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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第7章 正しき正解の外側

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第68話 山を降りる者

 ここはレイアノーティア。

 山は、変わらない。


 人が迷おうと。

 泣こうと。

 何かを決意しようと。


 山は、それに合わせて形を変えたりはしない。


 ただそこにあって、登る者と降りる者を、同じ重さで見送るだけだ。



 トンヌラは、ひとりで山を降りていた。


 ――いや。


 正確には、ひとりではない。


 足元を、小さな白い影がついてくる。


「……ついてくるのか」


 振り向かないまま言う。


「……くぁ」


 ぽめが、小さく鳴いた。


 丸い。

 決意も覚悟も、相変わらず何も見えない顔だ。


 けれど、気づけば少しだけ前にいる。

 導いているのか、ただ気まぐれに歩いているだけなのかは、最後までよく分からなかった。



 半年。


 山へ戻ってから、それだけの時間が過ぎた。


 長かったのか、短かったのか、自分でもよく分からない。


 剣を振ったわけではない。

 技を増やしたわけでもない。

 何か特別な能力を得た実感も、ない。


 結局、自分は何ひとつ手に入れていなかった。


 風の向き。

 雲の流れ。

 谷の向こうの街の灯り。

 その下で暮らす人間たちの気配。

 そして、自分の胸に浮かぶ迷いと、怒りと、見ないふりをしたくなる弱さ。


 山は何も教えなかった。

 だから、自分で見続けるしかなかった。



 見続けた先で、ようやくひとつだけ、形になりかけたものがある。


 仲間たちに起きたこと。

 真名を呼び、世界が書き換わったように見えたこと。


 あれは、自分だけの特別な力ではなかったのかもしれない。


 ガルドも。

 コムギも。

 フィーも。

 ミラも。

 クラウスも。


 あいつらは、自分の後悔を消したわけじゃない。

 痛みを無くしたわけでもない。


 ただ、それを別の形で引き受け直した。


 守れなかった痛みを、守る力に。

 支えきれなかった悔しさを、支える意志に。

 届かなかった後悔を、届かせるための手に。

 揃えられなかった苦さを、自分の拍に。

 正しさに飲まれた記憶を、選び直すための目に。


 世界が応えたのは、そのあとだ。


 もしそうなら、あれは奇跡ではない。

 一部の選ばれた者だけの力でもない。


 人が本来持っている可能性に、世界が遅れて名前をつけただけだ。



 調停機構は、その可能性を歪める。


 後悔を、ただの後悔のまま固定する。

 痛みを、先へ進む力ではなく、そこで立ち止まらせる戒めに変える。


 そうやって、人が本来持っていたはずの形を少しずつ狭めていく。


 ならば。


 ネームレスにできることは、たぶんひとつしかない。


 新しい力を与えることではない。

 何もない場所から奇跡を作ることでもない。


 調停機構の調整によって歪められた、個の可能性を、その者自身の形へ返すこと。


 それだけだ。



 その意味で、ガルドは大きかった。


 あいつは一度、受ける者として立った。

 守るために、痛みを引き受ける者として。


 けれど、その先でもう一度立った時、受けたものを自分の中だけで終わらせなかった。


 自分だけが耐えるのではなく。

 周囲へ返す側へ、踏み出した。


 まだ不安定だった。

 完成でもなかった。


 だが、あれは確かに、人の可能性だった。


 傷を抱えたままでも。

 戒めを持ったままでも。

 そこから先へ変わっていけるという形だった。



「……でも、構造はまだわからん」


 トンヌラは小さく呟いた。


 何がどう繋がって。

 どこで歪められ。

 どう返せばいいのか。


 そこまでは、まだ届かない。


 分かったのは、自分に特別な力がないこと。

 それでも、見え始めたものがあること。

 そして、それを確かめるためには、山を降りるしかないということだけだった。


 答えを得たからではない。

 確かめるために、降りる。



 「それだけでも、自分のやるべきことがわかったような気がする」


 誰に言うわけでもなく、そう呟いた。



 山道の先が、少しずつ明るくなっていく。


 木々が薄くなり、岩の色が変わる。

