3.春日 美琴
仲が良いわけでもない彼女から、連絡が来ることなど一度もなかった。もしかすると、いじめの申告をしたのは彼女なのかもしれない。僕が転校することを察しているのだろうか。
『ごめん。誰かと話したい気分じゃないんだ。メッセージじゃだめなの?』
女子からの誘いを断るなんて、我ながら野暮だと思う。それでも、今は誰かと話をする気分ではなかった。しかし、彼女は直接話をしたいと言ってきた。ただならぬ様子に、結局こちらが折れて、一時間後に、駅前の広場で待ち合わせることになった。
告白されるわけでもあるまい。着の身着のまま、部屋着で待ち合わせ場所へ向かう。自転車で行くか? いや、店に入ることになったら邪魔になる。歩きで行くか。
それでも待ち合わせの時間より早く着いてしまった。人を待たせるのが苦手でいつもそうだった。
同じ高校の生徒に会うのは避けたい。春日さんに迷惑がかかるかもしれない。放課後の時間帯、人通りは多いが顔見知りはいないようだった。
僕はなるべく目立たない場所に腰掛けて、スマートフォンを取り出すとゲームの世界へと入り込んだ。
「来てくれてありがとう」
どれほど時間が経ったのだろう。声をかけられて顔を上げると、白いブラウスに黒いロングスカートを身に着けた春日さんが立っていた。
ゲームに夢中になりすぎて、約束の時間を過ぎていることに気が付かなかった。
「あぁ、ごめん。夢中になってて」
「待たせちゃったかな?」
「いや、大丈夫。それより大事な話なんでしょ? どこかに入ろうか」
僕は腰掛けていた花壇から立ち上がって、彼女と並んで歩きだした。
おしゃれなカフェやファーストフード店をいくつか通り過ぎ、少し寂れた喫茶店を見つけた。
「こういうお店の方が若者は入ってこないと思わない?」
「そうね。それに私はこういうお店の方が好きかな」
「そっか。じゃあ入ろう」
僕たちは店に入り、一番奥の席に向かい合って座った。優しそうな高齢のご夫婦が経営されているらしい。僕たちが座るとすぐに奥さんが注文を聞きに来てくれた。
「僕はアイスコーヒーを」
「私も同じものを」
注文を済ませたが、話の途中で飲み物が運ばれてくると気まずいと思った。だから何も言わずに店内を見回したり、春日さんの様子を伺っていた。春日さんはあのクラスの委員長だ。容姿は端麗で、頭脳は明晰。はっきりと物を言う性格で、まさにリーダーらしいリーダーだった。
彼女が顔を動かす度に、長い髪がさらりと揺れる。その仕草が、どこか上品に見えた。その容姿と性格のせいなのか、一部の女子からはかなり嫌われているらしい。それでも彼女だけは、いじめられていた僕を庇ってくれていたように思う。
僕らの間には沈黙が続いていた。まだコーヒーは運ばれてこない。
春日さんは店内に飾られたコーヒーカップや装飾品を眺めている。僕はそんな彼女の様子をなんとなく目で追っていた。
女の子はこういう視線に気付いているというが……本当だろうか。
やがて、アイスコーヒーが運ばれてきた。春日さんはそのまま一口だけ口を付けたが、僕はミルクとシロップを入れ、ゴクゴクと半分ほど飲んだ。
春日さんはミルクを少し足すと、もう一口だけ飲んでから口を開いた。
「町田くんって、今年の春に転校してきたよね?」
「ああ、そうだよ」
「あれも、投票制転校プログラムだったの?」
「……そうだね」
そう。僕は高校一年の終わりにいじめの申告をされ、投票制転校プログラムによって、この学校へ転校してきた。
今回の投票は二度目だったのだ。そして、転校してきても僕はいじめられた。いじめは、決してなくならない。こんな制度に意味なんてない。
「それがどうかしたの? そんなことを聞くためにわざわざ呼び出したの?」
苛立ちを隠せず、声が大きくなってしまった。
「いえ……嫌なことを思い出させてしまってごめんなさい」
「……こっちこそごめん」
「今日は私が原因であなたがいじめの標的になってしまったことと、それを止められなかったことを謝りたかったの」
「そんな。春日さんは関係ないでしょ?」
