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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第8章 正解のあとに残るもの

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第86話 破壊のコーダ

 ここはレイアノーティア。

 秩序は、壊れる前に排除する。


 揺らぎは、許容できる。

 誤差も、修正できる。

 想定外も、範囲内ならば管理できる。


 だが。


 中心を壊すものだけは、放置できない。



 高塔。


 割れたモノクルを外したまま、エヴァンは街を見下ろしていた。


 ドラグノフは消えた。


 古竜王の圧は消え、黒い炎も、再生の気配も、空を覆っていた影もない。


 瓦礫の街には、静かな風が吹き始めている。


 だが、エヴァンの視界に流れる数値は、まだ落ち着いていなかった。


【勇者機能:不安定化】

【中心軸:再定義必要】

【民衆意思決定:想定外回復】

【補給系覚醒:再評価】

【生命確定処理:保留記録あり】

【ネームレス干渉値:拡大】


 そのすべてが、ひとつの地点へ集まっていく。


 トンヌラ。


 名を預かる者。


 ネームレス。



「やはり」


 エヴァンは静かに言った。


 声は戻っている。


 冷たく、整っている。


 だが、その奥には、さっきまでなかった硬さがあった。


「あいつは秩序を壊す存在だ」


 ノインが確認する。


「監視対象から、抹消対象へ移行しますか」


 エヴァンは即答した。


「移行する」


 その声に迷いはない。


「もう、あいつらは世界のバグだ」


 リリカが目を細める。


「あいつら、なのね」


「個体ではない」


 エヴァンは言う。


「連鎖だ」


 視線が、街のあちこちへ流れる。


 水を回すコムギ。


 倒れたままでも命を留めたフィー。


 崩れかけた避難路を繋いだクラウス。


 勇者という役割に自分の意思を混ぜたサトウ。


 そして、その中心で名を呼んだトンヌラ。


「ネームレスを中心に、役割の境界が緩んでいる」


 淡々とした言葉。


 だが、言葉の端に敵意がある。


「これは、調整対象ではない」


 エヴァンの瞳が冷える。


「排除対象だ」



 空間が震えた。


 高塔の背後で、淡い紋様が黒く染まり始める。


 今までの観測の光ではない。


 均衡を取るための柔らかな干渉でもない。


 それは、もっと鋭いものだった。


 監視の糸が、敵意へ変わる。


 空気が、刃のように張る。



「私の遁走曲は、ここまでだ」


 エヴァンの声が、低くなった。


「ここからは――破壊のコーダ」


 その言葉と同時に、空間の奥で五つの影が揺らいだ。


 ディソナンス。


 ディザスター。


 ディクライン。


 ディボイド。


 そして、まだ輪郭を持たない最後の名。


 五戒の魔王。


 世界というプログラムを治すための装置。


 壊れた箇所を整え、偏りを戻し、過剰な可能性を削り取るための機能。


 その余白が、今、黒く開こうとしている。



「残る五戒、解放準備」


 エヴァンは言う。


「今度は調整ではない」


 ノインが静かに視線を下げる。


 リリカの笑みが、少しだけ薄くなる。


 エヴァンは続けた。


「殲滅だ」



 戦場。


 瓦礫の上に、静けさが降りていた。


 ドラグノフが消えたことで、街の人々は少しずつ息を取り戻している。


 泣き出す者がいた。


 座り込む者がいた。


 空を見上げたまま、何も言えない者もいた。


 勝利の歓声は、まだなかった。


 あまりにも多くのものが壊れていた。


 勝った、という言葉が、すぐには出てこない。



 サトウは、レオンに支えられて膝をついていた。


 剣は地面に落ちている。


 白い外套は破れ、胸元にはリディアの回復魔法の光がまだ残っている。


 勇者の金色の気配は、もうほとんど見えない。


 さっき神話を断ち切った青年は、今はただ、傷ついた一人の人間だった。


「サトウ様、動かないでください」


 リディアが言う。


 声はまだ震えている。


 サトウは苦く笑った。


「動けないよ」


 レオンは黙って肩を支える。


 バル・サンはサトウの状態を確認しながら、眉を寄せていた。


「勇者因子の出力、ほぼ消失」


 低く呟く。


「先ほどの一撃は、再現不能です」


 サトウは目を閉じる。


「そうか」


 不思議と、落胆はなかった。


 力が消えた。


