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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第8章 正解のあとに残るもの

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第87話 里へ向かう者たち

 ここはレイアノーティア。

 英雄は、必要がなくなれば削除される。


 役割を果たす者は、称えられる。

 役割を終えた者は、記録される。

 役割から外れた者は、整理される。


 完璧な世界は、余白を嫌う。


 だが。


 人は、役割を終えたあとも生きている。



 焼け跡の街は、静かだった。


 ドラグノフの気配は消えた。


 空には、少しだけ青が戻っている。


 だが、勝利の熱はまだ広がらない。


 瓦礫。

 煙。

 焦げた石畳。

 倒れた荷車。

 壁にもたれて眠る子ども。

 泣きながら水を飲む母親。


 街は救われた。


 けれど、元に戻ったわけではない。


 救われた場所には、いつも救われなかったものの跡が残る。



 サトウは、崩れた広場の端に座っていた。


 レオンがそばで支え、リディアが回復魔法を続けている。


 バル・サンはサトウの状態を確認していた。


 剣は、少し離れた石畳の上に転がっている。


 さっきまで神話の竜を断ち切った剣。


 今は、ただ重そうな金属に見えた。


 サトウが、苦く笑う。


「はは……重いな」


 腕を伸ばそうとして、すぐに下ろす。


 指先が震えていた。


「こんなに、重かったのか」


 誰も、すぐには答えなかった。



 トンヌラは、その様子を見ていた。


 勇者は竜を倒した。


 それは確かだ。


 サトウは、自分の意思で剣を振った。


 それも確かだ。


 だが、今のサトウに勇者の光はない。


 あの金色の気配は、ほとんど燃え尽きている。


 傷ついた青年サトウ。


勇者ではなくなったわけではない。


 ただ、勇者という役割だけでは、もう彼を説明できない。



 クラウスが、高塔の方角を見ている。


 表情は穏やかだ。


 だが、目は鋭い。


「視線が消えませんね」


 トンヌラが問う。


「エヴァンか」


「ええ」


 クラウスは頷いた。


「ドラグノフは消えました。ですが、観測は続いています」


 言葉を切る。


 風が、瓦礫の隙間を抜けた。


「このままでは危険です」


 サトウが顔を上げる。


「俺が?」


「はい」


 クラウスは淡々と答える。


「あなたは勇者因子を使い切りました」


 バル・サンも静かに頷く。


「勇者の因子は急速に低下しています。今のあなたは、勇者機能の中心とは言いがたい」


 サトウは自分の手を見る。


 動かない指。


 重い剣。


 残っていない光。


「つまり、俺はもう用済みか」


 冗談のように言った。


 だが、笑えなかった。



 クラウスは否定しない。


「構造的には、そう判断される可能性があります」


 リディアが息を呑む。


「そんな言い方……」


「すみません」


 クラウスは目を伏せない。


「ですが、曖昧にすれば危険です」


 トンヌラは黙って聞いている。


 クラウスは続けた。


「勇者という中心が不安定化した。世界側は次の中心を必要とするかもしれない」


「次の勇者か」


 トンヌラが言う。


「ええ」


 クラウスの声は冷静だった。


「その時、現在のサトウさんは障害になります」


 サトウの目がわずかに揺れる。


「障害……」


「交代処理の邪魔になる」


 クラウスは静かに言った。


「だから、削除される可能性がある」



 沈黙が落ちた。


 レオンの拳が震える。


 リディアの瞳が潤む。


 バル・サンは目を伏せたまま、何も言わない。


 サトウは少しだけ笑った。


「英雄は、必要がなくなれば消されるのか」


 その声に、皮肉は薄い。


 どこか、納得すら混じっていた。


 トンヌラの胸が軋む。


 (納得するな)


