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16.悲しみ

「終わったよ」


 どうやら授業が終わったらしい。隣の席の女子生徒が、僕の机を軽く叩いていた。


「んーー。はぁ、ありがと」


 また隣が終わるのを待つのか。起こしてくれなくてもよかったな。

 窓の外を見る。雨は上がってない。屋上にも行けない。中庭もだめだ。

 仕方なく、僕はスマホを取り出すと、SNSのニュースを眺めていた。


「珍しいね」

「あ、あぁ」


 先ほどの女子生徒だ。名前は……なんだっけ。まぁいいか。


「誰か待ってるの? 御厨くん?」


 また御厨か。あいつは今日休みなんだって。


「春日さんだよ。転校生の」

「あーあの可愛い子か」

「前にいた学校が同じだったんだ」

「それでか。でも気を付けた方がいいよ?」


 彼女は少しだけ身を寄せてきて、耳打ちするように言った。


「転校生同士で絡んでて、感じ悪いって噂になってる」

「は? 感じ悪い?」

「たぶん男子の妬みじゃない?」


 まぁ。わからないでもない。春日さんだし。可愛いもんな……。

 

腕枕をした時の春日さん。


 ……可愛かったな。


「まぁあんまり目立たないほうがいいかもね」

「あ、ありがと。気を付けるよ」


 急に恥ずかしくなった。たぶん顔がにやけている。僕はリュックを手に持って、逃げるように教室を後にした。


 廊下で待つなんて論外。目立ちすぎる。もう先に屋上のところで待とう。


 踊り場まできた。

 ダメだ。

 たぶん、ここではもっとにやけてしまう。


 同じ所は絶対ダメだ。


 最上段まで行くと、さっきまで濡れていた階段はもう乾いていた。僕はそこに腰掛けた。


 両手で顔を覆う。


「はぁ……」


 頭を振ってみても、さっきのことは消えてくれない。

 髪が腕に触れて……。

 頭がすごく小さくて……。

 春日さんの匂いがした。


「匂いか……」


 その言葉が頭に浮かんだ瞬間、我に返った。

 胸が苦しい。たぶん僕はそのことを考えない方がいい。


 スマホで時間を確認するが、まだ少し時間がある。メッセージは……御厨からは入ってないか。まぁ、ゲームしてたらすぐだろ。

 家ではサッカーゲームをしているが、スマホではパズルゲームが一番、時間を忘れて集中できる。

 赤をこうして……。青がこうなって……。

 

 ……。


「お待たせ」

「……うわっ」


 いつの間にか、春日さんが階段の下に立っていた。


「何してたの?」

「スリーマッチってやつだよ」

「へぇ。今度教えてね」


 春日さんが画面を覗き込んだ。髪が目の前で揺れた。ふわっと、いい匂いがした。


「あー……座りなよ」


 僕はこれ以上、端に寄れないという所まで身体をずらした。


「うん」


 春日さんは階段を上ってきて、僕の隣に座った。こんなにスペースがあるのに……。


「そ、それで、なんだっけ?」

「喧嘩」

「え?」

「喧嘩してるんでしょ?」

「あー……」


 そうだった。どうして何も考えずに来てしまったんだろう。


「ぼ、僕のせいなんだ」

「?」

「御厨が休んでるの」

「喧嘩の理由は?」

「ね、ねぇ。怒ってる?」

「すこし」

「え? いや、その……」

「私ね」

「はい」

「二人が私の話をしてたのは知ってるの」

「え?」

「一昨日の放課後。あなたが荷物を持って、どこかに行くのが見えた」

「う、うん」

「奥のほうに行ったから、屋上に行くんだと思って、私も荷物を持って追いかけたの」


 一昨日。春日さんが転校してきた日か。あの日の放課後?


