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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第8章 正解のあとに残るもの

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第81話 予測不能

 ここはレイアノーティア。

 管理は、狂いを嫌う。


 整っているものは扱いやすい。

 予定された恐怖は、誘導できる。

 予定された絶望は、演出できる。

 予定された希望は、中心へ集められる。


 だが。


 人が、自分で立ち上がる瞬間だけは、少しだけ読みづらい。



 塔の上。


 エヴァンは静かに戦場を見下ろしていた。


 背後では、淡い紋様がゆっくりと回転している。


 数式。

 確率。

 人口減少率。

 恐怖指数。

 崩壊曲線。


 それらが、淡い光の線となって空間に流れていた。


 街は燃えている。


 古竜王ドラグノフは、まだ空にいる。


 勇者サトウは戦っている。


 そのすべては、想定範囲内だった。



「調整値、再計算」


 エヴァンは淡々と言った。


「補給系介入により、人口減少率低下」


 数式が書き換わる。


「恐怖指数、想定より回復傾向」


 次の式が揺れる。


「避難効率、上昇」


 さらに別の線が、わずかに軌道を変えた。


 エヴァンは目を細める。


 本来なら、ここで崩壊が加速するはずだった。


 勇者が一度押される。

 街が絶望する。

 恐怖が高まりきる。

 その上で、勇者が再び立つ。


 そうすれば、人々の希望はさらに強く中心へ集まる。


 勇者という光は、絶望の深さによって強くなる。


 それが、最適解だった。



 だが。


 崩れない。


 避難が整列している。


 暴走が収束している。


 水が回り、パンが分配され、塩が口に入り、栄養剤が倒れそうな者へ渡されている。


 人が、立ち上がっている。


 誰かに命令されたからではない。


 ただ、受け取り、食べ、飲み、隣へ渡し、自分で足を出している。


「……予測値、ズレ」


 エヴァンの声が、ほんのわずかに低くなった。


「補給系覚醒」


 静かに事実だけを口にする。


「意思決定回復を伴う精神安定化……?」


 視線が、街の一角へ向く。


 小柄な影。


 走る。

 配る。

 叫ぶ。


 コムギだ。


 リュックを背負い、煤だらけになりながら、人々の間を駆け回っている。


「誤差、拡大傾向」


 エヴァンの指が止まる。


 ただの回復ではない。


 ただの補給でもない。


 人々が、受け取る意思を取り戻している。


 それが、数値を押し返している。



 エヴァンの視線が、次にトンヌラへ向く。


 瓦礫の上に立ち、声を出している男。


 剣を持っているわけではない。

 魔法を放っているわけでもない。

 竜に届く力を持っているわけでもない。


 それなのに。


 その周辺だけ、計算の線がわずかに乱れる。


「依然、管理不能」


 エヴァンは呟いた。


 それだけは、変わらない。



 背後で、ノインが静かに観測している。


「数値はまだ許容範囲です」


 冷静な声だった。


