表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第8章 正解のあとに残るもの

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
82/105

第82話 代命猶予(ハートモラトリアム)

 ここはレイアノーティア。

 世界は、終わったものを処理する。


 倒れた者。

 折れた者。

 役割を終えた者。


 構造はそれを記録し、整理し、次へ進む。


 だが。


 人の命は、処理されるためにあるわけではない。



 サトウの血が止まらない。


 胸元の鎧は砕け、白い外套は赤く染まっていた。


 呼吸は浅い。


 鼓動は、途切れかけている。


 リディアの回復魔法が、何度も傷口へ注がれていた。


 光は確かに届いている。


 だが、弾かれる。


 塞がりかけた傷が、また開く。

 戻りかけた血流が、また崩れる。

 繋がりかけた魔力経路が、内側から裂ける。


「お願い……」


 リディアの声は震えていた。


「塞がって……!」


 バル・サンが魔法陣を展開しながら、顔を歪める。


「損傷が深すぎます」


 冷静であろうとする声。


 だが、隠しきれていない。


「心停止まで……数十秒」


 その言葉が、戦場の空気を凍らせた。



 レオンは盾を構えたまま、歯を食いしばっている。


 ドラグノフはまだ近い。


 サトウが倒れたことで、竜の圧はさらに増していた。


 まるで、中心を失った世界を押し潰すように。


「近づけさせるな!」


 レオンが叫ぶ。


 盾が竜の爪を受ける。


 衝撃で足元の石畳が砕けた。


 バル・サンの光鎖が、ドラグノフの前脚をわずかに縛る。


 だが長くは持たない。


 時間がない。


 あまりにも、時間がない。



 遠くの塔。


 エヴァンの視界に、数値が浮かび上がっていた。


【勇者死亡確率:九十三パーセント】


 その数字を見ても、エヴァンの表情は変わらない。


 勇者が倒れる。


 それは大きな損失だ。


 だが、世界は止まらない。


 止めてはならない。


「勇者機能、損壊」


 エヴァンは淡々と言った。


「交代処理の準備だ」


 ノインが横で確認する。


「次期勇者候補、検索を開始できます」


 リリカは目を細めた。


「今の勇者、まだ生きてますよ」


「そうだね。確定前だ」


 エヴァンは答える。


「だが、確率は十分だ」


 その声には迷いがなかった。


「世界は、中心を失ってはならない」


 淡々と、冷たく。


「勇者は、また呼び出せばいい」


 リリカの表情から、ほんの少しだけ笑みが消えた。


「……便利ね」


「必要だ」


 エヴァンは言った。


「世界は、続かなければならない」



 戦場。


 フィーの手は、サトウの胸の上で震えていた。


 生命の波が、崩れていく。


 断絶。


 終端。


 命が、終わりへ向かっている。


 それが分かる。


 分かってしまう。


「……無理」


 フィーの唇から、かすれた声が漏れた。


「治せない」


 その言葉は、誰に向けたものでもなかった。


 自分自身へ落ちた言葉だった。


 治せない。


 戻せない。


 失われていくものを、引き戻せない。


 あの時と同じだった。


 届くと思った命が、指の間から落ちていく。


 理解できたのに。


 分かったのに。


 それでも、届かない。



 リディアが必死に光を重ねる。


「お願い、どいて……!」


 声は拒絶ではなかった。


 焦りだった。


「私が、もっと……!」


 フィーは動けなかった。


 どけばいい。


 自分では治せない。


 聖女であるリディアに任せた方がいい。


 それが正しい。


 たぶん、その方が正しい。


 だが。


 手を離した瞬間、この命が落ちる。


 その感覚だけが、指先に残っている。



 トンヌラが前に出た。


 サトウの血の匂い。


 リディアの光。


 フィーの震える肩。


 倒れた勇者。


 それらを見て、トンヌラは深く息を吸う。


「フィー」


 名前を呼んだ。


 命令ではない。


 責める声でもない。


 選択を渡すための声だった。


「まだ終わったわけじゃない」


 フィーの瞳が揺れる。


「でも……」


 声が震える。


「治せません」


「そうか」


 トンヌラは否定しなかった。


 その一言に、フィーは息を呑む。


「治せないなら」


 トンヌラは低く言った。


「終わらせるな」



 空気が止まる。


 フィーの指先が、わずかに動いた。


「終わらせるな……?」


「世界に決めさせるな」


 トンヌラの声が、戦場に響く。


「生きるか死ぬかを、構造に処理させるな」


 サトウの鼓動が、さらに弱まる。


 リディアの光が揺れる。


 レオンが盾の向こうで呻く。


 バル・サンが魔法陣を維持しながら、こちらを見る。


 トンヌラは続けた。


「治せなくてもいい」


「戻せなくてもいい」


「だが、まだ息がある」


 (それなら)


