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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第9章 役に立たない場所の歌

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第91話 立つ者たち

 ここはレイアノーティア。

 強い者だけが、前に立つわけではない。


 剣を持つ者がいる。

 盾を構える者がいる。

 魔法を放つ者がいる。


 だが、戦場を支えるのは、それだけではない。


 水を渡す者。

 呼吸を整える者。

 流れを読む者。

 拍を刻む者。


 そして、前に出られないまま、それでも立つ理由を探す者。



 西方砂漠。


 灰色の揺らぎが、地平を歪ませていた。


 グレイフィールド。


 砂漠の一角に浮かぶ半透明の力場は、景色そのものを薄い灰の膜で包んでいるように見えた。


 風が吹いても、そこだけ砂の流れが乱れない。


 空気が重い。


 呼吸をするだけで、肺の奥に灰が沈むような感覚がある。


 その縁に、十数名の戦闘職が並んでいた。


 剣士。

 槍使い。

 弓手。

 魔術師。

 盾役。


 鎧は擦り切れ、盾は使い古され、武器の刃も完全ではない。


 だが、彼らは立っている。



「本部からの増援は?」


「来ない!」


「来られないんだ!」


 短い怒号が飛ぶ。


 誰も驚かない。


 グレイフィールドの発生は早すぎた。

 勇者は前線から離れている。

 周辺都市は自分たちの守りで手いっぱい。


 ここにいる者たちで止めるしかない。


 その事実だけが、砂の上に重く落ちていた。



 灰の膜が脈打つ。


 次の瞬間、そこから魔物が溢れ出した。


 黒い影。

 歪な牙。

 砂を踏み砕く足。

 関節の数が合わない獣。

 顔のない人型。


 数が多い。


 だが、それ以上に質が違った。


 ただの魔物ではない。

 力場の内側で、何か余計なものを混ぜられたような濃さがある。


「……無理だろ」


 若い剣士が呟いた。


 誰も否定しない。


 勝率など、考えるまでもなかった。


 それでも、逃げれば背後はメルグラフへ続く街道だ。


 商人。

 避難民。

 負傷者。

 まだ復旧途中の町。


 ここが抜かれれば、灰はそこへ流れる。



 隊長格の男が剣を抜いた。


 声は低い。


 震えていない。


「前線、固定」


 砂漠の風が鎧を叩く。


「ここで止める」


 それだけだった。


 誰も歓声を上げない。


 ただ、武器を構え直した。



 その後方に、トンヌラたちはいた。


 トンヌラ。

 クラウス。

 フィー。

 コムギ。

 ミラ。

 ぽめ。


 前には出ない。


 出られない。


 トンヌラは前線を見た。


 魔物の数。

 戦闘職の疲労。

 砂の流れ。

 逃げ道。

 後方にいる負傷者たち。


(勝てない)


 計算などできなくても分かる。


 数も、質も、圧も違いすぎる。


 真正面からぶつかれば、押し潰される。



 クラウスが低く言う。


「戦術的勝利は不可能です」


「分かりやすく言え」


「普通に戦えば負けます」


「最初からそう言え」


 クラウスは表情を変えない。


「持久も厳しい。前線の人数が足りません」


 コムギが即座にリュックを下ろす。


「物資は三十分が限界です!」


 水袋。

 塩。

 携帯食。

 栄養剤。


 慣れた手つきで並べていく。


 フィーは前線を見て、顔色を白くした。


「負傷者が増えたら、処理しきれません」


 ミラが舌打ちする。


「つまり、地獄ね」


「はい」


 クラウスが即答した。


「最悪」


 ミラはギターの紐を握り直した。



 それでも、前線の冒険者たちは構える。


 最初の衝突は、すぐに来た。


 轟音。


 砂が舞う。


 魔物の爪が盾を叩く。


 槍が突き刺さる。


 剣が牙を弾く。


 火球が灰の膜の前で爆ぜる。


 一人が吹き飛ばされた。


 もう一人が歯を食いしばって踏みとどまる。


「下がるな!」


「列を崩すな!」


 叫びが飛ぶ。


 前線は、かろうじて形を保っていた。



 トンヌラの拳が震える。


(前に出たい)


