表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第6章 観測の外へ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
61/106

第61話 存在否定

 ここはレイアノーティア。

 拒絶は、派手に壊さない。


 奪う。

 砕く。

 踏み潰す。


 そういう分かりやすい暴力ではなく、もっと静かで、もっと性質の悪いやり方で近づいてくる。


 ――無かったことにする。


 それがこの世界でいちばん厄介なのは、

 痛みすら、消えたあとでは証明しにくいからだ。



 拒絶の魔王ディクラインは動かなかった。


 四脚で地を踏み、油膜のような黒い体表を静かに揺らすだけ。

 だが、その場にいるだけで葡萄棚の色がじわじわと抜けていく。


「ナカッタ……コト……ニ」


 低く、途切れ途切れの声。


 そのたびに棚の一角が崩れる。

 いや、崩れたのではない。


 最初から枯れていた。

 最初から実っていなかった。

 そんなふうに、過去の形へと書き換わっていく。


 コムギが駆け出した。


「まだ残ってる部分あります!」

「待ってください!」

 フィーが追う。

「今、触れると流れまで乱されるかもしれません」

「でも見てるだけじゃ!」

「わかってます!」


 ミラが舌打ちする。


「最悪だな、こいつ」

「壊してるんじゃない」

 クラウスが低く言う。

「成立しなかったことにしてる」

「余計悪いじゃん」

「ええ」


 トンヌラはディクラインを見据えたまま、わずかに息を整える。


(わかりやすく強い方が、まだマシだな)