 勇者としての特別な光が薄れている。


 以前なら、それだけで恐怖だったはずだ。


 必要とされなくなる。


 役割を失う。


 居場所がなくなる。


 だが今は、少し違った。


 あの一撃は、自分で選んだものだった。


 そして、使い切った。


 それだけは、自分の中に残っている。



 トンヌラが、サトウの前にしゃがんだ。


「よくやったな」


 短い言葉だった。


 飾りはない。


 褒めすぎてもいない。


 だが、サトウにはそれで十分だった。


「俺は……勇者だったのか」


 サトウが呟く。


 自分でも、なぜそんなことを聞いたのか分からない。


 トンヌラは即答する。


「勇者だ」


 サトウの目が揺れる。


「もう、力はない」


「関係ない」


 トンヌラは言った。


「自分で決めて振るった」


 そこで、ほんの少しだけ口元を上げる。


「それが勇者だ」



 サトウは空を見上げた。


 雲の隙間から、青が覗いている。


 召喚された日を思い出す。


 魔法陣。


 王城。


 兵士たちの視線。


 アークレイド王の声。


 勇者として来てほしい。


 世界を救ってほしい。


 その瞬間から、自分は勇者だった。


 選んだわけではない。


 求められた。


 必要とされた。


 だから、応えた。


 だが今。


 ようやく分かった気がする。


 求められたからではなく、選んだから立てる瞬間がある。



「トンヌラ」


 サトウはかすれた声で言った。


「俺は、異世界から来た」


 レオンがわずかに目を伏せる。


 リディアは何も言わない。


 バル・サンも黙っている。


 彼らは知っていた。


 だが、サトウが自分の口で言うのは、初めてだった。


「ニホンという国だ」


 遠くを見る。


 瓦礫の街ではない。


 ここではない、どこかを。


「向こうでも、俺は同じだった」


 サトウは笑おうとした。


 上手く笑えなかった。


「頼まれたら断れない」

「期待されたら、応えなきゃと思う」

「失望されるのが怖い」

「必要とされていない自分が、怖い」


 言葉にすると、ひどく小さなことに聞こえた。


 だが、その小さな恐怖が、自分をずっと縛っていた。


「こっちに来て、勇者になって。剣を持って、魔物を倒して。そして」


「ありがとうって言われて」


 息を吐く。


「変わったつもりだった」


 地面に落ちた剣を見る。


「どこへ行っても、自分が変わらなければ何も変わらないんだな」



 トンヌラは黙って聞いていた。


 茶化さない。


 否定もしない。


 ただ、そこにいる。


 サトウは続ける。


「なあ」


 空を見る。


「帰る方法、あると思うか?」


 リディアの指が、わずかに止まった。


 レオンの表情が硬くなる。


 バル・サンは目を伏せる。


 誰も、すぐには何も言わなかった。



 トンヌラは少し考えた。


 そして、いつもの調子で言う。


「あるだろうな」


 サトウが目を向ける。


「根拠は?」


「ない」


「ないのか」


「世界は構造だ」


 トンヌラは空を見た。


「なら、抜け道もある」


 あまりにも雑な理屈だった。


 だが、今のサトウには、なぜかその雑さが少し心地よかった。


 バル・サンが静かに付け加える。


「勇者因子が消失した今、世界側からの拘束は弱まっている可能性があります」


 クラウスが頷く。


「構造的にも、以前より外部存在に近い状態でしょう」


 サトウは二人を見る。


「帰れるかもしれない、ということか」


「可能性はあります」


 バル・サンの答えは慎重だった。


 クラウスは少しだけ笑う。


「可能性があるなら、十分です」



 フィーが、クラウスに支えられたまま小さく言った。


「帰りたいの?」


 声は弱い。


 だが、責める響きはなかった。


 サトウはしばらく黙った。


 瓦礫の街。


 傷ついた仲間たち。


 助けてくれた人たち。


 自分を必要とした世界。


 そして、遠いニホン。


「分からない」


 正直に言った。


「でも」


 息を吸う。


「選べるなら、選びたい」


 フィーは小さく頷いた。


「それでいいと思う」


 リディアは目を伏せたまま、何も言わない。


 レオンは拳を握った。


 バル・サンは、静かにサトウを見ている。


 勇者パーティの誰も、すぐに引き止めなかった。


 それが、答えのようでもあった。



 トンヌラは立ち上がる。


 空を見上げる。


 エヴァンの気配は、遠くにある。


 消えていない。