 そう思った。


 だが、出ても意味はない。


 自分に戦闘能力はない。


 魔物を斬れない。

 盾にもなれない。

 魔法も使えない。


 無力。


 その事実を、今のトンヌラは前よりはっきり理解している。


 だからこそ、声を出した。


「後方、受け入れ準備!」


 戦えないなら、崩さない。


 倒れた者を受ける。

 乱れた列を戻す。

 逃げ道を塞がせない。


 今できることは、それだけだった。



 コムギが水と栄養剤を並べる。


「倒れたらすぐ下がらせてください!」


 声が高く響く。


「水分と塩分、切らしたら終わります!」


 フィーは吹き飛ばされた剣士のそばに膝をついた。


「呼吸を合わせて」


 傷は深くない。


 だが、疲労が重い。


 呼吸が浅い。

 鼓動が乱れている。

 恐怖が身体を固めている。


 フィーはその波をゆっくり整える。


「吸って。吐いて。大丈夫、まだ戻れます」


 クラウスは砂の流れを見ていた。


「左側、崩れます」


 指が小さく動く。


 崩れかけた足場を、ほんの少しだけ持たせる。


 時間稼ぎ。


 それだけ。


 けれど、その数秒で一人が下がれる。



 ミラがギターを構える。


 弦を鳴らす。


 音が走った。


 強い音ではない。


 まずは短く、低く。


 戦場の呼吸を拾う。


 盾の上がるタイミング。

 剣士の踏み込み。

 魔術師の詠唱。

 槍の引き戻し。


 全部がずれている。


 恐怖で早くなる者。

 疲労で遅れる者。

 無理に前へ出る者。

 退くべき時に固まる者。


 ミラは音を刻む。


 拍を置く。


 戦場に散った呼吸を、一本の線へ寄せていく。



 前線の動きが、わずかに揃った。


 盾が同時に上がる。


 剣が同じ間で踏み込む。


 魔術師の詠唱が、盾の裏で一瞬だけ守られる。


 ズレが減る。


 攻撃が噛み合う。


 一体が倒れる。


 もう一体が押し返される。


「いける!」


 誰かが叫んだ。


 だが。


 灰の膜が、また脈打つ。


 次の波が出る。


 さっきより多い。


 さっきより重い。


 質も上がっている。



 前線が押される。


 盾役の足が砂に沈む。


 槍使いの手が滑る。


 魔術師の詠唱が詰まりかける。


 トンヌラが叫ぶ。


「下げすぎるな! 列を斜めにしろ!」


 クラウスが補足する。


「右側は受けないでください。流してください」


 コムギが水袋を投げる。


「飲んで! 今、倒れないで!」


 フィーが負傷者の肩に触れる。


「意識を離さないで!」


 ミラの音が、さらに低くなる。


 まだ押し返せない。


 だが、崩れさせない。



 一体の魔物が、前線を抜けた。


 獣のような体。


 腕だけが異様に長い。


 後方へ向かって、砂を蹴る。


 若い槍使いが振り返った。


 恐怖で動きが止まる。


 トンヌラの足が前へ出た。


(ここまでか)


 勝てない。


 分かっている。


 それでも、目の前に来るなら立つしかない。


 その瞬間。


 砂が爆ぜた。



 横からの衝撃。


 魔物の巨体が吹き飛ぶ。


 重い足音が、砂に沈む。


 大きな盾が、地面に突き立った。


「防衛なら、任せてください」


 低く、静かな声だった。


 トンヌラは目を見開く。


「ガルド」


 赤い影がそこにいた。


 傷だらけの鎧。

 砂を被った外套。

 大きな盾。


 だが、その立ち姿は揺れていない。


 赤い気配は、以前より静かだった。


 荒れていない。

 暴れていない。

 ただ、守るためにそこにある。



「遅くなりました」


 ガルドは盾を構えたまま、短く頭を下げる。


「サトウさんは、無事にネームドの里へ到着しました」


 その言葉に、トンヌラの胸がわずかに緩んだ。


「受け入れられたのか」


「はい」


 ガルドは前を向いたまま答える。


「里の者たちは、彼を拒みませんでした」


 砂漠の風が二人の間を抜ける。


「今は、保護されています」


 トンヌラは小さく息を吐いた。


 後で追いつく。


 そう言った。


 だが、来られなかった。


 グレイフィールドが広がり、ここが抜かれればメルグラフが危うい。


 サトウのもとへ向かう道を選ばず、こちらへ来た。


 その事実が、胸に残っていた。


「……すまんな」


 トンヌラが言う。


「追いつくと言った」


 ガルドは首を横に振った。


「団長がここにいる理由は、分かります」


「団長ではない」


「今は、そういうことにしておきます」


 ガルドは盾を構え直した。


 赤い気配が、静かに広がる。


「サトウさんは守りました」


 前を見る。


「次は、この前線を守ります」



 前線の冒険者たちが、一瞬だけ振り向いた。


 知らない顔。


 だが、その背中は揺れない。


 ガルドは盾を構える。


「前は、崩しません」


 魔物の群れが、再び突進する。


 激突。


 轟音。


 砂嵐。


 ガルドの盾が、真正面から受け止めた。


 足元の砂が深く沈む。


 腕に衝撃が走る。


 それでも、退かない。


 防衛線が、止まった。


 押されてはいる。


 だが、崩れない。



 ミラの弦が鳴る。


 前線の呼吸が、ガルドの背中に合わせて整い始める。


 コムギが叫ぶ。


「ガルドさん、水!」


「後で!」


「今です!」


「……はい!」


 ガルドは一瞬だけ片手を伸ばし、水袋を受け取る。


 飲む。


 すぐに盾へ戻る。


 フィーが小さく笑った。


「戻ってきましたね」


 クラウスは目を細める。


「ええ。しかも報告つきです」


 トンヌラは前線を見ていた。


 胸の奥に、少しだけ安堵がある。


 サトウは守られた。


 ガルドは戻った。


 だが。


(それでも)


 トンヌラは灰の膜を見る。


(勝てない)


 今は止めているだけだ。


 押し返したわけではない。


 グレイフィールドは消えていない。



 灰の膜が、強く脈打つ。


 ドクン。


 新たな影が、奥で蠢いた。


 大きい。


 今までとは違う。


 まだ出てきてはいない。


 だが、そこにいるだけで前線の空気が重くなる。


 クラウスの目が細くなった。


「これは……」


 ミラが低く言う。


「嫌な予感しかしないんだけど」


 クラウスは静かに頷く。


「本番は、これからです」



 ここはレイアノーティア。


 英雄はいない。


 いるのは、立つ者だけ。


 そして今。


 彼らは、確かに立っている。


 だが。


 勝ち目は、まだない。



 第91話 了

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