5.御厨 龍之介
私立夢ヶ丘高等学校。
夏休みが終わり、この学校に通い始めてから一ヶ月が過ぎた。今のところ、何一つ不満のない日々を送っている。
とにかく環境がいい。前にいた古い学校とは違って、開設されてまだ二年目ということもあり、校舎はどこを見ても新しく、明るく清潔だった。その中でも僕が一番気に入っているのは校舎そのものではなく、中庭だった。
丁寧に手入れされた草花や木々が穏やかに揺れ、その間を縫うようにして、小さな川が静かに流れている。
僕は、そこに一人でいるのが好きだった。クラスメイトと仲が悪いわけではない。話しかけられれば普通に答えるし、必要なら笑うこともできた。
ただ、それ以上に親しくなることができなかった。自分から誰かの輪の中へ入っていくことも、ほとんどなかった。
転校したことで、いじめからは逃れることができた。ここでは、誰も僕を傷つけない。
しかし、心の中に空いた穴だけは、どこへ行っても消えない。本気で笑うことも怒ることもなかった。僕の心は壊れてしまったのだろうか。
「お前が町田か?」
いつものベンチに座って、弁当を広げていると誰かに話しかけられた。栗色の髪に大きな黒縁メガネ。確か隣のクラスの……名前は何だったかな。
「俺は御厨だ。御厨 龍之介」
「御厨……」
変わった名前だな。でもどこかで聞いたような名前だった。僕が記憶を辿っていると御厨は隣に腰掛けて話を続けた。
「お前あれだろ。投票制転校プログラム」
「あ、ああ」
「加害者……には見えねぇな。被害者か」
「なんだよ抜け抜けと」
「いじめられるようにも見えないがなぁ」
デリカシーの欠片も持ち合わせていない御厨だったが、不思議と気分は悪くなかった。
転校してきて以来、他人と深く関わろうとしない僕には友人らしい友人もおらず、自分の話をする機会などなかった。
誰でも良かったのか、そんな御厨だったから話したのかよく覚えていない。しかし、僕は御厨にここに来るまでの顛末を話すことになった。
「なるほどね」
僕が腋臭症だったという話を聞いて御厨は突然、僕の身体をくんくんと嗅ぎ始めた。こいつ、本当に頭がおかしいのではないか。そう思った。
「へー、綺麗さっぱり治るもんだな」
「他人からそう言ってもらえると安心するよ」
呆れながら僕が言うと、御厨は自分の身体を嗅ぎながら答えた。
「すんすん。たしかに自分が臭いかどうかなんて、すんすん。わからないもんな」
「でもお前なぁ……」
僕はそれから御厨に説教をしたが、こいつの耳に届いているのだろうか。いや、きっとこいつは聞いてない。聞いていても変わらないんだろう。こんな奴と仲良くなるなんて、この時の僕は想像もしていなかった。
そんな出会いから一ヶ月。御厨はそれ以来、ことあるごとに絡んでくるようになった。僕を見つける度に声を掛けて、昼休みには後ろを付いてくる。
「なあ今日も中庭に行くのか?」
「付いてくんなよ。僕は一人が好きなんだ」
「俺はお前と一緒がいいんだよ」
「知るか、そんなこと」
「今日はとっておきを教えてやるからさー、一緒に来いよ」
そう言って、御厨は弁当を片手に歩き出した。
「とっておきって何だよ」
「来ればわかる」
「それが嫌なんだよ」
聞いても教える気はないらしい。仕方なく、御厨の後をついていく。
階段を上っていくと、教室から聞こえていたざわめきが少しずつ遠くなっていく。いつの間にか聞こえるのは、僕たちの足音だけになっていた。
「ここだよ」
「……ここ?」
何の変哲もない、重そうな扉だった。けれど、その先に何があるのかは想像がついた。
「屋上? 入れないだろ」
「それが開くんだよなー」
御厨はブレザーの内ポケットからカードを取り出すと端末に近づけた。するとピピッと電子音が鳴り、どうやら鍵が開いたようだった。
「どうして? 盗んだのか? お前ならやりかねない」
「人聞きの悪い。これは親父から貰ったんだよ」
親父? そうか、思い出した。理事長だ。理事長の名前が御厨だった。こいつ理事長の息子なのか……。
「職員室には入れなかったんだよなぁ。どうやらカードにもランクがあるらしくて」
「お前みたいな奴にそんなの渡さないだろ」
「お前さ、時々口が悪いよな」
「お前にだけは言われたくないね」
扉が開くとぶわっと風が校内に吹き込み、顔に強く当たる風と眩しさに目をつむった。ゆっくりと目を開けると人工芝の緑と、ずらっと並んだ室外機。そしてかすむほど遠くまで続く街並みが目に入った。本来は誰も入れないはずなのにとても整備されている。
「これはとっておきだな」
「そうだろ? そんであれが俺の家だよ」
御厨が指差した方向には、閑静な街並みの中にそびえ立つ巨大な円形のマンションがあった。他に高い建物はほとんど無く、異様だ。
「いちいち嫌味な奴だな。僕の家はどれかわからないや」
「どう? 来てよかっただろ?」
「まぁな。お前の秘密も知れたし」
「秘密? あぁ、別に隠してないけどな。さぁ、さっさと昼飯にしようぜ」
ベンチに座って、屋上から街を見下ろし、御厨の家だというタワーマンションを眺めていると、こいつと僕の格差を感じる。僕は今まで小さな庭で満足していたんだなと。御厨はこんなに広い世界を見ていたというのに。
それでも一緒にいてくれるのは何故だろう。二年の二学期に転校してきたような僕に、御厨が絡んでくる理由がわからなかった。
それから晴れた日はいつもここで過ごすようになった。