僕が転校してきたばかりの頃はまだ平和だった。様子がおかしくなったのは、四月の中頃。クラスの委員を決めるホームルームからだった。
転校してきて間もない僕は、どの委員がどんなことをするかもわからない。ただ委員長が面倒くさそうなことはわかる。出来ればやりたくない。
そんな委員長をやりたい人が二人もいた。それが春日さんと山野さんだった。
春日さんは転校生の僕に話しかけてくれたり、すでにクラスの中心だった。一方の山野さんはというと、話したこともないのでよくわからない。
二人ともなんで委員長なんてやりたいのか……。
結局、どちらも譲る気はなく、全員の投票の結果、春日さんがクラス委員長に選ばれた。
拍手を浴びても飄々としている春日さんのことはよく覚えている。
そして、それは始まった。
秋川のグループが、春日さんへの嫌がらせを始めたのだ。最初は、からかったり、物を隠したり。くだらない嫌がらせだった。
「気にしないようにしていたわ。仲良くしてくれる友達もいたしね」
春日さんはアイスコーヒーに視線を落としながら、静かに話していた。
「でも少しずつ酷くなって、さすがに頭にきたから、一度、山野さんに直接文句を言ったの」
「山野さん? 秋川じゃなくて?」
「あれは全部、山野さんがやらせていたの」
「やらせる?」
「秋川くんは山野さんのことが好きなのよ。前からね」
「それでもそんなことするかなぁ」
「二人とも私のことが嫌いみたい」
好き。嫌い。それで殴ったり蹴ったりするものだろうか。僕は好きな人にそんなことをして欲しくないし、嫌いな人にはそもそも近付きたくない。
「僕は無関係に思えるけど……」
「あなたは私達の喧嘩を止めてくれたわ」
「ああ、なんだかそんなことがあった気がする」
「私は山野さんに詰め寄って文句があるなら直接言いなさいって怒ったの」
僕は少し笑ってしまった。そんなことを言ってたのか。この人もこの人だな。僕にはとても言えない事だ。
「すごいこと言ったんだね」
「そうかしら?」
「なかなか言えないと思うよ」
「そしたら秋川くんたちに囲まれてね」
「あ、ああ」
「くだらない。あなたは、そう言って教室を出て行ったわ」
「えー? そんなこと……言ったかな?」
僕にも、囲まれて突き飛ばされた経験があった。あの時の光景が重なって僕は教室を出たんだ。「くだらない」そう言ったのかは覚えていないが、たしかにくだらないな。
それから僕は落ち着ける所を探して校内をうろうろしてから教室に戻ったんだ。
「あなたが出て行ってすぐに先生が入ってきたの」
「ああ、僕が教室を出たらすぐに先生が見えたんだよね」
「私も含めてすごく怒られたわ。職員室にまで連れて行かれて」
「チクリにいったわけじゃなかったんだけどな。それで僕も標的されたってことか……」
僕はアイスコーヒーに手を伸ばした。たしかに、あの後から僕へのいじめが始まった。
先生に怒られたのは自業自得なのに。
春日さんを庇っていたのも、僕だけじゃない。
どうして僕だったんだ。
「きっとあなたを狙う方が私を傷付けられる。そう考えたのよ」
「わかるような……わからないような」
確かに。自分のせいで他人がいじめられてるとしたら心にくるものがある。
「人の悪意ってのは怖いものだね」
「えぇ。あなたへのいじめがもっと酷くなるんじゃないかと思って、私は山野さんたちに何も言えなくなった」
怖かっただろうな。春日さんも。自分がいじめられている方がまだ耐えられそうだ。
「それで投票制転校プログラムを?」
「あなたを救うためにはそれしかないと思った」
「相談してくれても良かったかな」
「ごめんなさい」
「いいよ。僕のためにしてくれたんだから」
それからしばらく沈黙が続いた。僕はこの学校で起きた出来事を思い返していた。やっぱり春日さんを傷付けるために自分を攻撃してきたという所が腑に落ちない。
「でもさ、秋川たちは明らかに僕への悪意があったよ」
「私はずっと考えていたの。どうしてあなたが、何度もいじめられるのかって」
「考えてもわからないんだ」
「でもね、あなたには、元々問題があったの」
「まあね……」
何気なく返事をしてから、僕は聞き返した。
「……へ?」