 そう思った。


 だが、言葉にはしなかった。



 フィーが、クラウスに支えられながら座っている。


 顔色はまだ悪い。


 それでも、サトウを見て言った。


「消されるなんて、だめです」


 声は弱い。


 だが、はっきりしていた。


「助かった命を、そんなふうに扱ったら、だめです」


 コムギも頷く。


「生きてる人は、生きてるんです」


 リュックの肩紐を握る。


「役目がどうとか、用済みとか、そういうのは後です。まず水飲んで、何か食べて、それから考えるんです」


 サトウは少しだけ目を丸くした。


 それから、かすかに笑う。


「補給は徹底してるな」


「当然です!」


 コムギは胸を張った。


「生きてる人には補給が必要ですから!」



 トンヌラは空を見る。


 エヴァンの気配は遠い。


 だが、鋭い。


 こちらを見ている。


 消すべきものとして。


 整えるべき誤差として。


 その視線を感じながら、トンヌラは考える。


 怒りだけでは駄目だ。


 叫んでも、サトウは守れない。


 今ここで必要なのは、逃がす場所だ。


 世界の構造から外れる場所。


 調整の目が届きにくい場所。


 勇者でも、ネームレスでもなく、ただ存在できる場所。



 クラウスが、同じ結論にたどり着いたように呟く。


「……ネームドの里」


 全員が顔を上げる。


「構造を理解した者たちの領域です」


 クラウスは説明する。


「彼らは世界の内側にいながら、通常の役割体系から半歩外れている」


 トンヌラが目を細める。


「あの老人の場所か」


「はい」


 クラウスはサトウを見る。


「今のあなたは、勇者として完全には機能していない」


「だが、ただの人間でもない」


「異世界から来た者であり、勇者因子を失いかけている者です」


 サトウは黙って聞いている。


「だからこそ、干渉対象外として扱われる可能性があります」


 バル・サンが頷いた。


「理屈としては成立します」


 レオンが低く問う。


「安全なのか」


「安全とは言い切れません」


 クラウスは即答した。


「ですが、ここにいるよりは可能性が高い」


 リディアがサトウを見る。


「行くべきです」


 声が震えている。


 だが、迷いはなかった。


「今は、生きてください」



 サトウは目を閉じた。


 勇者として、この場に残るべきだ。


 そう言いそうになる自分がいた。


 街は傷ついている。


 人々はまだ不安だ。


 勇者がいなくなれば、混乱するかもしれない。


 それでも。


 今の自分がここにいることで、次の調整が始まるなら。


 それは、守ることではない。


 残ることが責任ではない時もある。


 サトウはゆっくり目を開けた。


「……分かった」


 小さな声。


「行く」


 レオンの表情が揺れる。


 リディアが涙をこらえる。


 バル・サンは静かに息を吐いた。


 サトウは三人を見る。


「でも、一人では無理だな」


 笑おうとする。


「今の俺は、たぶん剣より重い」



 その時。


 瓦礫の向こうから、重い足音が聞こえた。


 ゆっくり。


 確かに。


 誰かが歩いてくる。


 赤い気配が、風に混じった。


 トンヌラが振り向く。


 クラウスの目が細まる。


 ぽめが、丸いまま耳だけ動かした。



「護衛なら、任せてください」


 低い声だった。


 赤い影が、瓦礫の向こうから現れる。


 ガルドだった。


 盾を背負い、傷だらけの鎧で立っている。


 だが、赤い気配は以前より静かだった。


 荒れていない。


 暴れていない。


 ただ、そこにある。


 守るための赤として。



「ガルド」


 トンヌラが言う。


 ガルドは深く頭を下げた。


「団長」


 声はいつも通り、硬く丁寧だった。


「遅くなりました」


「アンタイトルは」


「ドラグノフ消滅以降、魔物発生率が急落しました」


 ガルドは答える。


「今なら、短時間なら動けます」


 そして、サトウを見る。


「あなたを、ネームドの里まで護衛します」


 サトウの目が揺れた。


「俺を?」


「はい」


 ガルドは真っ直ぐ言う。


「あなたは今、守られる側でいい」


 その言葉に、サトウは息を止めた。


 以前なら、拒んだかもしれない。


