表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第7章 正しき正解の外側

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
75/107

第75話 正解の揺らぎ

 ここはレイアノーティア。

 破壊は、平等だ。


 誰が正しいか。

 誰が必要とされているか。

 誰が役目を持っているか。


 そんなものを、災は見ない。


 ただ大きく。

 ただ強く。

 ただ、そこにあるものを壊していく。



 古竜王ドラグノフ。


 その巨体は、街の空を覆い尽くしていた。


 赤黒い鱗には、溶岩のような亀裂が走っている。

 一枚一枚が城門のような厚みを持ち、剣も矢も、そこへ触れる前から意味を失っていくように見えた。


 黄金の瞳が、ゆっくり瞬く。


 そこに怒りはない。

 憎しみもない。

 人間を見下す意思すらない。


 ただ――上位。


 圧倒的に、上にいるものの静けさだけがあった。



 翼を広げる。


 それだけで屋根が吹き飛び、石畳が浮き、逃げる人々の足が止まる。


 尻尾が振られる。


 石造りの塔が、飴細工のように崩れた。


 一歩。


 地面が陥没する。


 声が出ない。


 兵士が剣を落とす。

 母親が子を抱いたまま固まる。

 商人が荷車の前で座り込む。


 恐怖は、音を奪う。



 その中心で、サトウが前に出た。


「構えろ!」


 声は揺れない。


 レオンが盾を展開する。

 リディアが祈りを重ねる。

 バル・サンが魔法陣を広げ、竜の飛行軌道と魔力流を同時に読む。


 勇者パーティは、乱れていなかった。


 完璧だった。


 少なくとも、人の側が組めるものとしては。


「正面は俺が取る」


 サトウが剣を構える。


「レオン、防御を左へ寄せろ」

「承知」


「リディア、負傷者への回復より先に障壁維持」

「……はい」


「バル」

「再生速度は未知数です。初撃で胸部の鱗を割るのが最適かと」


「わかった」


 迷いはない。


 決断は速い。

 陣形も正しい。

 役割も噛み合っている。


 人々がその背中を見て、少しだけ息を取り戻す。


「勇者様……」


 誰かが呟いた。


 その声に、サトウは応えるように一歩踏み込んだ。



 ドラグノフの喉奥が赤く光る。


 炎が落ちる。


 レオンが盾を掲げた。


「受けます!」


 巨大な炎が、白銀の盾に叩きつけられる。

 熱が広場を焼き、地面の水分が一瞬で蒸発した。


 レオンの足が石畳にめり込む。


 だが、退かない。


 サトウはその炎の横を走った。


 白い軌跡。


 剣が、竜の胸を裂く。


 鱗が砕け、赤黒い血が飛んだ。


 確かな手応えがあった。


 人々の顔に、わずかな希望が戻る。


「通った!」


「勇者様の剣が!」


 だが。


 裂けた肉が、内側から蠢いた。


 砕けた鱗が、音を立てて戻っていく。

 割れた骨が、肉の奥で組み直される。

 血が地面へ落ちる前に、傷口そのものが閉じていく。


 レオンが息を呑む。


「……再生している」


 バルが即座に解析する。


「自己回復速度が異常すぎる」


額から汗が落ちた。


「通常竜種の範囲を超えています。持久戦は不利」


 リディアが祈りを続けながら、顔を青ざめさせる。


「なら、どうすれば」


 サトウは剣を握り直した。


「塞がる前に、もっと深く斬るしかない」


 答えは単純だった。


 そして、勇者らしい答えだった。



 サトウが再び踏み込む。


 連撃。


 一撃目で鱗を割る。

 二撃目で肉を裂く。

 三撃目で骨へ届かせる。


 白い光が、竜の胸元で何度も弾けた。


 レオンが炎を防ぐ。

 リディアが焼けた傷を癒やす。

 バルが次の動きを読み、魔法陣で竜の足場を崩す。


 正しい。


 すべてが正しい。


 勇者パーティは、間違えていなかった。


 いつもならそれでよかった。


 削れても、戻る。


 裂けても、塞がる。


 崩しても、立つ。


 ドラグノフは、ただその場に在り続けた。


 まるで、正しい手順そのものを無効化するために置かれた災厄のように。



 街の人々が見ていた。


 誰も逃げきれていない。

 逃げる足を止めてしまった者もいる。


 勇者がいる。


 だから大丈夫なはずだ。


 そう信じたかった。


 けれど、目の前の光景は、その信仰を少しずつ削っていく。


「勇者が……押されてる?」


 誰かが言った。


 小さな声だった。


 だが、その一言で空気が変わった。


 安心が揺れる。

 期待が震える。

 光へ向けていた視線に、初めて不安が混じる。


 サトウの耳にも、その声は届いていた。


 届いてしまった。


(応えなきゃならない)