「ドアに段ボールが挟んであって」

「み、見てたの?」

「いいえ。声だけ」

「……なんて言ってた?」

「どうやって、私を加害者にして転校させるか」

「……」


 身体が冷たくなっていく。どこまで聞いてたんだ。


「私が初めに聞いたのは、そこ」


 春日さんはそう言った。


「どうして私に何も言ってくれなかったの?」

「それは……」


 言葉が出てこなかった。


「あなたのことだから、伝えたら私が悲しむかもしれない。そんなこと思ってるんでしょ?」

「……そう」


 春日さんは淡々と話していた。


「私はあなたに信じてもらえないほうが悲しい」


 御厨が正しかった……。

 僕は間違っていた。


「私、昨日も来たの」


 昨日。御厨と喧嘩をした。酷いことも言った。何を聞かれたんだろう。


「……何か、聞いた?」

「昨日は扉が閉まってたの」

「そっか」

「あなたたちは何か言い合いをしていた」

「……うん」

「何を言ってるのかはわからなかった。すぐ静かになって、どちらかが出てくるんじゃないかと、慌てて離れたわ」

「そっか……」

「御厨くんにはあんな風に言えるのに」

「え?」

「私には言ってくれないんだね」

「……ごめん」


 春日さんが、小さく息を吐いた。


「もう」

「え?」

「これじゃ私が尋問してるみたいじゃない」

「……?」

「何か言ってよ。答えて」

「わからない」

「私もあなたの心がわからないわ」


 春日さんが僕を見る。

 困ったような顔だった。

 何か言わなきゃ。

 でも何を言えばいいのかわからない。


「さっき、あなたは私に怒ったわ」

「……ごめん」

「違うの」


 春日さんは首を振った。


「私、嬉しかった」

「?」

「あなたがあんなふうに怒るなんて、初めて見たから」

「……あ、ああ」

「あなたの心が見えた気がした」

「……春日さん」

「御厨くんが羨ましい。あなたに信頼されてる」

「……」

「私はどうしてダメなの?」


 胸が詰まった。


「いや……御厨は、ずっと一緒にいて……」

「御厨くんとは出会ってどれだけ経つの?」

「に、二ヶ月かな」

「じゃあ私の方が長いわ」

「……ふっ」

「?」

「ははっ」

 

 堪えきれずに笑ってしまった。笑ったのに、目の奥が熱くなった。涙が出そうになる。


「どうして笑うの?」

「春日さんが春日さんだから」

「もう」


 零れそうになる涙を拭っていると、春日さんが続けた。


「あの日もあなたは泣いていたわ」

「あ……」

「あなたたちが私の話をしてた日ね。あなたが泣き出して」

「う、うん」

「私も……悲しくなって、あの日は帰ったの」


 あそこも聞かれてたのか。はぁ……。


「私ね。あなたを転校させちゃった」

「いや。それは……」

「あなたは御厨くんにありがとうって言ってた」

「……」

「私はあなたのそばにいなかった」


 だんだんと春日さんの声が小さく、弱くなっていく。


「……僕が逃げたんだ。勝手に」

「あなたが、山野さんに投票してくれていたら……」

「ダメだよ。僕は逃げなかったとしても秋川に投票してた」

「でも多数決で……」

「それはわからないけどね」


 僕は笑った。泣いてるけど、涙はまだ出てないと思う。


「うん」


 雨の音が響いていた。春日さんは俯いたままで、僕は何も言えず寝転がって天井を見上げていた。


「あなたが……」

「ん?」


 僕は身体を起こすと春日さんの方を見た。


「あなたがいなくなった後。すぐに私が標的になった」


 ……ごめん。声にはならなかった。


「でも、あなたのことをずっと想ってた。だから平気だった」

「……強いよ。春日さんは」

「私が転校することになって。みんなは私のこと……嫌いなんだって思った」

「……うん。わかるよ」

「悲しかった。この学校にあなたがいなかったら。私は……」


春日さんは泣きだした。抱き締めたかった。でも僕は何もせず、彼女が泣き止むのをただ待っていた。

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