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第四章 第四話 サーカス筆頭グラディアトリクス

【前回までのあらすじ】

マリアの妥協なき猛特訓の熱気は、空中分解寸前だった「祝祭フェストゥム」の歯車を再び回し始めた。

バステトやポモナも練習に加わり、技を高め合うが、未だ冷徹なアバンダンティアやバンバを掌握するには至っていなかった。


「ワン、ツー、スリー………

 よし、もう一本!」


 コンスタンティノープルの片隅。

 私たちが拠点とするサーカス「祝祭フェストゥム」の養成所・ルドゥスの床に、小気味よい肉体の激突音が響き渡る。

 ここは、かつて前世で私が「プ女子」として熱狂し、新人レスラーとして命を燃やした、あの懐かしい「黄金の四角いジャングル」そのものだった。

 生まれ変わったこのロマニア帝国で、私は前世のオタク知識とレスラー経験のすべてを注ぎ込み、「ルクタ・フェミナ」を立ち上げた。

 現在は十八歳。

 最愛の婚約者ヒパティウスが「ニカの乱」に巻き込まれて反逆者とされ、その処刑を猶予してもらう代わりに、貴族代理戦争である「花の戦争」で年間王者を獲得しなければならないという、まさに崖っぷちの状況にいる。


「はーっ、はーっ……

 マリア様、今の動き、どうでした!?」


 額に大粒の汗を浮かべて私を見上げてきたのは、十七歳の新人グラディアトリクス、ポモナだ。

 若草色の髪を揺らす彼女の視界の横には、私にしか見えない「女子プロステータス」が浮かんでいる。

 彼女は純粋無垢な善玉ベビーフェイス

 ファイティングスタイルは、感情の機微をリングに投影してファンの共感を誘う「ハイブリッド・ドラマチック」だ。


「ポモナ、エルボーのフォームは綺麗だし、エルボーの打ち合いから『耐える美学』を提示しようとする気概は素晴らしいわ。

 でもね、技を放つ前の視線一つ、立ち居振る舞い一つでもキャラクター性を補強できるのよ。

 ただがむしゃらに打つだけじゃなく、観客のアテンション・スパン、つまり集中力を引きつけるための『間』を意識して、感情の輝きを表現してみて!」


「はいっ、マリア様!」


 観客の人気投票が勝敗ポイントに直結するこの「花の戦争」では、ただ強いだけでは駄目で、物語性と表現力が何よりの武器になるのだ。


「次は私にゃ!マリア、遊んでほしいにゃ!」


 猫を模した派手なマスクの隙間から、エメラルドグリーンの瞳をきらめかせたのはバステトだ。

 十九歳の彼女は、エジプト出身の「ハイスピード・テクニカル」スタイル。

 役割としては、試合相手によって善玉にも悪役にも化ける変幻自在の「トゥイーナー」である。


「いいよ、バステト。

 ロープワークの駆け引きからいくよ!」


 ガシッとロックアップで組み合った瞬間、バステトの身体がバネのように弾けた。

 彼女はリング内を縦横無尽に疾走し、その驚異的な身体能力で私の目を釘付けにする。

 目にも留まらぬ速さで複雑な丸め込み技を仕掛けてくる彼女の動きは、まさに「プロレスの幾何学」と呼ぶにふさわしい美しい軌道を描いていた。

 私はその目まぐるしい攻防をゾンビのような受けの強さでしっかりと受け止め、技を切り返していく。


「バステト、貴女のスピードと跳躍力は超一級品よ。

 でも、あまりに速すぎて観客が置いてけぼりになったら元も子もないわ。

 丸め込みを秒単位で繰り返す緊張感の合間に、一瞬の『妖艶な憑依』を見せることで、会場の熱狂をさらに爆発させられるはずよ!」


