38.サヨウナラ
御厨は病院に運び込まれた。
医師からは命に別状はないと聞かされた。
「御厨……」
御厨はまだ目を覚まさない。僕はベッドの隣に腰掛けていた。その隣には春日さんと、泣き疲れて、その春日さんにもたれて寝ているミミちゃんがいた。
「達也くん……」
「ん?」
「……いえ」
どうして春日さんはあの時、屋上来たんだろう。まだ聞けないでいた。こんなタイミングで聞けなかった。
静かな時間が流れて、夕方から夜へと進み、僕もいつの間にか眠ってしまっていた。
「達也」
「んー」
「おい、達也」
「あ、御厨。よかった」
「ミミと二人か?」
「え?」
僕の隣から春日さんがいなくなっていた。寝てる間に帰ってしまったんだろうか。
「さっきまで春日さんもいたんだけど……」
「そっか」
それから少し話をした。医師から聞いたことを伝えたり、具合を聞いたり。
「お兄ちゃん!」
「起きたか」
「心配したんだから」
「ああ、すまん」
「じゃあ、今日はもう帰るよ。また明日来る」
僕は立ち上がって服装を直した。
「いいのか?」
「ん?」
「話」
「ああ、明日また来るよ。ゆっくり休め」
「……わかったよ」
その日はそれで帰った。さっきまで血だらけだった奴に無理をさせられない。
次の日、学校には行くことにした。
教室に入ると春日さんと目が合った。
「おはよう。昨日はありがとう」
返事はこないものだとして、自分の言いたいことだけを詰め込んだ。
「おはよう」
そのまま通り過ぎるつもりだったのだが、春日さんから返事があった。
「え?」
「……お昼、屋上にきて」
「あ、あぁ」
春日さんから誘ってもらえるなんて、いつぶりだろう。でも昨日の今日で、屋上か。
なんだか心が落ち着かない。
「くすくす」
まただ。ひそひそ話も聞こえている。まわりを見ても、誰が言ってるのかもわからない。はぁ。教室にいるとため息が出るな。
相変わらず、授業にも身が入らない。考えることが多い。
御厨、クラスメイト、そして春日さんのこと。
なんだか前の僕に戻ったみたいだ。
それでも時間は勝手に進む。授業は終わり、昼休みになった。
荷物を持って立ち上がると春日さんを見た。一緒に屋上まで行くのかと思ったが、春日さんがこちらを見ることはなかった。
僕は何も言わず教室を出ると、一人で歩きだした。途中、廊下に金村が立っていた。
何か言われると思ったが、ニヤニヤとこちらを見るだけで、むしろ不気味に思えた。こちらから話すこともない。僕は構わず屋上へと向かった。
ドアを開けて屋上に出ると、床やドアに血が飛んでいる。昨日は気付かなかったが、割れた御厨の眼鏡が落ちていた。
春日さんが入れるように段ボールをドアに挟んだ。フェンスに肘をかけて見る景色はいつも通りで、すっかり夏の陽射しになった太陽が容赦なく照りつけていた。
「町田さーん」
「ミミちゃん」
ミミちゃんが屋上にきた。
「学校、来てたんだ」
「もう大丈夫だからちゃんと行けって、お兄ちゃんが」
「そっか」
「お弁当……食べないんですか?」
「あぁ……」
ミミちゃんはベンチに座り、お弁当を食べ始めたが、そんな気分じゃなかった。僕はそのまま景色を眺めていた。
「ガシャン」
ドアが閉まる音がした。
振り返ると春日さんだった。
「春日さん……」
「ミミちゃん。ちょっと達也くんと二人にしてくれる?」
「なんでですか?」
「ごめん。お願い」
「わ、わかりました」
春日さん、なんだか雰囲気が違う。怒っている……いや、なんだか別人のような。
ミミちゃんはあわててお弁当を仕舞うと、屋上から出て行った。
「私には離れてって言ったのに、ミミちゃんとは仲良くしてるのね」
「い、いや……」
「いいの。わかってる」
「……ごめん」
春日さんは僕の隣に来て、フェンスにもたれて立った。
「今のクラス……あの時の雰囲気にそっくり」
「あの時って?」
「前の学校。山野さんや秋川くんがいたあのクラス」
もうあれから何ヶ月……ちょうど一年ぐらいか。
「私がいたら……あなたがいじめられる」
春日さんの声が震えていた。
「そ、そんなことないよ」
「じゃあどうして……」
「え?」
春日さんが僕を見る。
「どうして離れようなんて言ったの?」
……春日さんのためだよ。そう答えようとして言葉が止まった。
春日さんのため……。
本当にそれだけだったんだろうか。
自分がめんどくさいことに巻き込まれたくなかったから……。
「私は……あなたと一緒ならって思ってた」
「……」
「学校で何を言われても。何をされても。あなたと一緒なら大丈夫だって」
春日さんは一度、俯いた。
「なのに……あなたは離れようとした」
「……ごめん」
顔を上げた春日さんの目には、涙が溜まっていた。
「私……もう耐えられない」
「春日さん……」
「龍之介くんが……あんなに血だらけになって」
声が震えていた。
「目を開けなくて」
「……」
「龍之介くんがいなくなったらどうしようって」
「でも、命に別状はないって……」
「次は、あなたかもしれない……」
言葉が出てこなかった。
「あなたがあんな風に倒れて、動かなくなって……」
春日さんの声が小さくなる。
「私……耐えられない」
「考えすぎだよ」
「あなたが、居なくなってしまうのが怖い」
「何……言ってるの?」
春日さんは微笑んだ。
泣いているのに、笑っていた。
「私は離れたくない」
「……」
「ずっと一緒にいたい」
春日さんの目から涙がこぼれ落ちた。
「でも……あなたが傷つくのはもっと嫌」
「あ……」
「達也くん」
「……」
「私は、あなたのことが好き」
春日さんは僕から目を逸らさなかった。
「だから」
「……」
「……サヨウナラ」
春日さんは屋上のドアに向かって走り出した。僕は慌ててその腕を掴んだ。
「待ってよ!」
「……お願い……離して」
掴んでいた手から、力が抜けた。
春日さんは走っていった。
「春日さん……」
追いかけないと……。
でも足が動かない。
遠ざかる足音を聞きながら、僕はその場に立ち尽くしていた。
サヨウナラ。
その言葉だけが、頭の中で繰り返し響いていた。




