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第四章 第五話 戦う理由と強さ

【前回までのあらすじ】

マリアは「祝祭フェストゥム」の絶対的権限を持つ筆頭の座を懸け、直近で開催される身内同士のデスマッチ『サーカス王者トーナメント』へ、一人の選手グラディアトリクスとして戦いを開始した。


 石造りの薄暗い控室で、私は自身の細い拳を見つめながら、かつてのリングを思い出していた。

 前世の私は、なぜプロレスラーになったのだろう。

 理由は単純、ただただプロレスが好きで、あの四角いジャングルの中で命を燃やすレスラーたちが、神話の英雄よりも眩しく見えたからだ。

 前世の同期たちの顔が、走馬灯のように脳裏をよぎる。

 ある子は、圧倒的なカリスマ性を持つ絶対王者に魂を奪われ、「私もあの人のようになりたい」と、ただそれだけの純粋な憧れで過酷な道を選んだ。

 別の子は、学校にも家庭にも自分の居場所を見つけられず、社会の底辺で燻っていた。

 己の行き場のないエネルギーと、世界のすべてに対する反逆心を表現できる場所として、あの命がけのリングだけが彼女の聖域だったのだ。

「強くなりたい」という、原始的な飢餓感に突き動かされた子もいた。

 いじめられた過去を跳ね返すため、あるいは誰にも負けない肉体美と不屈の精神を手に入れるため、毎日のスクワット千回に耐え、血を吐くような思いで関節技を極め合っていた。

 プロレスラーになる理由なんて、十人十色、千差万別だ。

 けれど共通しているのは、誰もが「何か」に飢え、リングの上でしか本当の自分を証明できないという、狂おしいほどの情熱を抱えていたことだった。


 では、私がこのロマニア帝国の地で立ち上げた「祝祭フェストゥム」の仲間たちはどうだろう。

 デーメーテールは、黄金の瞳を輝かせながら、求道者のような強さをリングで体現している。

 彼女は、新興興行だったルクタ・フェミナを支え、私を守るために、その圧倒的なストロングスタイルを磨き上げてくれた。

 エジプト出身のバステトは、気まぐれな猫のようなマスクを被り、超高速の空中殺法で観客を魅了するが、その裏にはマリアに誘われたという縁と、絶対に負けたくないという濃密なライバル心が渦巻いている。

 赤髪の狂犬、アバンダンティアは、かつて移籍してきたトゥイーナーだが、「貴族なんて大嫌いだ、この肉体だけでのし上がってやる」という剥き出しの野心を隠そうともしない。

 十七歳の新人、ポモナは、祝祭フェストゥムの華やかな活躍に憧れ、「いつか頂点のクイーンになる」という夢を追って純粋なベビーフェイスとして戦っている。

 そして百八十センチメートルの巨体を誇るバンバは、反則も厭わないパワー・デストロイヤーで、「お嬢さんのことなんか好きじゃない」と言い放ちながらも、その破壊の衝動をリングにぶつけている。


 彼女たちには、それぞれの「戦う理由」がある。

 生きるため、成り上がるため、夢を叶えるため……。


 そして私は、フィアンセであるヒパティウス様を救うという極めて個人的、かつ政治的な大義名分を背負ってこの花の戦争に身を投じた。

 けれど、私の心の奥底にある「プロレスラーとしての魂」が、小さく囁くのだ。

 私は本当に、ただ彼を救うため「だけ」に戦っているのだろうか、と。

 もしそうなら、政治的な暗殺や、他の権謀術数を選んでもよかったはずだ。

 なぜ私は、あえて自らがグラディアトリクスとなり、「ソーラ・シュリンガル」を纏ってリングに上がる道を選んだのか。

 この時代、この歪んだ大衆迎合主義と独裁が融合した世界で、私は何のために戦うのか、その真実の答えを、私はまだ自問自答し続けていた。


 皇后テオドラ様、彼女は強い……


 政治的にも、そしてルクタ・フェミナを「花の戦争」という巨大な国家システムへと作り替えたその支配力においても、圧倒的だ。

 彼女のステータスは、おそらく私の想像を絶する領域にある。

 極貧の過去から、皇帝ユスティニアヌスを魅了してアウグスタ(皇后)の座へと昇り詰めた女性だ。

 なぜ、彼女はそれほどまでに強いのか。

 それは彼女が、社会の最底辺という、本当の「地獄」を見てきたからに他ならない。

 失うもののない人間の強さ、そして自らの知性と美貌、冷酷なまでの合理主義をすべて武器にして、運命をねじ伏せてきた経験が、彼女のプッシュを絶対的なものにしているのだ。

