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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第9章 役に立たない場所の歌

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第96話 削除対象

 ここはレイアノーティア。

 均衡は、乱れ始めている。


 ひとつの誤差なら、修正できる。

 ひとつの異常なら、隔離できる。

 ひとつの揺らぎなら、帳尻を合わせればいい。


 だが。


 誤差が響き合い、

 異常が支え合い、

 揺らぎが群れになった時。


 それはもう、見逃せる乱れではない。



 世界調停機構コンダクターズ・第一中枢。


 水晶の海に、波紋が走っていた。


 無数の光の線が空間を横切り、都市、街道、砂漠、戦場、避難所、魔物の発生地点を結んでいる。


 その中心で、エヴァンは静かに立っていた。


 割れたモノクルは、すでに外している。


 片目に映る数値は、今までよりもわずかに荒れていた。



 ノインが淡々と報告する。


「グレイフィールド西部、魔物群後退」


 水晶に砂漠の戦場が映る。


 灰色の力場。

 押し返された魔物。

 盾を構えたガルド。

 息を切らす冒険者たち。

 ギターを抱えたミラ。


「振動値、低下」


 次の数値が浮かぶ。


【前線維持率:想定外上昇】

【灰界圧力:一時低下】

【戦闘継続意思:回復傾向】

【音響干渉:新規記録】


 ノインの声は変わらない。


「局所戦線、崩壊せず」


 淡い光が、もう一つ浮かぶ。


【因果偏差:許容域内】


 だが、その許容域は細く震えていた。



 エヴァンの指が止まる。


「……またか」


 静かな声だった。


 だが、低い。


 水晶の表面に、次々と映像が切り替わる。


 ネームレス。


 盾の男。


 補給の少女。


 命を保留した女。


 因果を縫う手品師。


 音の支配者。


 そして、丸い獣。


 それぞれは小さい。


 単体なら、処理できる。


 単体なら、誤差として扱える。


 だが今、それらは独立していなかった。


 互いに響いている。


 互いに支えている。


 互いの不完全さを、別の誰かが埋めている。



「誤解ではない」


 エヴァンの瞳が冷える。


「収束が変質している」


 ノインが視線を上げる。


「観測対象の影響、拡大傾向ですか」


「違う」


 エヴァンは即答した。


「彼一人ではない」


 水晶の中で、ミラの音が戦場を走る。


 魔物の拍が崩れ、冒険者たちの呼吸が重なる。


 ガルドの盾が前線を固定する。

 コムギの補給が膝を戻す。

 フィーの調律が命の波を保つ。

 クラウスの糸が崩れかけた流れを繋ぐ。

 トンヌラの言葉が、それらに名を与える。


 エヴァンは低く言った。


「彼ら全員だ」



 水晶の糸が、絡み始める。


 一本ではない。


 複数の小さな線が、互いに交差し、補い、思わぬ方向へ結果を曲げている。


 補給は、ただ物資を渡しただけではなかった。


 人々の意思決定を回復させた。


 調律は、ただ命を整えただけではなかった。


 死の確定処理を保留した。


 音は、ただ戦闘の拍を揃えただけではなかった。


 戦場の意味そのものを変えた。


 防衛は、ただ攻撃を受け止めただけではなかった。


 他の者たちが動く時間を生んだ。


 そして。


 ネームレスは、ただ名前を呼んだだけではなかった。


 世界が未確定にしていた可能性を、形として通している。



 ノインが静かに言う。


「共鳴していますね」


「そうだ」


 エヴァンは水晶を見つめる。


「このまま放置すれば、個々の誤差ではなくなる」


 水晶の奥で、線がさらに複雑に絡む。


 まるで、世界の縫い目へ手をかけているようだった。


「構造そのものに、別解が発生する」


 その言葉に、リリカが小さく笑った。


「別解、ね」


 どこか楽しそうな声だった。


「いい響きじゃない」


 エヴァンは振り向かない。


「世界にとっては異常だ」


「世界にとっては、でしょ」


 リリカの言葉に、ノインが横目を向ける。


「感想は不要です」


「はいはい」


 リリカは肩をすくめる。


 だが、その目は水晶から離れていなかった。



 エヴァンは指を伸ばす。


 水晶の上に、新しい分類が浮かび上がる。


【削除対象:ネームレス】


 そこへ、さらに線が走る。


