表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第8章 正解のあとに残るもの

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
83/107

第83話 勇者という檻

 ここはレイアノーティア。

 光は、逃げ場を持たない。


 照らす者は、常に前に立つ。

 救う者は、常に手を伸ばす。

 期待される者は、期待に応え続ける。


 けれど。


 光であることを求められ続けた者は、いつか自分の影を見失う。



 煙の中。


 サトウの指が、わずかに動いた。


 リディアの回復魔法が、途切れず注がれている。


 胸元の傷は、まだ深い。

 砕けた鎧の下には、血が滲んでいる。

 呼吸も安定しているとは言えない。


 それでも。


 鼓動は、落ちきっていない。


「……心拍、安定し始めました」


 バル・サンが静かに告げた。


 その声には、わずかな驚きが混じっている。


 リディアは息を吐いた。


「よかった……」


 その言葉と同時に、膝が崩れそうになる。


 レオンが彼女を支えた。


「まだ終わっていない」


「分かっています」


 リディアは頷き、再び光を重ねる。


 そのそばで、フィーは青白い顔をして座り込んでいた。


 クラウスが肩を支えている。


 フィーの手は、まだサトウの胸元へ向けられている。


 淡い膜のような光が、消えないように。


 死という結論が、落ちきらないように。



 サトウの瞼が震えた。


 ゆっくりと、開く。


 視界はぼやけていた。


 空は赤い。

 瓦礫がある。

 遠くで、ドラグノフの咆哮が聞こえる。


 身体が重い。


 腕が上がらない。

 剣の感触も、遠い。


「……僕は」


 声が、かすれた。


 リディアが顔を上げる。


「サトウ様……!」


 サトウは、状況を理解しようとした。


 自分は倒れた。

 致命傷を負った。

 リディアが治している。

 レオンが守っている。

 バル・サンが戦線を維持している。


 そこまでは分かる。


 だが。


 自分の命を、誰かが掴みとめている。


 その感覚だけが、どうしても異物のように残っていた。


「フィーさんが、保持しました」


 バル・サンが言う。


「あなたは助けられた」


 助けられた。


 その言葉が、サトウの胸へ深く刺さった。



 サトウの視線が、ゆっくり動く。


 フィーを捉えた。


 フィーは膝をついたまま、青白い顔で息をしている。


 それでも、手は離していない。


「……君が?」


 サトウの声はかすれていた。


 フィーは小さく頷く。


「終わらせなかった、だけです」


 息を整えながら言う。


「あとは、リディアさんが回復してくれています」


 リディアが唇を噛む。


「私だけでは、間に合いませんでした」


 その言葉に、サトウの呼吸が乱れた。


 助けられた。


 自分は。


 勇者である自分が。


 助けられた。



 胸の奥が、急速に冷えていく。


 記憶が走った。


 暑い夏の日の会議室。


 上司の声。


『サトウ君ならできるよな?』


 山積みの資料。

 深夜のオフィス。

 同僚の視線。


『君がいるから安心だ』


 その言葉は、褒め言葉だった。


 必要とされている証拠だった。


 だから、笑って頷いた。


 できます。

 大丈夫です。

 任せてください。


 そう言えば、居場所があった。


 だが、できなかった時。


 沈黙があった。


 空気が変わった。


 誰も責めていないようで、誰も見ていないようで、それでも確かに何かが剥がれ落ちた。


 必要とされなくなる。


 それが、怖かった。



「……僕は」


 サトウの声が震えた。


「僕は、勇者だ」


 誰に言っているのか、自分でも分からなかった。


「助けられる側じゃない」


 レオンが言葉を失う。


 リディアの表情が揺れる。


 バル・サンは黙ってサトウを見ている。


 サトウの視線が、崩れていく。


「勇者は、助ける側だ」


 かすれた声。


「前に立って、敵を倒して、安心させて」


 呼吸が荒くなる。


「そうじゃないと……」


 言葉が止まる。


 言いたくなかった。


 だが、止められなかった。


「必要とされなくなる」



 遠くで、ドラグノフが塔を砕いた。


 炎が空を染める。


 地面が震える。


 サトウの目に、その巨体が映る。


 古竜王。


 何度斬っても、立ちはだかる暴力。


 自分は倒れた。


 街はまだ燃えている。


 人々は逃げている。


 そして、自分のいない場所で、別の誰かが街を支えている。


「無理だ……」


 小さな声が漏れた。


 レオンが目を見開く。


「サトウ様」


「こんな化け物……」


 サトウは震える息を吐いた。


「僕じゃ、足りない」


 初めてだった。


 この世界に召喚されてから、ずっと勇者として立ってきた。


 強くなければならなかった。


 迷ってはいけなかった。


 助けを求める側になってはいけなかった。


 けれど今。


 言葉が、落ちた。


「僕じゃ、足りないんだ」



 その姿を見て、トンヌラの胸が静かに軋んだ。


(ああ)