 胸の奥で、冷たいものが走る。


 必要とされている。

 期待されている。

 ここで倒さなければならない。


 そうでなければ。


 そうでなければ、自分は――。


「サトウ!」


 レオンの声。


 ドラグノフの爪が迫っていた。


 サトウは反応する。


 剣で受ける。

 だが、重い。


 体が弾かれ、石畳を削りながら後退した。


 それでも倒れない。


 倒れない顔をする。


「問題……ない」


 声を出す。


 誰かを安心させるために。


 自分に言い聞かせるように。



 その頃――。


 高い塔の影に、エヴァンが立っていた。


 街の混乱を見下ろす位置。

 戦場から近すぎず、遠すぎない場所。


 背後には、淡い光の紋が浮かんでいる。


 その視線は、戦場を見ているようで、戦場を見ていない。


 人の叫び。

 建物の崩壊。

 血を流す者。

 逃げ遅れた子供。

 勇者の焦り。


 それらは、彼の前で数値として流れていた。


「発生確率、想定範囲内」


 淡々と告げる。


「人口減少率、許容内」

「物流停滞、短期」

「恐怖値、上昇」

「絶望過多、未到達」


 街の崩壊。

 死傷者の増加。

 勇者への信仰の揺らぎ。


 すべてが、均衡の範囲内だった。


 エヴァンの指先が、わずかに動く。


 空気が揺らいだ。


 ほんの僅か。


 誰にも見えない程度に。


 だが、ドラグノフの傷の塞がる速度が、さらに上がる。


「勇者、拮抗状態維持」


 エヴァンは静かに言う。


「勝利過多を避け、絶望過多も避ける」

「恐怖は必要」

「崩壊は不要」

「均衡維持」


 感情はない。


 正しさだけがある。



 彼の視線が、街区の端へ流れる。


 そこでは、ガルドが防衛線を支えていた。


 赤い残光が、崩れかけた建物の前に揺れている。

 魔物の侵入を弾き、瓦礫の落下を受け止め、人々の逃げる時間を稼いでいる。


「ガルド、街区防衛中……か」


「過剰介入傾向」


 だが、エヴァンは止めない。


「許容範囲内」


 次に、視線は別の場所へ動く。


 瓦礫のそば。

 煙の中。

 そこに、トンヌラがいた。


 剣を振るってはいない。

 魔法も使っていない。

 竜に届いてすらいない。


 ただ、人の流れを見ている。

 崩れる場所を見ている。

 どこで何が歪むのかを、必死に見ようとしている。


「ネームレス」


 エヴァンの目が、ほんの少しだけ細まる。


「未干渉」


 いや。


 わずかに沈黙。


「現時点では、誤差レベル」


 そう結論づける。


 だが、その声にはほんの僅か、迷いに似た間があった。



 戦場では、ドラグノフが翼を広げていた。


 空が燃える。


 炎が渦を巻く。


 バルが叫ぶ。


「上空に魔力が集中しています!直撃すれば」


 杖を握る手に力がこもる。


「広場全域が焼けます!」


 リディアが祈りを強める。


「障壁を張ります!」


 レオンが盾を構える。


「正面は受ける!」


 サトウは、剣を握る手に力を込めた。


 炎が落ちる前に、斬る。


 それしかない。


 勇者ならできる。


 勇者なら、ここで止める。


 そうでなければならない。


 サトウは跳んだ。


 白い剣光が、空へ伸びる。


 炎と剣が衝突する。


 熱が弾け、光が広場を焼いた。


 人々が目を伏せる。


 次の瞬間。


 サトウの体が吹き飛ばされた。


 地面を転がる。


 石畳が砕け、砂煙が上がる。


 街が、凍りついた。



 勇者が倒れた。


 その事実が、一瞬で広がる。


 誰かが息を呑む。

 誰かが泣きそうな声を漏らす。

 誰かが、信じたくないものを見るように目を見開く。


 サトウは、すぐに起き上がろうとした。


 腕が震える。

 膝が笑う。


 それでも立とうとする。


 立たなければならない。


 必要とされているから。


 だが、体が一瞬だけ遅れた。


 その瞬間、一人の女が、勇者の方へ走り出した。


 その女を、トンヌラは知っている。


 そのまっすぐさを。

 自分より他人の命を優先してしまう姿勢を。

 危険だと分かっていても、倒れた誰かへ手を伸ばさずにいられないことを。


「フィー……」


 助けに行くべきか。

 止めるべきか。

 任せるべきか。


 その迷いが、ほんの一瞬、足を止めた。


 フィーは止まらない。


 リディアも、サトウの方へ視線を向けている。


 レオンはドラグノフを見ている。

 バルは戦況を読んでいる。


 全員が正しい場所を見ていた。


 だからこそ、全員の正しさが少しずつ噛み合わなくなっていた。



 ドラグノフが、低く喉を鳴らす。


 勇者はまだ立ち上がりきっていない。

 防衛は崩れていないが、揺れている。

 救護は必要だが、戦線から目を離せない。


 すべてが正しい。


 すべてが必要。


 なのに、どれか一つを選べば、どれかが遅れる。


 トンヌラは、その光景を見ていた。


 勇者が正しい。

 レオンも正しい。

 リディアも正しい。

 バルも正しい。

 フィーも正しい。


 正しいものばかりが並んでいる。


 それなのに、街は壊れている。


 人は倒れている。


 恐怖は広がっている。


 そして高い塔の影で、エヴァンはまだ静かに戦場を見ている。



 ここはレイアノーティア。


 完璧な世界で、

 完璧じゃないのは人の心だけ。


 だから世界は、人の心を誤差として扱う。


 だが、その誤差だけが、

 時に正解を揺らがせる。



 第75話 了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