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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第7章 正しき正解の外側

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第77話 できること

 ここはレイアノーティア。

 正解が揺らぐと、人は立ち尽くす。



 古竜王ドラグノフの影は、まだ空を巡っていた。


 焼けた街区。

 崩れた家屋。

 煙と灰。


 勇者パーティは一度、戦線を離脱している。


 補給と再編。


 合理的な判断だった。


 だが――

 その間にも、被害は広がっていく。



 瓦礫の隙間で、小さな子どもが泣いていた。


 母親は動かない。


 遠くで炎が上がる。


 誰もが空を見ている。


 次はどこに落ちるのか。

 誰が助けてくれるのか。

 勇者は、まだ戻ってくるのか。


 その答えを待つように、街は息を止めていた。



 トンヌラは立っていた。


 拳を握ったまま。


(調整)


(許容内)


(均衡維持)


 エヴァンの言葉が、頭から離れない。


 怒りが胸の奥で燻っている。


 だが、怒りだけでは瓦礫は動かない。

 怒りだけでは、泣いている子どもを逃がせない。

 怒りだけでは、街は守れない。


 分かっている。


 それが、余計に腹立たしかった。



「……団長」


 声の方へ振り向く。


 フィーが立っていた。


 煤で汚れた頬。

 震える指。

 それでも、目だけはまっすぐだった。


「来てくれたんだね」


 その声と一緒に、涙が落ちた。


 トンヌラは一瞬、言葉を失う。


「……来るさ」


 それだけだった。


 それ以上、格好のいい言葉は出てこなかった。



 フィーが一歩近づく。


「勇者様は強い」


 声は震えている。


「でも、今は足りない」


 フィーは焼けた街を見た。


 倒れた人。

 逃げ遅れた人。

 呼吸だけが残っている人。


「私たちに、できることがあります」



 クラウスが周囲を確認する。


「南区画、避難経路が未整理です」


 視線が素早く動く。


「瓦礫が通路を塞いでいます。あのままでは、人の流れが滞ります」


 フィーが言う。


「人を集めて、動ける人は誘導してください。怪我人は、私が見る」


 トンヌラは空を見上げた。


 ドラグノフが旋回している。

 勇者の光は、遠い。


(間違っている)


(この構造は、間違っている)


 だが。


 今ここで叫んでも、変わらない。


 世界に怒鳴っても、倒れた人間は立ち上がらない。



「……そうだな」


 トンヌラは小さく息を吐いた。


「今できることをやる」


 フィーの目が、少しだけ強くなる。


 クラウスが静かに頷く。


 ぽめが足元で鳴いた。


「……くぁ」


 いつも通りだった。


 この状況で、あまりにもいつも通りだった。


 だから、不思議と呼吸が戻った。



 トンヌラは声を張る。


「聞け!」


 驚きで、人々が振り向いた。


 泣いていた子ども。

 座り込んでいた商人。

 何をすればいいか分からず、空を見上げていた兵士。


 その視線が集まる。


「南区画へ移動しろ!」


「この通りは崩れる! 北側の路地を通れ!」


「怪我人はフィーのところへ!」


 一瞬、誰も動かなかった。


 当然だ。


 彼は勇者ではない。

 兵士でもない。

 王国の命令権を持っているわけでもない。


 ただの、妙に声の大きい冒険者だった。


「……勇者様は?」


 誰かが言った。


 縋るような声だった。


 トンヌラは答える。


「勇者は竜を止める!」


 その声に、空気がわずかに震える。


「俺たちは、街を守る!」



 沈黙。


 だが、次の瞬間。


 一人の男が、子どもを抱えて動き出した。


 それにつられて、別の女が立つ。

 兵士が瓦礫へ駆け寄る。

 商人が荷車を押し、道を開ける。


 役割ではない。


 命令でもない。


 選択だった。



 クラウスが指を伸ばす。


「そこの柱は、まだ抜かないでください」


 男たちが動きを止める。


「先に右の瓦礫をどかす。支えを残したまま、人だけを通します」


 淡々とした声だった。


 だが、その正確さが人を動かす。


 トンヌラが柱に手をかける。


 重い。


 当然だ。


 英雄ではない。

 怪力でもない。

 ただの人間の腕だ。


 それでも、押す。


「今だ、通れ!」


 人が抜ける。


 クラウスが崩落の流れを読み、最低限の場所だけを繋ぐ。


 フィーは瓦礫のそばに膝をついた。


 命の波を読む。


 乱れた呼吸を整える。

 止まりかけた鼓動を戻す。

 恐怖で固まった身体に、ゆっくりと声をかける。


「大丈夫」


 何度も。


 何度も。


「まだ、戻れます」



 トンヌラは瓦礫を押しながら、ふと口元を歪めた。


(初めて、何かしてる気がするな)


 馬鹿みたいな感想だった。


 けれど、少しだけ笑えた。


 強くなったわけではない。

 竜を倒せるわけでもない。

 世界を変えられるわけでもない。


 ただ、目の前の瓦礫を押している。


 泣いている子どもを通すために。

 逃げ遅れた人間が、まだ歩けるように。


 今は、それでよかった。



 遠くから、勇者パーティの一員――バル・サンの視線が向いた。


 冷たく、評価する目。


「……非効率」


 小さく呟く。


 レオンが低く返した。


「放っておけ。戦線を乱さなければ問題ない」


 サトウは何も言わない。


 だが、その目がわずかに曇った。


 彼らは間違っていない。


 勇者パーティが竜を止める。

 街の中心から離す。

 大きな被害を抑える。


 それが正解だ。


 だが、正解が前へ進んだあとには、取り残されるものがある。



「……邪魔者だ」


 誰かが小さく呟いた。


 勇者の足を引く存在。


 勝手に動く冒険者。


 その言葉は、確実にトンヌラの耳に届いた。


 だが、今は振り向かなかった。


 反論する時間があれば、次の一人を逃がす。


 それだけだ。



(ガルドがいれば)


 ふと、赤い背中が脳裏をよぎる。


 立っているだけで守れる力。

 誰かの前に立ち、崩れるものを受け止める強さ。


 今ここにあれば、どれだけ助かるか。


 だが、いない。


 いない者の力を数えても、今いる人間は救えない。



 フィーが、瓦礫の下の少年を抱き上げた。


「まだ助かる」


 涙を流しながら、笑っていた。


 その顔を見て、トンヌラの中の怒りが少しだけ形を変える。


 破壊ではなく。


 守る方向へ。



「……街を守るぞ」


 低く。


 だが、はっきりと言った。


 クラウスが静かに続ける。


「構造に逆らうのではなく」


 口元がゆっくり上がる。


「構造の隙間を縫う」


 トンヌラは小さく笑う。


「いずれ壊す」


 空を見上げる。


 遠くに、あの塔がある気がした。


「だが今は、支える」



 空で再び、咆哮。


 炎が落ちる。


 だが今度は、人々が動いた。


 走る。

 避ける。

 支える。

 声をかけ合う。


 混乱が、少しずつ秩序に変わっていく。


 それは勇者の光ではなかった。


 ただ、誰かが声を出し、誰かが選び、誰かが手を伸ばしただけだ。



 ここはレイアノーティア。


 正解が竜を止めるなら。


 別解は、街を守る。



 第77話 了

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