「にゃはは!さすがマリア、

 私の気まぐれなスタイルを全部受け切ってくれるにゃあ!」


 バステトは嬉しそうにマスクの裏で喉を鳴らした。

 私の親友であり、最高の悪友だ。


「ふふ、二人とも良い仕上がりですね。

 マリア様、今度は私と魂の対話をしましょうか」


 凛とした、しかし包容力のある声とともにリングに上がってきたのは、二十四歳のデーメーテール。

 黄金の髪と瞳を持つ彼女は、私の元メイドであり、この「祝祭フェストゥム」の立ち上げ期から支えてくれている絶対的な存在だ。

 そして、現在のサーカス筆頭グラディアトリクスにして、最高峰のベルト保持者でもある。

 彼女のスタイルは、圧倒的な打撃を主軸とする「ストロング・アスリート」。

 紛れもない、団体の顔たる絶対王者型ベビーフェイスだった。


「お願い、デーメーテール!」


 ガツン、と肉体と肉体が真っ向から激突する。

 デーメーテールの放つ重厚なボディへの打撃や、空気を切り裂くような鋭いローキックは、格闘技のバックボーンを感じさせる「実戦的な説得力」に満ちていた。

 お互いの呼吸が、打撃の風圧で止まりそうになる。

 私は彼女の放つ岩盤のような不屈の精神と練達の所作を全身の骨できしむように受け止め、そこからエモーショナルなエルボーの応酬へと持ち込んだ。

 パンクラチオンをベースにしながらも、流血を伴わずに肉体の極限の美しさを魅せるこの攻防こそ、私たちが作り上げた「ルクタ・フェミナ」の真髄だ。


「素晴らしいわ、マリア様。

 あなたの華麗な跳躍、そして繊細ながらも決して折れないスピリットは、観客の感情移入を促す輝きに満ちている」


 スパーリングを終え、呼吸を整えながらデーメーテールが微笑んだ。

 私たちは言葉ではなく、技の応酬という魂の対話によって、互いの信頼を深め合っていた。


「フン、相変わらず仲良しこよしで、お気楽なことでんなあ」


 その時、養成所の重い扉を乱暴に開けて、刺々しい声が響き渡った。

 現れたのは、百八十センチメートルの巨躯を誇る、赤髪のパワー・デストロイヤー、バンバだ。

 その背後には、他者への関心を一切排除したような冷徹な瞳を持つ、赤褐色の肌の関節技師、アバンダンティアも控えている。


「おいおい、お嬢様。

 いくらこのルクタ・フェミナの創始者だからって、トレーナーやセコンドをやってた奴が、偉そうに上から目線で指導してくれるじゃないの」


 バンバは野卑な笑みを浮かべた。

 彼女はかつて街の乱暴者だったが、私がその圧倒的な体格と怪力に惚れ込んでスカウトした、我がサーカスが誇るヒールだ。


「バンバ、アバンダンティア。言葉が過ぎますよ。

 マリア様は私たちの元オーナーであり、この競技のすべてを生み出したプロデューサーです」


 デーメーテールが鋭い眼光で二人をたしなめたが、アバンダンティアは冷淡に鼻で笑った。


「元オーナーだろうが創始者だろうが、関係ない。

 ここは強さと大衆の支持、つまり『プッシュ』がすべてを決めるリングの上だ。

 お嬢さん、あんたは婚約者を救うために『花の戦争』へグラディアトリクスとして参加するって息巻いてるらしいがね」


 アバンダンティアが、細い指先で私の胸元を指さした。


「あんたは今、この『祝祭フェストゥム』のトップである『サーカス筆頭グラディアトリクス』ですらない。

 現在の筆頭はデーメーテールだ。

 サーカスの顔でもない、ただの没落貴族のお嬢様が、どの面下げてうちらに命令してんの?

