第73話 余計なこと
ここはレイアノーティア。
正解が提示されると、別解は煙たがられる。
悪意があるわけではない。
誰かを傷つけたいわけでもない。
ただ、すでに頼れるものがあるなら、
それ以外は少しだけ、余計に見える。
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アークレイド近郊。
ギルドの掲示板に残っていたのは、商人の護衛依頼だった。
討伐ではない。
魔物退治でもない。
中規模商会の荷馬車を、隣町まで送るだけの依頼。
以前なら、駆け出し冒険者が取り合うような内容だった。
だが今は、掲示板の隅で、何日も貼られたままになっていたらしい。
「こういう依頼、今は受ける人が少ないんです」
受付嬢は困ったように笑った。
「危険な討伐依頼が減ったぶん、冒険者そのものも減ってしまって」
「冒険者が減ると、護衛も減るわけか」
トンヌラが言う。
「はい。勇者様のおかげで街道はかなり安全になりましたけど、商人さんたちにとっては、やっぱり誰かがついてくれる方が安心なので」
勇者が大きな危険を取り除く。
街道は安全になる。
危険が減れば、冒険者の仕事も減る。
それでも、完全に誰もいらなくなるわけではない。
残った隙間を、誰かが埋める。
クラウスは掲示板を見上げながら言った。
「では、受けましょう」
トンヌラは横目で見る。
「いいのか」
「ええ。今はこういう仕事の方が見えます」
「何がだ」
「正解の外側です」
そう言って、クラウスは依頼票を剥がした。
ぽめは足元で丸くなっていた。
「……くぁ」
「お前も来るのか」
返事はない。
来る気だけは、なぜかあるらしい。
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依頼主は、ふくよかな商人だった。
年の頃は四十前後。
よく笑う男で、荷馬車の数は三台。
積み荷は布地と簡単な薬草類や、ドライフルーツなどの日用品だった。
「いやあ、助かります」
商人は何度も頭を下げた。
「最近は冒険者も減りましてね。こういう簡単な護衛依頼でも、なかなか受けてくれる方がいないんですよ」
「簡単なのか」
トンヌラが聞く。
「ええ、まあ」
商人は照れたように笑った。
「勇者様が大きな魔物を掃討してくれていますから。正直、何かあるとはあまり思っていません」
悪気はなかった。
「でも、荷を運ぶ側としては、やっぱり誰かいてくれた方が安心ですからね」
「保険ですね」
クラウスが言う。
「そうですそうです。まさに保険です」
商人は明るく頷いた。
トンヌラは何も言わなかった。
保険。
それは必要なものだ。
ただし、何も起きなければ、必要だったことは忘れられる。
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街道は静かだった。
空は薄く曇っている。
風は弱い。
荷馬車の車輪が、乾いた土を踏む音だけが続く。
魔物の気配は、ほとんどない。
少なくとも、商人たちにはそう見えているはずだった。
だがクラウスは、何度か足を止めた。
「この先の橋は避けましょう」
商人が目を丸くする。
「え? 橋ですか? あそこを通るのが一番早いんですが」
「今日は落ちます」
「落ちる?」
「正確には、落ちかけている」
クラウスは淡々と言った。
「荷馬車三台が連続して渡れば、二台目の後輪で崩れるでしょう」
商人は半信半疑の顔をしたが、結局は迂回した。
少し遠回りになった。
だが、丘を越えたところで、遠くの橋から鈍い音が響いた。
木材が折れ、片側の欄干が崩れる。
商人の顔色が変わった。
「……本当に落ちた」
「落ちかけていたものが、落ちただけです」
クラウスは平然と言う。
トンヌラは橋の方を見た。
何かを倒したわけではない。
何かと戦ったわけでもない。
ただ、危うい場所を避けた。
それだけだった。
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次にクラウスは、休憩の時間をずらした。
「この先の木陰では止まらない方がいい」
「どうしてです?」
「蜂がいます」
「蜂?」
「大きいです」
商人たちは顔を見合わせる。
結局、少し手前の岩場で休むことになった。
しばらくして、先ほど止まる予定だった木陰のあたりから、低い羽音が聞こえた。
黒い群れが、木々の間を流れていく。
商人のひとりが青ざめる。
「あんなのに刺されたら、馬が暴れますよ」
「荷も崩れますね」
クラウスは紅茶でも飲むように、さわやかな声で言った。
トンヌラは、ぽめを見る。
ぽめは寝ていた。
「……危機感がないな」
「……すぴ」
危機が来ていないのだから、当然だと言いたげだった。
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最後にクラウスは、荷馬車の順番を入れ替えた。
「薬草の荷を二台目へ。ドライフルーツを先頭へ」
「何か意味があるんですか?」
商人が尋ねる。
「あります」
「どういう?」
「匂いです」
クラウスは短く答えた。
それ以上は説明しない。
商人は首を傾げながらも従った。
しばらく進むと、街道脇の茂みが一度だけ揺れた。
何かがいた。
小型の魔物か、獣か。
姿は見えなかった。
だが、先頭のドライフルーツの匂いに気を取られたのか、こちらへは近づいてこなかった。