 風に、土と草と、人の匂いが混じり始める。


 山の出口だ。視界が開ける。


 街道。

 馬車の軋む音。

 遠くで誰かが笑う声。

 荷を引く獣の息。


 懐かしいはずの風景なのに、どこか違って見えた。


 以前より、人の流れが細い。


 商人はいる。

 旅人もいる。

 だが、鎧姿の冒険者が少ない。

 剣や槍を下げた若者たちの姿も、あまり見えない。


「……少ないな」


 トンヌラは小さく呟いた。


 ぽめが足元で、「くぁ」とだけ鳴く。



 街道脇の掲示板が目に入る。


 張り紙の数そのものはある。

 だが、内容が違った。


 運搬。

 復旧補助。

 護衛。

 物資整理。


 討伐依頼が、ほとんどない。


 その代わりに、大きく目立つ紙が何枚も貼られていた。


《勇者、北方魔窟を単独制圧》

《勇者、魔王残党を掃討》

《勇者、再び勝利》


 トンヌラは、しばらくそれを見ていた。


「……勇者」


 ぽつりと、声が漏れる。


 強い風が吹き、紙がばさりと鳴った。



 酒場の前を通り過ぎた時だった。


 昼前の半端な時間だというのに、中から軽い笑い声が聞こえる。


「今どき、冒険者なんて流行らないよ」


 若い声だった。


「勇者サトウが全部やってくれるしな」

「危ないとこ行く必要ないって、ありがたい時代だよ」

「まあ、護衛とか補助だけでも食えるし」


 羨望と、安心が混ざった声。


 馬鹿にしているというより、本気でそう思っている響きだった。


 トンヌラは足を止めなかった。

 そのまま通り過ぎる。


(必要とされていない、か)


 胸の奥が、ほんの少しだけ軋んだ。


 痛みというほど大きくはない。

 だが、確かに引っかかる重さだった。



 その時だった。


 前方から、一団が歩いてくるのが見えた。


 白い外套。

 磨かれた装備。

 乱れのない歩幅。


 それだけで、人々が自然に道を開ける。


 誰かが呼びかけるわけでもない。

 命令されるわけでもない。

 ただ、その一団が来るだけで、街道の空気が整っていく。


 中心に立つ青年は、歩みを乱さない。


 落ち着いた目。

 余計な力みのない姿勢。

 必要とされることに慣れた者の顔だった。


 一瞬。


 視線が、合った。


(こいつが、勇者か)


 一目で分かった。なぜなら他に冒険者がほとんどいないからだ。



 互いに、何も言わない。


 だが、空気だけがわずかに張る。


 の目が、ほんの少しだけ細まった。


「……冒険者?」


 声は穏やかだった。


 穏やかだが、その奥に冷たさがある。

 相手を見下しているというより、別物として見られていると感じた。


 トンヌラは答えない。


 腕も組まない。

 構えもしない。

 ただ、立つ。


 サトウは一拍だけ置き、それから言った。


「今は危険だ。街道の魔物はほぼ掃討済みだが、残党がいる。不用意に動がないほうがいい」


 完全に、正しい言葉だった。


 人を守る側の言葉。

 必要とされる者の言葉だ。


 トンヌラは軽く息を吐く。


「心配は無用だ」


 それだけ返す。


 勇者は、ぽめを見る。


 丸い。

 白い。

 眠そう。


 その視線が一瞬だけ揺れた。


 だが、すぐに戻る。


「……そうか」


 それ以上は何も言わない。



 すれ違う。


 勇者一行は、迷いなく前へ進む。


 その背中を見送りながら、トンヌラは思った。


(あれが、“必要とされている者”か)


 強い。

 正しい。

 迷いがないように見える。


 少なくとも、今の人々にはそう見えている。

 そう見えるから、中心になれる。


 だが、そこから零れるものも、きっとある。


 ぽめが、ちいさく鳴いた。


「くぁ」


「……なんだ」


 返事はない。

 ただ、丸い目でこちらを見上げるだけだ。


 トンヌラは小さく息を吐いて、再び歩き出した。


 目指すは、アークレイド。


 クラウスが待つ街。

 そして、半年の間にどこまで変わってしまったのかを、自分の目で確かめるべき場所。



 ここはレイアノーティア。


 役目を持つ者は、称えられる。

 必要とされる者は、道を開かれる。


 では、役目を持たぬ者はどうするのか。


 答えはまだない。


 だから、自分で立つしかない。



 第68話 了

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