 うちらは自分の肉体一つで成り上がるためにここにいる。

 足手まといの身内びいきにつき合う暇は、一分一秒たりともないんだよ」


 アバンダンティアの言うことは、あまりにも冷酷だったが、同時にグウの音も出ない正論だった。


 プロレス界において、団体のトップベルトを持っていない人間や、サーカスの「顔」として君臨していない者がどれだけ理想を語ろうとも、説得力は生まれない。

 デーメーテールがさらに言い返そうと前に出たが、私はそれを手で制した。


「いいのよ、デーメーテール。二人の言う通りだわ」


 私は真っ直ぐにアバンダンティアとバンバを見据えた。


「プロレス……いいえ、ルクタ・フェミナの世界において、トップの称号を持たない者の言葉に重みがないのは当然よ。

 貴族の所有する他団体と、全てを賭けて戦うこの『花の戦争』において、サーカスの決定権を持つ『筆頭』の座がどれほど重いか、私が一番よく知っている。

 だからこそ、私は逃げないわ」


 アバンダンティアとバンバは、フンと鼻を鳴らしてそのまま養成所の奥へと去っていった。

 残されたリングの上には、張り詰めたような沈黙が降りる。


「マリア様、すいません……。

 私が筆頭でありながら、二人を完全に掌握しきれていないばかりに」


 デーメーテールが悔しそうに拳を握りしめたが、私は首を振った。


「違うの、デーメーテール。

 これはあなたの責任じゃないわ。

 テオドラ皇后が発案した『花の戦争』は、ただの娯楽じゃない。

 残酷な『パンとサーカス』の象徴なのよ。

 各貴族が所有するサーカスには、強烈なキャラクター(ギミック)を持ったグラディアトリクスたちがひしめき合っている。

 そんな魔境を勝ち抜くためには、まず私たちが完全に一つにならなきゃいけない」


 そのためには、まず直近で開催される『サーカス王者トーナメント』を勝ち抜かなければならない。

 これは、サーカス内のメンバーによるシングル勝ち抜き戦であり、リングの最上段のロープを越えて場外に転落した時点で失格となる「オーバー・ザ・トップロープ」ルールが適用される、極めて番狂わせの起きやすい過酷な戦いだ。

 このトーナメントを制した者だけが、「祝祭フェストゥム」の新しい筆頭グラディアトリクスとなり、対戦メンバーの決定や戦略決定権という絶対的な権限を手にするのだ。


「私が『祝祭』の筆頭グラディアトリクスにならない限り、何も始まらない……」


 今の私は、ただの没落貴族に過ぎず、サーカス内での「格」も発言権も足りていない。

 バンバやアバンダンティアのような一筋縄ではいかない実力派たちを従え、テオドラ皇后が率いる強大な敵サーカスに立ち向かうためには、私が名実ともにこの「祝祭フェストゥム」の看板にならなければ、現状の改善など到底あり得ないのだ。


 愛するヒパティウス様を救い出すため、 ブルーブラッドの再興のため、そして何より、私が愛するこの「ルクタ・フェミナ」のリングの尊厳を守るために……


「待っていて、ヒパティウス様。

 私は必ず、あの『レノヴァティオ・インペリイ』のベルトを巻いてみせるから」


 迫り来るサーカス王者トーナメントの開幕を前に、私は自らの両頬を強く叩き、黄金の四角いジャングルへと熱い視線を向けた。

 前世のプ女子の魂が、今、かつてないほどの激しい闘志となって燃え上がっていた。



【次回予告】

 なぜ戦うのか。なぜ傷つくのか。

マリアの胸に宿る不屈のスピリットと、愛する人を救うための覚悟。

サーカス王者トーナメントの組み合わせが発表され、身内同士だからこその手の内を知り尽くした残酷なドラマへのカウントダウンが始まる。

マリアの戦闘用「ソーラ・シュリンガル」が、静かに、神聖な青い光を放ち始めた。


次回、第四章 第五話「戦う理由と強さ」


秩序の檻と、混沌の翼。

決められた運命から飛び立つ少女の姿は、見る者の魂を永遠に呪い、そして救う。

解放のゴングまで、あと……


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