「死を完了させるな」



 クラウスが静かに言った。


「死は、まだ確定していません」


 その言葉が、フィーの中へ落ちる。


 治せない。


 戻せない。


 でも。


 終わらなければ。


 まだ“死”ではない。



 フィーの中で、何かが噛み合った。


 整える力では足りない。


 修復では届かない。


 命の流れを本来へ戻すだけでは、この傷には届かない。


 ならば。


 終わりへ落ちる寸前の命を、ほんの少しだけ留める。


 死という結論へ進む世界に、待ってと言う。


 まだ終わっていないと、言い張る。



(待って)


 フィーは、心の中で呟いた。


(まだ終わってないから)


 震える手が、サトウの胸へ触れる。


 優しく。


 だが、強く。


「……終わらせない」


 その声は小さかった。


 けれど、確かだった。



 トンヌラは腕を組んだ。


 いつものように。


 場違いなほど大仰に。


 そして、言う。


「命は可能性だ」


 フィーの瞳に、淡い光が宿る。


「生命調律者フィーよ」


 トンヌラの声が、静かに響いた。


「今この瞬間だけ、死を保留しろ」


 迷いなく続ける。


代命猶予ハート・モラトリアム



 世界の音が、遠のいた。


 鼓動だけが響く。


 トクン。


 トクン。


 止まりかけた鼓動が――。


 止まりきらない。



 サトウの胸元に、淡い膜のような光が広がった。


 それは治癒ではない。


 凍結でもない。


 時間停止でもない。


 ただ、死という結論だけが、ほんの少しだけ先へ送られている。


 血の流出が、増えない。


 傷は塞がっていない。


 骨も戻っていない。


 魔力経路も壊れたままだ。


 だが、悪化しない。


 落ち続けていた命が、崖の縁で止まっている。



 リディアが息を呑んだ。


「……心拍が、落ちきらない」


 バル・サンが魔法陣越しに数値を見る。


「回復していない」


 声が震える。


「なのに、生存状態が維持されている」


 レオンが叫ぶ。


「ならば、今のうちに回復を!」


 リディアははっとして、再び両手をかざした。


 光が強まる。


 今度は、弾かれない。


 死へ落ちる力が保留されている間に、回復が追いつき始める。



 代わりに。


 サトウにかかっていた負荷が、フィーへ流れ込んだ。


「っ……!」


 フィーの胸が焼ける。


 肺が軋む。


 視界が暗くなる。


 鼓動が一瞬、自分のものではなくなる。


 死へ向かう重さを、ほんの少しだけ肩代わりしている。


 フィーの膝が崩れかけた。


 クラウスが支える。


「保持です」


 静かな声。


「死は、完了していない」


 そして、珍しく声を張った。


「今です。回復魔法を続けてください!」


 リディアが頷く。


「はい!」


 光が、サトウの胸へ流れ込む。



 遠くの塔。


 エヴァンの視界で、数値が乱れた。


【勇者死亡確率:固定失敗】

【確定処理:保留】

【交代処理:停止】


 エヴァンが、初めて沈黙した。


「……確定しない?」


 ノインが淡々と告げる。


「死亡判定、停止しています」


 リリカが目を丸くしたあと、小さく笑った。


「可愛い力ね」


 エヴァンは振り向かない。


 リリカは続ける。


「“ちょっと待って”って、世界に言ってるみたい」


 エヴァンの指先が、わずかに止まる。


「ありえない」


 声が低い。


「死は結果だ。結果は処理される」


 ノインが答える。


「ですが、処理が保留されています」


「誰が許可した」


 誰も答えなかった。


 答えは、塔の外にある。


 フィーの震える手。


 トンヌラの定義。


 そして、まだ終わっていない命。



 戦場。


 レオンが盾を押し返す。


「勇者は生きている!」


 その声が、広場に響いた。


 人々の間に、ざわめきが走る。


「生きてる……?」


「勇者様が……?」


「まだ、終わってない……!」


 恐怖で崩れかけていた避難列が、踏みとどまる。


 コムギが叫んだ。


「水を回して!」

「立てる人は支えて!」

「まだ終わってません!」


 クラウスが避難路を指し直す。


「流れを戻します。北側へ」


 トンヌラはフィーの肩を掴んだ。


「よくやった」


 短い言葉だった。


 フィーは震えながら、息を吐く。


 顔は青白い。


 だが、手はまだ離していない。


「私は戦えません。でも」


 掠れた声で。


「まだ、見えてます」


 命が落ちていく流れ。

 戻れるかもしれない余白。

 終わりきっていない鼓動。


「だから、手は離しません」


 トンヌラは頷く。


「ああ」



 空で、ドラグノフが咆哮した。


 古竜王の圧は、まだ消えていない。


 街はまだ燃えている。


 勇者はまだ倒れている。


 何も解決していない。


 けれど。


 世界は、少し狂った。


 処理されるはずだった死が、処理されなかった。


 交代するはずだった勇者が、交代しなかった。


 終わるはずだった命が、まだそこにある。



 ここはレイアノーティア。


 死は自然だ。


 だが。


 “確定”は、意志だ。


 ならば、人は時々。


 終わりにさえ、待てと言える。



 第82話 了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