「補正可能域。ドラグノフの出力を微調整すれば、恐怖指数は再上昇します」


 リリカは小さく笑った。


「でも、面白くなってきたわね」


 視線は街へ向いている。


「補給で人が立つなんて、ちょっと可愛いじゃない」


 ノインが横目で見る。


「可愛い、という判定は不要です」


「不要でも、可愛いものは可愛いのよ」


 リリカは楽しそうに言う。


 だが、エヴァンは笑わなかった。


 感情ではない。


 観測値の問題だ。


 崩れるべき場所が、崩れない。


 それは、管理にとって小さな異常だった。



「均衡を再構築する」


 エヴァンは目を閉じた。


 指先が、わずかに動く。


 遠く、空を旋回していたドラグノフの内部式が書き換わる。


【攻撃頻度:上昇】

【突進確率:上方修正】

【勇者接触率:上昇】

【市街被害拡大:抑制範囲内】


 竜の黄金の瞳が、ぎらりと揺れた。


 次の瞬間。


 ドラグノフは、翼をたたんだ。



 戦場。


 勇者サトウは息を荒げていた。


 白い外套は裂け、額には汗が滲んでいる。


 それでも、立っている。


 剣を握る手は、まだ緩んでいない。


「レオン、左を!」


「了解!」


 レオンが盾を構える。


 バル・サンが魔法陣を重ねる。


「進路、三方向に分岐」

「最短軌道はこちらで潰します」


 リディアは祈りを重ねる。


 光がサトウの腕を包み、裂けた傷を塞いでいく。


 完璧な連携だった。


 勇者パーティは、まだ崩れていない。



 その最中。


 サトウの視界に、街が映った。


 人々が――逃げている。


 整列して。


 支え合って。


 転ばずに。


「……?」


 一瞬、違和感が胸をかすめた。


 崩れたはずの避難所が、まだ機能している。


 兵士が立ち上がっている。

 子どもが走っている。

 泣いていた母親が、別の誰かを支えている。


 水が回っている。


 パンが分けられている。


 誰かが誰かを見ている。


 サトウの眉が、わずかに動いた。


「あいつら……?」


 遠くに見える影。


 トンヌラ。

 コムギ。

 クラウス。

 フィー。


 勇者パーティではない者たち。


 正解の外側に立っていたはずの者たち。


 彼らが、街を持ちこたえさせている。



「街が……」


 バル・サンも気づいた。


 魔法陣を維持しながら、目を細める。


「想定より、避難効率が高い」


 レオンが低く言う。


「勇者様の奮戦の結果だ」


 言葉は力強かった。


 だが、サトウは違うと分かってしまった。


 もちろん、自分たちは戦っている。


 ドラグノフを止めている。

 街の中心から離している。

 炎を受け、爪を弾き、竜の注意を引いている。


 それは間違いなく必要なことだ。


 だが、今街を動かしているのは、それだけではない。


 あの男が声を出している。

 あの小柄な少女が補給を回している。

 あの女性が命を見ている。

 あの手品師が流れを縫っている。


 自分の知らないところで、街が支えられている。



 胸の奥に、小さな感情が生まれた。


 悔しさに似ていた。


 焦りにも似ていた。


 安堵にも似ていた。


 分からない。


 ただ、はっきりと一つだけ浮かぶ。


(俺が中心のはずだ)


