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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第6章 観測の外へ

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第66話 山は、何も教えない

 ここはレイアノーティア。

 山は、何も教えない。


 答えをくれるわけでもない。

 正しさを示してくれるわけでもない。

 ただ、そこにある。


 だから山では、自分の中にあるものがよく見える。

 隠したかった迷いも、見ないふりをしていた弱さも、風の冷たさに輪郭を与えられてしまう。



 トンヌラは、ぽめを連れて山道を登っていた。


 また山に戻ってきた。

 それだけを言えば、昔と同じに聞こえる。


 だが、今回は違った。


 何者でもないまま山へ逃げ込んだあの頃と違って、今は背中に顔がある。

 ガルド。

 コムギ。

 フィー。

 ミラ。

 クラウス。

 そして、ベッドの上でかすかに笑ったエリシア。


 見送る者がいる山は、少しだけ重い。



「……で、何をすればいい」


 前を歩くぽめの丸い背中に向けて、トンヌラは言った。


「くぁ」


 ぽめは振り返りもしない。


 返事になっていない。

 だが、妙に迷いもない。


 小さな足で、当たり前みたいに先へ進んでいく。


「お前の方が、俺より分かってそうだな」


 ぽめはそのまま歩く。

 何も語らない。

 いつも通り、丸い。



 山道は静かだった。


 岩肌。

 痩せた土。

 風に擦れる木々。

 遠くで流れる水の音。


 どれも昔と変わらないはずなのに、見え方だけが違っていた。


 以前の自分は、この山を“強くなるための場所”としてしか見ていなかった。

 岩は鍛えるためにあり、滝は耐えるためにあり、寒さは試練だった。


 とにかく何かをすれば、何者かになれると思っていた。今は違う。


 風がどこから抜けるか。

 雲がどこで割れるか。

 谷の向こうに、どんな街があり、どんな人間が暮らしているか。


 世界を見ろ。

 心を鍛えろ。

 そう言ったのは自分だ。


 だが、実際に世界が見え始めると、それは強さではなく、痛みそのものだった。



 開けた岩場で、トンヌラは足を止めた。


 遠くに街が見える。

 小さい。

 静かだ。

 だがあの小ささの中で、今日も誰かが必要とされ、誰かが取りこぼされ、誰かが正しさの外へ押し出されている。


 自分はそれを、まだ何も変えられない。


 何も出来ないまま、見てしまった。

 世界の仕組みも。

 誰かが削られる形も。

 正しさだけでは拾えないものがあることも。


「……難儀だな」


 トンヌラはその場に腰を下ろした。


 ぽめが隣で当然のように丸くなる。



「俺は、結局何も出来ない」


 ぽめは寝ている。


「助けられてる。支えられてる。けど、俺自身は何なんだって話だ」


 風が吹いた。


「剣を振れるわけでもない。魔法で全部どうにかできるわけでもない。正しい答えを持ってるわけでもない」


 石を一つ拾って、指先で弄ぶ。


「それでも、見た以上は無かったことに出来ん」


 見たものに耐えること。

 削られる現実から目を逸らさないこと。

 必要とされなくても、自分で立つこと。

 そして、選ぶことから逃げないこと。


 鍛えるべきは、たぶんそこだった。



 夜になった。


 焚き火の火が、小さく揺れる。


 トンヌラは火の向こうに座り、目を閉じた。


 呼吸を整える。

 風の音を聞く。

 木が軋む音、水の音、自分の鼓動。


 昔の山籠りなら、雑念を消そうとした。

 何も考えないことが強さに近いと思っていた。


 今は違う。


 消さない。

 浮かぶものを、そのまま見る。


 ガルドの背中。

 コムギの涙。

 フィーの手の震え。

 ミラの腹が立つほど真っ直ぐな言葉。

 クラウスの静かな視線。


 そして、自分が何もできないと知った時の、あの鈍い痛み。


 消したくなる。

 見ないふりをしたくなる。

 だが、そこから目を逸らしたら、また同じところで止まる。


「……これか」


 小さく呟く。


 心を鍛えるというのは、綺麗になることではない。

 見たくないものを抱えたまま、壊れずにいることなのかもしれない。



 ぽめが、ふと顔を上げた。


「……くぁ」


 その先で、雲の切れ間から星が覗いていた。


 トンヌラは空を見上げる。


 山は何も教えない。

 答えもくれない。

 どちらが正しいかも言わない。


 だから自分で見るしかない。


 世界を。

 人を。

 自分の弱さを。

 それでも何かを選びたがる、自分の心を。


 



 ここはレイアノーティア。

 山は、何も教えない。


 だから人は、見たものを抱えたまま、自分で答えを作るしかない。



 第66話 了

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