
ネロが呆れて、ぼくを仲間に入れるのをやめる、なんて言い出したら大変だ。
「一体どこに犬がいるんだ。クリシスの姿もない」
ネロが呟いた時だった。
何かが胸にドンとぶつかり、ぼくは仰向けに倒れた。
そんなに強くぶつかったわけではないが、不意を突かれた。
「ミトラ! 大丈夫か?」
少し離れたところで犬を探して腰をかがめていたネロが、駆け寄ってきた。
「聖母会の奇襲か? ヤツら、野蛮な手は使わないはずだが……」
「何か、やわらかいものでした。湿っていて、息が荒かった気がします」
言いながら、それが犬だろうと自分で突っ込みを入れた。
それでも「犬がいました」と言えないのは、やっぱり何か違和感があったからだと思う。
その答えは、直ぐに判明する。
「お前にぶつかって行ったということは、あっちに逃げたのか。行ってみよう。お前、ちょっとこれで照らせ」
そう言って、ペン型ライトをぼくに渡してきた。
青色の光で、五メートルほど先まで視認することができた。
ネロの背後から片手で木々の間を照らし、もう片方の手で、さっき何者かがぶつかった胸を触った。
確かに、動物の前足で飛びつかれたような感覚だった。
でも……犬にしては力が強すぎた。
足が大きかった。
倒れたぼくを飛び越えて行く時に、長い尻尾が見えた。
なにより、あの獣の匂いは――。
「ライオンだ!!」
ネロが小さく、だが鋭く言って、ぼくを庇うように立ちはだかった。
その大きな背中の向こうに、ぼくにもはっきり見えた。
まだ子どもだ。
それでも、大型犬ほどはある。
黄金の毛と太い鼻、鋭い眼光、太い前脚。
全てが、間違いなく映像で知るライオンだ。
ネロが静かに自分の腰に手を伸ばした。
銃を持っているのか?
レジスタンスのリーダーだ。
むしろ、持っている方が自然だろう。
その時、ぼく達とライオンの前に、信じられないものが飛び込んできた。
幼児だ――。
一体どうなってるんだ?
「ライオンさん、イジメちゃだめなのぉ!!!」
幼児が叫んだ。




