第一章 第一話 魂の激突、黄金の四角いジャングル
【前回までのあらすじ】
私は、前世は重度のプ女子レスラー、今世はロマニア帝国のウルトラVIP令嬢フラウィア・マリア。
不慮の事故で転生した私は、社会的地位も美貌も手に入れたが、プロレス成分の圧倒的不足に悶絶。
ついに己の魂の叫びに従い、異世界に新たな闘いの幕を開けることを決意する!
「ルクタ・フェミナ」
それは、神への祈りと肉体の極限が織りなす、このロマニア帝国に生まれた奇跡のエンターテインメント!
その中心に輝く「黄金の四角いジャングル」が、今、五万人の大歓声に揺れている。
「いっけええええ、バステト。
そこから、空中よ!」
私の声は、割れんばかりの地鳴りにあっさりと掻き消された。
ここは、私が設計に携わり、皇后テオドラ様がその絶大な権力と美の結晶として建設された「コスモロジーコロッセオ」。
すり鉢状の巨大な観客席を埋め尽くす大衆の熱気は、ボボボボ、と音を立てて燃え盛る巨大な篝火のよう。
視線の先、魔道具を組み込んだ特設リングの上で、我がサーカス「祝祭」の誇るハイスピード・テクニカルファイターが躍動していた。
頭部を覆うのは、エジプトの神聖な猫を模した、緑の瞳が怪しく光る特製のマスク。
漆黒の短髪と褐色の肌、そして小柄な体躯を極限まで引き締めた彼女の二つ名は、「エジプシャン・マウ」。
対戦相手である巨漢闘士の突進を、彼女は信じられない速度で翻弄していく。
ドス、ドス、と地響きを立てる相手の突進を、バステトは側転とバク転を組み合わせた、まるで重力を拒否したかのような身のこなしで完全に見切っていた。
これ!これよ!!
この機動力と技術が極限で融合した「ハイスピード・テクニカル」な試合運び。
前世で寝ても覚めても女子プロレスのことばかり考えていた「プ女子」の私、フラウィア・マリアにとって、この光景は脳髄が痺れるほどの至福だった。
「さあ、仕掛けるぞ。
大気圏を突破する、神速の芸術品だ!」
実況席から、一言一句が叙事詩のような熱い言葉の弾丸が飛び出す。
解説者も、往年の名優のような落ち着いたトーンで「いやあ、このスピードは現代の奇跡ですね」と、観客の興奮をいや増しに煽る。
バステトは、ロープをバーンと背中で鋭くリバウンドさせた。
その瞬間、彼女の肉体を包む神秘の装具「ソーラ・シュリンガル」が、万物の生命エネルギーであるプラーナを吸い上げて、まばゆい朱色に発光する。
「にゃあああ」
鋭い咆哮とともに、バステトの体が宙を舞った。
錐揉み回転を加えながら、一直線に相手の脳天へ突き刺さる飛び降り腕折り(ダイビング・アームブレイカー)。
グシャ。
という鈍い衝撃音とともに、巨漢の右腕が大ダメージを受ける。
「決まったあ!
肉体の幾何学、エジプトの呪術が今、リング上で完結した~」
観客席から津波のような歓声が押し寄せる。
リング中央で、バステトはそのまま相手の巨体を反転させ、目にも留まらぬ速さでフォールへと持ち込んだ。
すかさず、黒のチュニックを纏ったレフェリーが、信じられないほどの敏捷性でマットに飛び込む。
彼の動きは厳格そのもの、かつ、どこか職人めいた美学がある。
「ワン」
「ツー」
相手の肩はマットにめり込んだままだが、カウントスリーの直前、巨漢闘士が驚異的な怪力でバステトの体を跳ね除けた。
キックアウト!
会場からは『うおおお!』と、地鳴りのようなため息と拍手が沸き起こる。
これこそがプロレス、これこそが「受けの美学」だ。
ただ相手を叩きのめすだけの闘技なら、流血と死が待っている。
けれど、このルクタ・フェミナは違う。
相手の最高の技を受け切り、その上で己の輝きを魅せる魂の対話。
リングサイドで、私は胸の奥が高鳴るのを止められなかった。
私がこの世界に女子プロレスという名の、命を奪わない新しい闘技・劇を普及させてから、今年で三年。
十八歳になった私は今、創業者・オーナーとして、そしてセコンドとして、この異世界の熱狂のど真ん中に立っている。
思い返せば、私の前世はパッとしないものだった。
熱狂的なプロレスオタク、いわゆる「プ女子」が高じて、念願の女子プロレスラーになった。
けれど、新人レスラー時代に不慮の事故に遭い、志半ばで私の最初の人生は幕を閉じてしまったのだ。
無念…… なんて言葉じゃ足りない。
もっと戦いたかった、もっとあの四角いジャングルで、ファンと魂を響かせ合いたかった。
そんな私が目を覚ますと、そこは、前世の歴史で学んだ「ユスティニアヌス一世治世の東ローマ帝国」に酷似した、絢爛豪華で、かつ不穏な空気が漂う異世界「ロマニア帝国」だった。
しかも、転生先は、誰もが羨む名門貴族の血筋。
夜闇を溶かしたような黒髪に、吸い込まれそうな青い瞳。
そして、触れれば消えてしまいそうなほど透き通る、白い肌。
社会的地位も美貌も、前世の私からは想像もつかないほど恵まれたお嬢様、フラウィア・マリアとして、私は第二の生を授かったのだ。
このロマニア帝国の首都コンスタンティノープルは、地中海世界最大の人口、百万人を抱える超巨大メトロポリス。
世界中の富と、様々な文化が交差する、目も眩むような大都会だ。
街を歩けば、中央大通り(メーゼ)の両側にそびえる石造りの列柱の下に、無数の商店や屋台が軒を連ねている。
「セミティ」と呼ばれる胡麻付きパンの香ばしい匂いや、炭火で焼かれる新鮮なカツオの煙が立ち込め、貴族たちの宴席では、蜂蜜で光沢を帯びた豚肉料理「オキシメリ・ポルコ」や、泡のようにふわふわとした鶏肉料理「スプメウム」が贅沢に振る舞われる。
そんな活気と格差に満ちた異世界での暮らしは、刺激的で、本当に楽しかった。
けれど、私のオタク心は抑えきれなかった!
