第72話 必要とされる者
ここはレイアノーティア。
勇者は、遅れない。
助けを求める声があれば、そこへ向かう。
魔物が現れれば、剣を抜く。
人々が不安に震えていれば、笑ってみせる。
それが勇者だ。
⸻
「北西、魔力濃度上昇」
バル・サンが短く告げた。
「距離三百。上空から来る」
レオンが前に出る。
盾を構える動作に無駄はない。
リディアはすでに祈りの準備に入っている。
サトウは、頷いただけだった。
「迎撃する」
迷いはない。
迷っている時間があれば、一歩前へ出る。
考えることは、バルがやってくれる。
守ることは、レオンがやってくれる。
癒やすことは、リディアがやってくれる。
なら、自分は斬ればいい。
必要とされる場所へ行き、必要とされる敵を倒す。
それが、自分の役目だった。
⸻
空が裂けた。
飛竜種。
赤黒い翼が雲を割り、喉の奥に火を溜める。
「三秒後、左翼崩します」
バルが言う。
「わかった」
サトウは走った。
炎の中へ。
熱い。
痛みはある。
恐怖もある。
けれど、それより強い感覚が胸の奥にある。
(必要とされている)
その感覚だけで、体は前へ進んだ。
剣が光る。
飛竜の喉元へ、白い軌跡が走る。
鱗が割れ、血が飛び、巨体が傾いた。
着地に遅れて、歓声が上がった。
「勇者様!」
「さすがだ!」
「助かった!」
拍手。
安堵の声。
涙ぐむ者の顔。
そのすべてが、サトウの胸へ届く。
重い。
でも、心地よい。
⸻
リディアが駆け寄る。
「怪我は?」
「問題ない」
サトウは笑った。
安心させる笑顔。
何度も繰り返して、もう自然に出せるようになった表情だった。
レオンが低く言う。
「さすがです」
当然のように。
バルは倒れた飛竜を見ながら、冷静に続ける。
「殲滅速度が想定以上です。次も同じ手順で問題ないでしょう」
評価される。
結果で。
数字で。
役割で。
それは分かりやすくて、ありがたかった。
何をすればいいかが分かる。
何をすれば褒められるかも分かる。
どこに立てばいいかを、世界が教えてくれる。
勇者という名は、迷う必要を減らしてくれる。
⸻
街へ戻ると、人々が集まっていた。
「勇者様!」
「ありがとう!」
「あなたがいれば安心だ!」
サトウは笑う。
完璧な角度と、完璧な声量で。
「もう大丈夫です」
その一言で、人々の顔が緩む。
大丈夫。
そう言うだけで、誰かが安心する。
自分の存在が、誰かの恐怖を消す。
それは、間違いなく救いだった。
救っている。
役に立ち、必要とされている。
その事実が、サトウを支えていた。
⸻
夜。
宿の部屋は静かだった。
剣を拭きながら、サトウはふと手を止める。
窓の外では、まだ人々の声が聞こえる。
酒場では今日の討伐を称える歌まで始まっていた。
勇者様。
ありがとう。
あなたがいれば安心。
その言葉を思い出すたび、胸が温かくなる。
同時に、少し冷える。
(応えなきゃ)
その感覚は、ずっと昔からある。
⸻
会社で、上司に呼ばれた時。
『サトウ君ならできるよな?』
そう言われるたび、笑って頷いた。
できるかどうかではない。
できると言わなければならなかった。
期待に応える。
頼まれたことをこなす。
失望されない。
そうすれば、居場所があった。
できなければ、どうなる。
期待に応えられなければ、どうなる。
(必要とされなくなる)
胸の奥が、冷たくなる。
あの日、気付いたらレイアノーティアにいた。
魔法陣から周りを見渡すと、アークレイド王と、沢山の兵士。
勇者になって。
剣を持ち、仲間を得て、人々に感謝されるようになった今も、その感覚だけは消えなかった。
⸻
扉を叩く音がした。
「入っていいか」
レオンの声だった。
「もちろん」
レオンが部屋へ入る。
鎧は外しているが、姿勢は崩れていない。
彼はいつも、守る者として立っている。
「今日は無理をしていませんか」