 テオドラ様の強さは、冷酷で復讐心に満ちた暴君としての側面と、虐げられた女性や弱者を守るための先駆的な法を推進する守護者としての側面が、歪に、しかし完璧に調和している点にある。

 それはまさに、観客の罵声を極上の快感へと変える、漆黒のカリスマヒールそのものだ。


 では、人として、女性として、 そしてグラディアトリクスとして、本当の「強さ」とは一体何だろう。


 単に相手を力でねじ伏せ、肉体を破壊することだろうか。

 それなら、ボスポラス海峡の荒波で鍛えられた漁師や、前線で敵を屠る重装騎兵の方が遥かに強い。

 だが、プロレスにおける強さは、そんな単純な足し算ではない。

 プロレスの原点、それは「受けの美学」だ。

 相手の最高の技、最も破壊的な一撃を、あえてその肉体すべてで受け止める。

 逃げず、怯まず、観客が悲鳴を上げるほどのダメージを喰らいながらも、カウント二・九で泥にまみれたマットから肩を上げる不屈の精神。

 その不死鳥のような姿と、そこから繰り出されるエモーショナルな反撃こそが、観客の魂を揺さぶり、熱狂の渦へと巻き込むのだ。

 私が求める強さは、テオドラ様のような、他者を支配し、恐怖で従わせる独裁の力ではない。

 また、単に肉体的な優位を誇るだけの力でもない。

 どんな絶望的な状況にあっても、どれだけ強力なヒールにいたぶられようとも、決して折れない心の強さ。

 リングというキャンバスの上で、対戦相手と肉体を通じて言葉以上の「魂の対話」を交わし、その輝きで観客全員を「推し」に変えてしまうような、圧倒的な表現力とナラティブの力だ。

 それこそが、前世の私が憧れ、今世で私が体現すべき、真の「グラディアトリクスとしての強さ」なのではないか。

 コスモロジーコロッセオの五万人の大歓声を、恐怖の悲鳴ではなく、純粋な歓喜の地鳴りに変えるための力が、私には必要なのだ。

 遠くから、ヒッポドロームで行われている戦車競走の、地響きのような地鳴りが聞こえてくる。

 間もなく、このコスモロジーコロッセオでも、私の運命を決める「サーカス王者トーナメント」の幕が上がる。

 私の肉体は、前世のような叩き上げのレスラーではなく、名門貴族の令嬢としての繊細さを色濃く残している。

 しかし、私の胸の奥で、前世から引き継いだプ女子の血が、猛烈な勢いで脈打っている。


「やってやる。やってやろうじゃないの!」


 私が戦う理由。

 それは、愛するフィアンセ、ヒパティウス様をあの残酷な処刑台から救い出すため。

 彼との幸せな未来を取り戻し、没落しかけているブルーブラッドを再興するため。

 それは間違いない、私の譲れない大義だ。

 けれど、それと同時に――私は、この世界で誰よりも「女子プロレス」を愛している。

 命を奪い合うだけの血生臭い闘技ではなく、お互いの人生と誇りをかけて戦い、観客と一体となって奇跡の空間を作り出す、あの最高のエンターテインメントを、このロマニア帝国の民に、そして皇后テオドラ様に、骨の髄まで分からせてやりたいのだ。


 私が求める強さへの完全な答えは、まだ出ていない。

 けれど、迷いは消えた。

 実況席では、あの伝説の語り部たちの魂を宿した解説者が、今か今かとマイクロフォンを握りしめ、私の入場を待っている。

 レフェリーが厳格にマットを叩き、歴史の証人となる瞬間が近づいている。


 私は、テオドラ様が作り上げた「パンとサーカス」という歪な独裁のシステムを、内側から破壊して見せる。

 武器は剣ではない、魔法でもない。

 この一〇〇パーセント純粋なプロレス愛と、「ソーラ・シュリンガル」に込めたプラーナの輝きだ。

 命を奪い合うのではない。

 魂と魂の、極限のやり取りで、この世界の歴史を、観客の価値観を、すべてひっくり返して見せる!

祝祭フェストゥム」の筆頭グラディアトリクスとなり、レノヴァティオ・インペリイのベルトをこの腰に巻くために……



【次回予告】

 ついに開幕した「サーカス王者トーナメント」!

トップロープを越えて場外に転落した時点で失格となる「オーバー・ザ・トップロープ(OTR)」ルールが適用される。

第一試合のバステト対ポモナの高速戦に続き、絶対王者デーメーテールと怪力バンバの事実上の決勝戦が大波乱を巻き起こす。


次回、第五章 第一話「サーカス王者トーナメントの開幕」


一瞬の輝きと、永遠の傷跡。

たった一度の勝利のために、一生を賭ける。その狂気こそが、彼女を真の聖女へと変える。

昇華のゴングまで、あと……


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