 そう思った瞬間。


 サトウ自身が、その思考に息を呑んだ。


 中心。


 必要とされる場所。


 光の集まる場所。


 そこに立っていることで、自分は勇者でいられた。


 だが今。


 街は、別の場所でも立ち上がっている。


 自分だけを見ていない。



 その、半拍。


 たったそれだけの揺らぎを、ドラグノフは逃さなかった。


 いや。


 正確には、世界が逃さなかった。



 ドラグノフが、真正面から突進してくる。


 翼をたたみ、巨体を一本の槍のようにして、空を割る。


 バル・サンが叫んだ。


「来る――!」


 魔法陣が展開される。


 レオンが盾を構える。


 リディアの祈りが強まる。


 サトウは剣を握り直す。


 だが。


 回避が、半拍遅れた。



 衝撃。



 世界が、白く飛んだ。


 サトウの身体が宙を舞う。


 鎧が砕ける。

 骨が軋む。

 血が空中に線を引く。


 地面に叩きつけられた瞬間、乾いた音がした。


 誰もが一瞬、息を止めた。



「サトウ!」


 リディアの悲鳴が響く。


 血が、溢れている。


 胸が深く抉れていた。


 勇者の身体から、命が急速に流れ出していく。


 間違いなく、致命傷だった。



 レオンが前に出る。


「近づけさせるな!」


 盾が竜の爪を受ける。


 衝撃で膝が沈む。


 バル・サンが魔法陣を重ねた。


「時間を稼ぎます!」


 光の鎖がドラグノフの前脚に絡む。


 長くは持たない。


 だが、数秒でも必要だった。


 リディアがサトウの胸へ手をかざす。


 詠唱。


 光。


 祈り。


 全てを注ぎ込む。


 だが、血が止まらない。


 傷が塞がらない。


 流れ出す命に、回復が追いつかない。


「どうして……!」


 リディアの声が震える。


「塞がって……お願い、塞がって!」


 バル・サンが数値を見る。


 表情が凍る。


「損傷が深すぎる」

「内臓、骨、魔力経路……複合破損」


 額から汗が落ちた。


「回復速度が、追いつかない」



 戦場が、凍った。


 勇者が倒れた。


 その事実だけで、人々の心臓が止まりかける。


 さっきまで整い始めていた避難列が、ざわりと揺れた。


「勇者様が……?」


「嘘だろ」


「勇者様が倒れたら、誰が……」


 恐怖が、一気に戻りかける。



 最初に気づいたのは、フィーだった。


 遠くから、その命の乱れを感じた瞬間。


 心臓が跳ねた。


 視界の端に、白い光が見える。


 リディアの回復魔法。


 だが、その下で命の流れが崩れていく。


 止まらない。


 落ちていく。


 終わりへ向かっている。



 思い出す。


「余計なことをするな」


 あの言葉。


 サトウの冷たい声。


 レオンの叱責。


 バル・サンの非効率という評価。


 足が止まる。


 ほんの一瞬。


(でも)


 次の瞬間、フィーは走っていた。



「フィー!」


 トンヌラが叫ぶ。


 止まらない。


 瓦礫を飛び越える。


 炎を避ける。


 崩れた石畳に足を取られかけながら、それでも前へ進む。


 コムギが叫ぶ。


「フィー!」


 フィーは振り向かない。


 クラウスが目を細める。


「……行きますか」


 その声には、止める響きはなかった。



 フィーは勇者のもとへ駆け寄った。


 リディアが振り向く。


「……あなた」


 驚きと、迷い。


 それから、すがるような目。


 フィーは膝をつく。


 サトウの呼吸は浅い。


 血が止まらない。


 生命の波が、崩れている。


 フィーは両手をかざした。


 命の流れを読む。


 骨の断裂。

 内臓の損傷。

 魔力経路の破綻。

 血流の崩壊。

 鼓動の乱れ。


 致命の重なり。


 それは、ただの怪我ではなかった。


 終わりへ向かう構造だった。



「……深すぎる」


 声が漏れる。


 リディアが震えながら言う。


「無理です」


 その言葉に、フィーの手が一瞬止まる。


 無理。


 そうだ。


 無理かもしれない。


 治せない。

 戻せない。

 届かない。


 過去に、何度も感じた感覚が戻ってくる。


 理解できるのに、助けられない。


 分かるのに、届かない。



 フィーの額から汗が落ちた。


 手が震える。


(助けたい)


(でも)


 生命の流れは、崩壊寸前だった。


 戦場が、静まり返る。


 ドラグノフが再び翼を広げる。


 高塔の上で、エヴァンは静かに数値を見下ろしていた。


「均衡は、回復する」


 その声は、誰にも届かない。


 だが、世界の奥で響いているようだった。



 フィーは、まだ手を離していない。


 絶望が、よぎる。


 届かない。


 救えない。


 今度もまた。



 その時、トンヌラの声が背後から届いた。


「フィー」


 名前だった。


 命令ではない。


 責める声でもない。


 ただ、そこにいる者の名を呼ぶ声。


 フィーの目が、わずかに揺れた。


 トンヌラは、サトウの血を見た。


 倒れた勇者を見た。


 動揺する人々を見た。


 そして、フィーを見る。


 まだ手を離していない、その指先を見る。


「まだ、終わったわけじゃない」


 フィーの呼吸が止まる。


 リディアが顔を上げる。


 レオンが歯を食いしばる。


 バル・サンの魔法陣が、ぎしりと軋む。



 ここはレイアノーティア。


 正解が、倒れた。


 だが。


 まだ、終わったとは決まっていない。



 第81話 了

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