【関連個体:防衛特化個体】

【関連個体:補給系覚醒者】

【関連個体:生命調律者】

【関連個体:因果縫合者】

【関連個体:音響支配者】

【関連個体:不明生命体】


 エヴァンは無表情のまま、それを見た。


「削除対象を拡張する」


 ノインの目が、わずかに細くなる。


「ネームレスのみではなく?」


「パーティ全員だ」


 即答だった。


 水晶の光が、冷たく強まる。


「今止めなければ、構造を食い破る」



 ノインは沈黙した。


 反論ではない。


 計算している沈黙だった。


 やがて、彼女は通信結界を展開する。


「五戒魔王、最後の一体の調整が間もなく終わります」


 空間の奥に、黒い影がひとつ浮かぶ。


 まだ輪郭はない。


 名も示されない。


 だが、そこにあるだけで水晶の海が低く震えた。


 世界というプログラムを治すための装置。


 過剰な可能性を削るための機能。


 五戒の魔王。


 その最後の一体が、ゆっくりと目を開けようとしている。



 ノインは続ける。


「起動後は、段階的投入が最適です」


「対象の対応能力を測定し、過剰偏差を避けながら削るべきです」


 エヴァンは答えない。


 ノインは静かに続けた。


「出力制限の完全解除は、局所均衡を崩します」


 エヴァンの指先が、水晶に触れる。


 小さな音がした。


 硬く、冷たい音だった。


「手ぬるい」


 その声に、初めて苛立ちが滲んだ。



 ノインがわずかに目を伏せる。


「均衡維持の観点からは、推奨できません」


「均衡はすでに乱れている」


 エヴァンは水晶を強く叩いた。


 亀裂が、ほんの少しだけ広がる。


「見ろ」


 水晶に、砂漠の戦場が映る。


 ミラの音が響く。


 冒険者たちが、疲労の中でなお前へ出る。


 ガルドの盾が押し出される。


 トンヌラが、腕を組んだまま戦場を見ている。


「あれは、ただの戦闘支援ではない」


 エヴァンの声が低くなる。


「役割の外で、役割が繋がっている」


 また別の映像。


 アンタイトルへ物資を運ぶアルディウス。

 自分の足で立つエリシア。

 食べ物を受け取る人々。

 サトウを守ってネームドの里へ向かったガルド。


 さらに別の映像。


 死にかけた勇者の鼓動を保留したフィー。

 補給線に意思を乗せたコムギ。

 自分の意思で竜を断ったサトウ。


「この連鎖を止めなければ」


 エヴァンは言う。


「誤解だけでは済まなくなる」



 リリカの笑みが、少し薄くなった。


「それ、怖がってる?」


 エヴァンは振り向いた。


 その目は冷たい。


「危険を危険と認識しているだけだ」


「それを怖いって言う人もいるわよ」


「感情ではない」


「そう」


 リリカは水晶へ視線を戻す。


「でも、あの人たちは感情で動いてる」


「だから危険だ」


 エヴァンは言った。


「感情は、構造の予測を超える」


 リリカは小さく息を吐く。


「それが面白いんだけどね」


「面白さは不要だ」


「でしょうね」



 エヴァンは右手を上げた。


 水晶の海が、大きく揺れる。


 最後の五戒魔王の影が、奥でゆっくりと脈打った。


 まだ現れない。


 だが、眠りは浅くなる。


 世界のどこかで、灰界とは別の歪みが動き始める。


 遠くの街。

 別の山域。

 使われなくなった街道。

 誰も見ていない境界。


 調整のためではない。


 排除のために。



「出力制限を解除」


 ノインが確認する。


「最後の五戒、完全起動準備」


「そうだ」


 エヴァンは水晶の向こう、トンヌラたちを見た。


「次は、削るのではない」


 声が冷えていく。


「折る」



 水晶の奥で、最後の影が目を開く。


 まだ、名は明かされない。


 だが確実に。


 世界は、次の破壊を準備していた。



 そのさらに奥。


 水晶に映らない場所で、何かが一瞬だけ揺れた。


 影ではない。


 光でもない。


 記録される前に、名前だけを避けて通るような空白。


 リリカが、ほんの少しだけ目を細める。


「……今、何かいた?」


 ノインが即座に数値を確認する。


「該当記録なし」


 エヴァンは水晶を見たまま答えない。


 ただ、短く言う。


「今は関係ない」


 その言葉で、空白は再び沈んだ。



 ここはレイアノーティア。


 秩序は守られる。


 たとえ、破壊によってでも。



 第96話 了

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