 勇者が守られるなど、ありえないと。


 だが今は違う。


 助けられることを、少しだけ知った。


 支えられることを、少しだけ許せるようになった。


 サトウは、ゆっくり頷いた。


「……頼めるか」


 ガルドは深く頷く。


「任せてください」



 レオンが前に出る。


「私も同行します」


 サトウが首を振る。


「レオンは街に残ってくれ」


「しかし」


「ここには守る人がいる」


 サトウは言う。


「俺は、逃げるんじゃない」


 言葉を探す。


「選ぶために、少し離れる」


 レオンの眉が動く。


 その言葉は、どこかトンヌラに似ていた。


 リディアが言う。


「私も、街の治療を続けます」


 声は震えているが、強い。


 バル・サンも頷く。


「私も残ります。勇者因子消失後の構造変動を確認しなければなりません」


 サトウは三人を見る。


「ありがとう」


 その言葉は、今までより少しだけ軽かった。


 誰かを安心させるための勇者の言葉ではない。


 ただ、助けてくれた仲間へ向けた言葉だった。



 ガルドがサトウの腕を支える。


 大柄な身体が、傷ついた勇者を静かに受け止める。


 赤い気配が、二人を包む。


 守る者の赤。


 だがそれは、誰かを縛るものではなかった。


 支えるために、そこにある。


 トンヌラは言う。


「先に行け」


 ガルドが振り向く。


「団長は」


「俺たちは後で追いつく」


 クラウスが補足する。


「観測の目がこちらに向いている間に、移動した方がいいでしょう」


 ガルドは頷いた。


「了解しました」


 サトウがトンヌラを見る。


「……ありがとう」


 トンヌラは首を振る。


「俺はまだ、何もしてない」


 本心だった。


 ドラグノフはサトウが斬った。


 街はコムギが支えた。


 命はフィーが繋いだ。


 流れはクラウスが縫った。


 ガルドはこれから守る。


 自分は、名前を呼んだだけだ。


 それだけで、世界は少し動いた。


 だが、まだ足りない。



 ガルドが歩き出す。


 サトウを支えながら。


 レオンとリディアとバル・サンが、その背中を見送る。


 勇者は、守られて去っていく。


 それは敗北ではなかった。


 逃亡でもなかった。


 初めて、自分で選んだ退路だった。



 背中が遠ざかる。


 赤い守護者は、今度は“運ぶ者”になった。


 サトウは振り返らない。


 振り返れば、また必要とされる顔をしてしまう気がしたからだ。


 だから、前を見る。


 ネームドの里へ。


 役割の外へ。


 選ぶための場所へ。



 コムギがぽつりと言った。


「……ミラ、探しますよね?」


 トンヌラは頷く。


「集める」


 短く。


「全員だ」


 フィーが小さく笑う。


「また、賑やかになりますね」


 クラウスが淡々と言う。


「次は調整が本気で来るでしょう」


「だろうな」


 トンヌラは空を見た。


 青い。


 静かだ。


 だが、嵐は来る。



 ドラグノフはサトウが斬った。


 コムギが街を支えた。


 フィーが命を繋いだ。


 クラウスが流れを縫った。


 ガルドがサトウを守っていく。


 自分は、定義しただけだ。


 それでも。


 胸の奥に、確かな火がある。


 仲間のために。


 悲しむ人のために。


 役割に潰されそうな誰かのために。


 自分にできることは何か。



 ぽめが足元で欠伸をする。


「くぁ」


 トンヌラは少しだけ笑った。


「行くぞ」


 誰に向けた言葉かは、自分でも分からなかった。


 仲間へか。


 世界へか。


 それとも、自分へか。


 歩き出す。


「ミラを見つける」


 瓦礫の向こうに、まだ煙が残っている。


「全員で、もう一度立つ」



 ここはレイアノーティア。


 英雄は去り、


 役割は揺らぎ、


 構造は静かに牙を研ぐ。


 だが。


 まだ終わらない。


 トンヌラは前を向く。


「次は――俺だ」


 小さく。


 誰にも聞こえない声で。


 その背中を、まだ見ている者がいた。



 第87話 了


第8章 完

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