 こいつは敵じゃない。


 ただ、縛られている。


 “必要とされ続けること”に。


 期待に応えることでしか、自分を保てなかった者。


 勇者という名を与えられて、その役割の中で息をしてきた者。


 トンヌラの怒りが、静かに形を変える。


 エヴァンへの怒り。


 構造への怒り。


 人を役割へ押し込み、使えるかどうかで処理する世界への怒り。


 サトウは、悪くない。


 構造が、悪い。



 トンヌラは、一歩前へ出た。


 レオンが警戒する。


「何をする」


「話すだけだ」


 短く答える。


 トンヌラはサトウの前にしゃがんだ。


 目線を合わせる。


 倒れた勇者と、何者でもない男。


 光の中心にいた者と、光の外側にいた者。


 その二人が、瓦礫の上で向かい合う。


「助けられたな」


 トンヌラは言った。


 サトウの眉が震える。


 その言葉は、残酷だった。


 だが、逃がさなかった。


「それでいい」


 短い。


 断言だった。



 サトウの唇が動く。


「よくない」


「いい」


「僕は勇者だ」


「知っている」


「勇者は、助ける側だ」


「そうだな」


 トンヌラは否定しない。


 否定しないまま、続ける。


「でも、勇者だからって、死ななきゃいけないわけじゃない」


 静寂。


 サトウの目が揺れる。


 その言葉は、彼の中にある何かへ触れた。


「……責任がある」


「あるだろうな」


 トンヌラは頷く。


「人に必要とされることに応えるのは、立派だ」


 そこで一度、言葉を切った。


「でもな」


 声が、低くなる。


「檻にするな」



 サトウの呼吸が止まった。


 檻。


 その言葉が、胸の奥に響く。


 勇者という名。


 人々の歓声。


 仲間の期待。


 王国の願い。


 助けてくれという声。


 ありがとうという涙。


 その全部が、自分を支えていた。


 同時に。


 逃げ場を奪っていた。


「背負うかどうかは、お前が決めろ」


 トンヌラは言う。


「必要とされるから背負うんじゃない」


 まっすぐ見つめ、続けて言った。


「お前が選ぶから、背負えるんだ」


 サトウは何も言えなかった。


 今まで、誰もそんなことを言わなかった。


 勇者だから。

 選ばれたから。

 力があるから。

 期待されているから。


 だから、背負う。


 そういうものだと思っていた。


 けれど。


 選ぶ。


 その言葉だけが、胸の奥で小さく揺れた。



 ドラグノフが再び咆哮する。


 レオンの盾がきしむ。


 バル・サンが叫ぶ。


「拘束、限界が近い!」


 リディアは回復を続けている。


 フィーは青白い顔のまま、サトウの命を保留し続けている。


 コムギが避難列へ声を飛ばす。


「まだです! まだ終わってません!」


 街は燃えている。


 何も解決していない。


 それでも、サトウの中では何かが崩れ始めていた。


 壊れるのではない。


 檻に、ひびが入る音だった。



 トンヌラは空を見上げた。


(俺にできることは何だ)


 剣はない。


 魔法もない。


 竜を倒す力もない。


 あるのは。


 名を呼ぶこと。


 定義すること。


 誰かの中にある可能性を、世界へ向かって言い張ること。


 それだけだ。


 なら。


 それをやるしかない。



 トンヌラはサトウへ視線を戻した。


「お前を、解放する」


 宣言ではない。


 誓いでもない。


 ただの決意だった。


 サトウが、かすれた声で聞く。


「……何から?」


 トンヌラは遠くの塔を見た。


 そこにいるはずの、世界を整える者を見据えるように。


「世界からだ」



 遠くの塔。


 エヴァンの視界に、数値が走る。


【勇者精神安定値:低下】

【中心軸揺らぎ検知】

【構造従属率:変動】


 エヴァンの額に、初めて汗が落ちた。


「……勇者の中心軸が揺れている」


 ノインが確認する。


「精神崩壊ではありません」


 リリカが小さく笑う。


「じゃあ何?」


 ノインは数値を見る。


「判定不能」


 エヴァンは唇を結んだ。


「判定不能、か」


 その声には、冷たい苛立ちが混じっていた。



 戦場。


 サトウはまだ立てない。


 剣も握れない。


 胸の傷は、まだ塞がりきっていない。


 勇者として、何もできない。


 だが。


 トンヌラの言葉だけが、胸の奥に残っている。


 檻になるな。


 背負うかどうかは、自分で決めろ。


 世界から、解放する。


 何の根拠もない言葉だった。


 無責任で、無謀で、戦況を何一つ好転させない言葉だった。


 それでも。


 サトウは、その言葉を聞いて、ほんの少しだけ息ができた。



 ここはレイアノーティア。


 勇者は光だ。


 だが、その光が強すぎると、逃げ場を失う。


 助けられることを許された時。


 光は初めて、自分の影を知る。



 ドラグノフが翼を広げる。


 炎が迫る。


 まだ戦いは終わらない。


 だが今。


 勇者という檻に、確かにひびが入った。



 第83話 了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