「してないよ」
サトウは即答した。
レオンは少しだけ視線を逸らす。
「あなたが壊れることが、我々は一番困ります」
その言葉に、サトウは笑う。
「壊れないよ」
そう言いながら、自分の声が少し空洞に響くのを感じた。
壊れない。
壊れてはいけない。
勇者が壊れれば、人々は不安になる。
仲間も困る。そして世界も。
なら、壊れてはいけない。
レオンはしばらくサトウを見ていたが、やがて小さく頷いた。
「なら、いい」
「心配性だな」
「役目です」
その答えに、サトウは少しだけ笑った。
役目。
便利な言葉だと思う。
それがあれば、人は迷わずに済む。
⸻
翌朝。
掲示板には、もう新しい張り紙が出ていた。
《勇者、再び勝利》
人々が足を止め、嬉しそうにそれを読んでいる。
サトウはその前を通り過ぎようとして、ふと足を止めた。
近くで、誰かが噂話をしている。
「そういえばさ、昨日見たか?」
「ああ、あの冒険者っぽいやつ?」
「何もしてないのに、妙に偉そうだったな」
「勇者様に止められてたやつだろ?」
名前は出ていない。
だが、誰のことか分かった。
街道で会った、犬を連れた男。
何も名乗らなかった。
武器を構えたわけでもないし、こちらに媚びたわけでもない。
ただ、揺れない目でそこにいた。
(何もしていない、のに)
なぜか、引っかかる。
あの男は、勇者を見ていた。
羨望でもない。
敵意でもない。
尊敬でもない。
もっと別の何か。
まるで、勇者という役目の外側から、自分を見ているような目だった。
サトウは小さく眉を寄せる。
(何者だったんだ)
そう思った瞬間、すぐに打ち消した。
関係ない。
今、自分が気にするべきなのは、次に出る魔物。
救うべき人々。
守るべき街。
名前も知らない冒険者に、心を割く余裕はない。
⸻
バルが横に立った。
「気になりますか」
「いや」
サトウは首を振る。
「少し思い出しただけだ」
バルは掲示板を一瞥し、それから淡々と言った。
「無視で問題ありません」
「非合理な存在は、いずれ淘汰されます」
サトウは、一瞬だけその言葉に引っかかった。
淘汰。
ずいぶん冷たい言い方だと思った。
勇者がいる。
魔物は処理される。
人々は安心する。
そこに、役割のない冒険者が割り込む必要はない。
「そうだな」
サトウは頷いた。
けれど、心の奥で小さな違和感だけが残る。
何もしていない。
何者でもない。
それなのに。
あの男の目だけが、妙に記憶に残っている。
⸻
昼前には、次の依頼が届いた。
北方の魔窟周辺で、残党の気配。
放置すれば街道へ流れる可能性あり。
サトウは紙を受け取り、迷わず頷く。
「行こう」
リディアが頷く。
レオンが盾を取る。
バルが地図を開く。
完璧な流れだった。
誰かが必要としている。
それだけでいい。
それだけがいい。
余計なことを考えずに済むから。
⸻
勇者は、迷わない。
勇者は、応える。
勇者は、必要とされ続ける。
そうしている限り、居場所はある。
そうしている限り、自分は自分でいられる。
サトウはそう信じて、剣を取った。
だが、歩き出す直前。
ほんの一瞬だけ、街道で会った男の目が浮かぶ。
役目を持たぬ者の目。
必要とされる場所に立っていないはずなのに、なぜか倒れていない者の目。
(もし――)
そこまで考えて、サトウは思考を切った。
不要な思考だ。
今は、必要とされる場所へ行けばいい。
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ここはレイアノーティア。
光は、中心に集まる。
人々は、光を見て安心する。
光の中に立つ者もまた、その安心に救われる。
だが――
光が強いほど、影も濃くなる。
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第72話 了