 むしろ、先ほどよりも鋭くなっている。


「帰る方法、探すか」


 トンヌラは言った。


 それは優しさではない。


 慰めでもない。


 解放だった。


 勇者という檻から。


 世界が勝手に決めた役割から。


 必要とされ続けなければならないという恐怖から。



 その時。


 空が、わずかに軋んだ。


 誰かが見ている。


 そんな感覚が、戦場全体に落ちる。


 クラウスが目を細める。


「来ますね」


「何が」


 トンヌラが問う。


「調整ではありません」


 クラウスは空を見る。


「敵意です」



 空間の奥で、黒い影が揺れた。


 一つではない。


 複数。


 まだ形は見えない。


 だが、そこにある圧だけは分かる。


 街を整えるための優しい干渉ではない。


 帳尻を合わせるための微調整でもない。


 壊すための気配だった。



 トンヌラは空へ向かって言う。


「正しいかもしれないな」


 突然の言葉に、周囲が振り向く。


 トンヌラは続けた。


「均衡も」

「調整も」

「管理も」


 瓦礫の街に、風が通る。


「世界を壊さないための方法なんだろう」


 その声は、怒鳴っていない。


 むしろ静かだった。


「でもな」


 トンヌラは、まっすぐ空を見た。


「正しい世界が、俺の世界とは限らない」


 フィーが顔を上げる。


 コムギが息を呑む。


 クラウスが、わずかに笑う。


 トンヌラは言う。


「だから俺は、好みで選ぶ」



 空気が、張り詰めた。


 どこか遠くで、エヴァンの気配が強くなる。


 返答はない。


 だが、沈黙そのものが怒りのようだった。


 トンヌラはさらに続ける。


「世界が正しいかどうかは知らん」


 声は低い。


「でも、俺が好む世界かどうかは、俺が決める」



 高塔。


 エヴァンの瞳が冷える。


「感情論だ」


 その声は、空間を越えて届いた。


 トンヌラは即答する。


「そうだ」


 迷いはない。


「だから強い」



 ノインが後退する。


 リリカが微笑む。


「面白くなってきたわね」


 エヴァンは手を上げる。


 背後の黒い影が、さらに濃くなる。


「次は本気だ」


 声が、戦場へ落ちる。


「五戒を、潰す」


 その言葉に、コムギの肩が震えた。


 フィーの目が揺れる。


 クラウスの表情が消える。


 トンヌラは動かない。


 ただ、空を見ている。


「そして」


 エヴァンの声が冷たくなる。


「ネームレス」


 その名に、空気が凍る。


「お前も消す」



 黒い影が、閉じる。


 高塔の気配が遠ざかる。


 だが、消えたわけではない。


 今までとは違う。


 これは観測ではなかった。


 調整でもなかった。


 宣戦布告だった。



 静寂。


 炎の残り香。


 崩れた街。


 その中で、ぽめが欠伸をした。


「くぁ」


 誰も、少しの間、何も言わなかった。


 最初に動いたのは、コムギだった。


「……とりあえず、水、回します」


 声は少し震えている。


 だが、ちゃんと前を向いている。


「生きてる人は、飲んだ方がいいです」


 フィーが小さく笑う。


「うん」


 クラウスが頷く。


「避難路の再整理をします」


 レオンはサトウを支え直す。


 リディアは回復を続ける。


 バル・サンは空を見上げたまま、唇を結んでいる。


 サトウは、トンヌラを見る。


「お前は、怖くないのか」


 トンヌラは少し考えた。


「怖いな」


 即答だった。


「怖いのか」


「怖いに決まっている」


「そうか」


 サトウは、なぜか少し笑った。



 トンヌラは、瓦礫の上から街を見た。


 ドラグノフは消えた。


 だが、世界はまだ終わっていない。


 むしろ、ここから始まる。


 五戒の魔王。


 本気の調整。


 勇者の帰還問題。


 そして、自分自身の役割。


 自分には、剣がない。


 魔法もない。


 竜を倒す力もない。


 それでも。


 名を呼ぶことはできる。


 誰かの可能性を、世界へ向けて定義することはできる。


 なら、やるしかない。



 ここはレイアノーティア。


 秩序は、破壊を恐れる。


 だが。


 破壊は、時に選択を生む。


 勇者は、役割の外を見た。


 ネームレスは、世界の敵として見られた。


 そして。


 五戒は、次の局面へ進む。



 第86話 了

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