女子プロレスステータスが分かるようになったことに加え、この世界に流れる根源的な生命エネルギー「プラーナ」でその姿を変える神秘の装具「ソーラ・シュリンガル」の発見・開発に成功した。
頭の先から足の先まで、エネルギーの要所であるチャクラを保護し、活性化させる十六の装飾。
ダメージを受ければ輝きを失い、レベルが向上すれば無限大の力を引き出す、まさに女子プロレスのために存在するかのような神秘の衣装。
さらに、十四歳の時に皇后テオドラ様と出会い、彼女の強力な支援を取りつけて一気に「ルクタ・フェミナ」を広めることができたのだ。
貴族たちがそれぞれお気に入りの「サーカス(=ユニット)」を所有し、自由民や没落貴族、時には奴隷たちが社会的成功や名誉の回復をかけて、司法決闘としてリングに上がる。
強さだけでなく、観客の「推し」の多さや興行的な成功がポイントとして加算されるシステム。
それは、血生臭い剣闘士の時代を終わらせ、ロマニア帝国の大衆を熱狂の渦へと巻き込んでいった。
「バステト、今よ。
一気に仕留めなさい!」
私の叫びと同時に、リング上のドラマは最終局へと突入する。
バステトは相手の猛反撃である強烈なラリアットを、信じられないブリッジで回避した。
素晴らしい反応と柔軟性。
その瞬間、彼女のソーラ・シュリンガルが、今日一番のまばゆい朱と黄金色の輝きを放つ。
バックを取った。
小さな体で、巨漢の腰をがっちりとロックする。
「まさか、投げる気か。あの巨体を。
ロマニアの歴史が、今、ひっくり返るぞ~」
実況の絶叫が、コロッセオの空気を限界まで張り詰めさせる。
バステトは、相手の背後から両腕をクロスして固定した。
リバース・ゴリー・スペシャルの体勢。
そこから、彼女の跳躍力とひねりが加わる。
前方に大きく回転しながら、相手の顔面をマットへと叩きつけた。
我がサーカス・「祝祭」が誇る、ハイスピードの極致。
変形ツームストーン・パイルドライバーが炸裂したのだ。
ドガアンと、リング自体が鳴動するほどの衝撃!
巨漢闘士は完全に意識を失い、マットに大の字に倒れ伏した。
レフェリーの手が、力強く、かつ正確にマットを叩く。
「ワン」
「ツー」
「スリー!」
カン、カン、カーン!
試合終了のゴングが、五万人の大歓声の中に吸い込まれていく。
「勝者、バステト!」
リングに駆け上がった私は、マスク越しにも歓喜に震える親友を、思いきり抱きしめた。
「やったね、バステト。最高のワークだったよ!」
「マリア様。うち、勝ったよ……」
観客席から降り注ぐのは、惜しみない拍手と、色とりどりの花の嵐。
この瞬間のために、私は転生してきたのかも知れない。
最高の仲間たちと出会い、前世で愛したプロレスの様式美を、この異世界で開花させる。
名門貴族の令嬢として、誰もが羨むような、幸せの絶頂。
数か月後には、前帝の甥であり、優しく有能な東方軍司令官である最愛のフィアンセ、ヒパティウス様との結婚も控えている。
私の人生は、完璧なハッピーエンドへ向かって、一点の曇りもなく進んでいるはずだった。
だが……
この時、私はまだ知らなかった。
この五万人の熱狂の裏で、帝国の土台を揺るがす巨大な不満のマグマが、今まさに噴出の瞬間を迎えていることを。
ロマニア帝国の歴史上、最も苛烈で、最も血生臭い大暴動が、すぐそこまで迫っていることを。
そして、その過酷な運命の渦の中で、私自身がドレスを脱ぎ捨て、一人のグラディアトリクス(女性闘士)として、このリングに立たねばならなくなることを……
【次回の予告】
私が転生したロマニアの世界とは?
デーメーテールを連れ、お忍びで帝都コンスタンティノープルのメインストリート「メーゼ」へと繰り出したマリア。
豊かな食文化と活気に満ちた大都会の輝きを堪能するが、その華やかさの裏には、重税と階級格差に喘ぐ民衆の深い絶望の溝が横たわっていた。
次回、第一章 第二話「ロマニアの世界」
設定・キャラクター紹介:
https://note.com/materuto_yu/m/m728968601355