茂みの音は、すぐ遠ざかっていく。
「……今の、何です?」
商人の声が震える。
「確認する必要はありません」
クラウスが答える。
「通り過ぎました」
トンヌラは、茂みを見ていた。
何も起こらなかった。
だが、何も起こらなかったのは、何かが最初からなかったからではない。
起きる前に、少しずつずらしたからだ。
橋。
休憩。
荷の順番。
ほんの小さな違いが、結果を変えている。
それは戦いではない。
ただ、無事に目的地へ着くための調整だった。
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依頼は、拍子抜けするほど静かに終わった。
魔物は出なかった。
荷車は壊れなかった。
商人たちの誰一人として、怪我をしなかった。
隣町の門が見えたところで、依頼主の商人は大きく息を吐いた。
「いやあ、助かりました」
心からの声だった。
「最近は冒険者も減ったので、こんな簡単な依頼も受けてくれる人が少ないんですよ」
商人は荷馬車を振り返る。
「しかしすごいですね。本当に何も遭遇しなかった」
トンヌラは何も答えなかった。
何も遭遇しなかった。
その通りだった。
何かが起きる前に、クラウスがずらした。
危うい場所を避けた。
悪い流れが重なる前に、荷車の位置を変えた。
だから、何も起きなかった。
けれど、何も起きなかった仕事は、何をしたのかが見えにくい。
クラウスが、いつもの調子で薄く笑う。
「フィーさんがいれば、もっとうまくやりますよ」
それから、わざとらしくトンヌラを見る。
「ねえ、団長」
「団長ではない」
反射のように返す。
商人は笑った。
「ああ、フィーさん。噂は聞いています。獣や魔物の気配にすごく鋭い方だとか」
「ええ」
クラウスは頷く。
「彼女なら、我々よりずっと早く異変に気づくでしょう」
「それは頼もしい」
商人は感心したように頷いたあと、少し照れたように笑う。
「まあ、勇者様がいてくれるから、何もないとは思ってますが」
その言葉は、あまりにも自然だった。
信頼。
安心。
そして、少しの油断。
悪意はない。
商人は本気でそう思っているだけだった。
「勇者様が大きな魔物を片付けてくれている。だから、私たちはこうして商売を続けられる」
商人は荷車を見やる。
「ありがたい時代ですよ」
トンヌラは、その言葉を否定しなかった。
実際、ありがたいのだろう。
魔物が減る。
道が安全になる。
商人が荷を運べる。
街に物が届く。
人が安心して暮らせる。
それは正しい。
クラウスだけが、ほんの少し目を細めていた。
「そうですね」
静かに答える。
「勇者がいる。だから、何も起こらない」
その言い方に、トンヌラはわずかに引っかかった。
何も起こらないことは、良いことだ。
だが、何も起こらないように誰かが何かをずらしていたとしても、それは見えない。
見えないものは、なかったことにされる。
トンヌラは荷車の轍を見下ろした。
そこには、ただ平和に通り過ぎた跡だけが残っていた。
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報告を終えた帰り道。
空は夕方の色に傾いていた。
ぽめは、相変わらず丸く歩いている。
どういう仕組みで歩いているのかは分からない。
トンヌラは、しばらく黙っていた。
「余計なこと、か」
ぽつりと呟く。
クラウスが横を見る。
「まだ言われていませんよ」
「そのうち言われる気がした」
「勘が良くなりましたね」
「嫌な褒め方だ」
クラウスは薄く笑う。
「勇者が“中央処理”を担う世界で、局所の違和感を拾う仕事は見えにくい」
「見えない仕事は、評価されにくい」
「そして評価されないものは、やがて余計なものに見えてくる」
トンヌラは答えなかった。
確かに、今日の依頼は無事に終わった。
だが、誰の記憶に残るのか。
商人は、勇者がいるから安全だと思うだろう。
フィーがいればもっと頼もしいとも思うだろう。
クラウスが何をずらしたかも、すぐに薄れていくだろう。
そして自分は、やはり何もしていないように見える。
「あなたは、ノイズです」
クラウスが言った。
静かな声だった。
「正解が提示された世界において、あなたは分かりにくい」
「誰かを倒すわけでもない」
「誰かを癒やすわけでもない」
「誰かの前に立って守るわけでもない」
トンヌラは鼻で笑う。
「ひどい言い方だな」
「事実です」
「褒めてるのか」
「まあ少しだけ」
ぽめが、足元で小さく鳴いた。
「くぁ」
トンヌラは空を見る。
勇者という正解がある。
人々はそれを信じている。
それで救われている者も、間違いなくいる。
ならば、その外側に立つ者は何をすればいい。
調停機構に歪められた個の可能性を、その者自身の形へ返す。
山で掴みかけた言葉が、胸の奥に残っている。
だが、それはまだ誰にも見えない。
見えないものは、簡単に余計なものになる。
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ここはレイアノーティア。
正解が提示された世界で、
別解は、すぐには理解されない。
たとえそれが、
誰かが本来持っていた可能性へ続く道だったとしても。
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第73話 了