 殴ってくる。

 壊してくる。

 返してくる。


 それならまだ、相手の形が見える。


 だがこれは違う。

 “あったこと”そのものを、足場から抜いてくる。



 ガルドが前へ出た。


「俺が行きます」


 赤が、背後で脈打つ。

 まだ完全には制御できない。

 それでも、今ここで前へ出る役目は自分だとわかっている。


 《クリムゾン・リコレクション》


 赤い糸が立ち上がり、大剣の輪郭を取り始める。

 さっきよりは明確だ。

 不安定ではあるが、前より一歩深く自分の意志に応じている。


 ディクラインがゆっくりと面を向ける。


「オマエ……タメテナカッタ……」


 ガルドが踏み込んだ。


 赤い大剣が、山の空気ごと裂く。

 轟音。

 谷が震え、石が跳ね、葡萄棚の葉が大きく揺れる。


 確かに振り下ろした。

 確かに届いたはずだった。


 ――はず、だった。


 次の瞬間。


 何も起きていない。


 斬れた感触はある。

 腕に重みも残っている。

 踏み込んだ足も、確かに地を踏んだ。


 だが、結果だけがない。


 ガルドが目を見開く。


「……俺、振りましたよね」


 声に、わずかな戸惑いが混じる。


 ミラが叫ぶ。


「見てたよ!」

「私も見ました!」

 コムギも即座に言う。

「でも、跡がない」

 フィーが低く言った。


 ディクラインは同じ姿勢のままだった。


「……ナニモナカッタ」


 その片言で、場の温度がさらに下がる。


 クラウスが歯を食いしばる。


「行為の結果だけじゃない」

「戦闘そのものの成立を、無かったことにしている……!」


 ガルドの指が、わずかに震える。


 振った。

 守るために前へ出た。

 そのはずなのに、結果が残らない。


 それはただの無効化ではない。


 ――お前は結局、ただ立っていただけだ。


 そんなふうに言われている気がした。


 昔と同じだ。

 家にいた頃と。

 何もできず、ただそこにいて、邪魔者みたいに扱われていた頃と。


「俺は……」

 言葉が出かかって、止まる。

「立った、はず……」

 いつものガルドなら発しない、確信のない言葉だった。


「ふざけんな!」


 ミラがギターを叩き鳴らす。


 《リズム・ドミネーター》


 鋭いコードが山を打つ。

 ずれた場に無理やり拍を通し、空間そのものへテンポを刻み込む。

 ディクラインの周囲に、目に見えない強制的な律動が走る。


 今度は確かに鳴った。

 ミラ自身も、指に弦の感触をはっきり持っている。


 だが、ディクラインはゆっくり瞬いた。


「リズム……ナカッタ」


 音が消えた。


 消えた、というより。

 最初から鳴っていなかった方へ押し戻された。


 山は静かだ。

 あまりにも静かだ。


 ミラの手が止まる。


「……は?」


 弾いた感触だけが残っている。

 だが、空間には何も刻まれていない。


 あの夜、奪い返した拍。

 自分のリズムで場を取った感覚。

 そこへ届くはずの手応えが、一瞬だけ遠くなる。


 ディクラインが続ける。


「ソロエラレ……ナカッタ」

「オト……トドカ……ナカッタ」


 その言葉に、ミラの顔が歪む。


 バンドを揃えられなかった夜。

 何度弾いても、何度合わせようとしても、場だけがずれていったあの日。


 あれを超えたはずなのに。

 “たまたま一度うまくいっただけ”のような気がしてきた。


「……違う」

 ミラが低く言う。

「私は、奪った」

「イチド……ダケ」

 ディクラインが返す。


 そこを突かれると痛い。


 いつでも支配できるほど強くはない。

 だからこそ、その未完成さが過去と繋がってしまう。



 コムギがすぐ動いた。


「消耗、回します!」


 栄養濃縮液を取り出し、ガルドへ投げる。

 同時にフィーが呼吸の流れを読み、生命の循環を整える。


 コムギの支援。

 フィーの調律。

 クラウスの因果把握。


 四人が連携する。


 ディクラインが低く唸る。


「ツカレ……ナカッタ」


 ガルドの疲労感が、一瞬で薄れた。


 回復ではない。

 支援が効いたのでもない。


 消耗という事実そのものが、無かったことへ押し戻された。


 コムギが凍る。


「今の……私の支援も?」

「残っていません」

 フィーが低く言う。

「流した痕跡ごと薄い」


 コムギの手が震える。


 支える。

 整える。

 配る。

 立てるようにする。


 その全部が、自分の価値だったはずだ。

 だがディクラインは、そこを“ただの作業”へ戻そうとしてくる。


「補給……したのに」

 コムギの声が掠れる。

「支えた、はずなのに」


 脳裏に、兄の背中がよぎる。

 配分を間違えた。

 足りなくした。

 自分は支える側に向いていない。


 そう思い込んでいたあの頃へ、感覚が引き戻される。


「……私、また」

 目から涙がじわっと噴き出す。言葉が続かない。


 フィーが息を呑んだ。


 今度は自分の番だとわかってしまったからだ。


 ディクラインが向く。


「トドカ……ナカッタ」

「ワカッテ……イタ……ダケ」


 フィーの肩が揺れる。


 理解はできる。

 異常もわかる。

 呼吸も読める。


 でも、届かなかった。

 救えなかった。

 あの命を。


 そこから立ち上がって、今は整えられる側へ来たはずなのに、ディクラインはそこを真っ直ぐ剥がしてくる。


「私は……」

 フィーの目が揺れる。

「届かせたい、のに」

「……トドカナイ」

 ディクラインが重ねる。


 その一言は、刃より鋭かった。



 クラウスだけが、ぎりぎりのところで歯を食いしばっていた。


(これは定義の上書きだ)


(存在否定なんかじゃない)


(意味の否定だ)


 何をしたか。

 なぜここに来たか。

 どこから選び直したか。


 その全部を薄められれば、人は“いま立っている理由”を失う。


 ディクラインが、クラウスへも向く。


「センタク……ナカッタ」

「マダ……タダシイ……ガワ」


 クラウスの瞳が揺れた。


 調停機構にいた自分。

 正しい側。

 必要な犠牲。

 美しい調整。


 そこから逸れた。

 そう信じて、ここまで来た。


 だが、その逸れた事実ごと薄められれば、自分はまた“正しい側にいたままの人間”へ戻される。


「……違う」

 クラウスが低く言う。

「私はもう」

「……キメテ……イナイ」

 片言が重なる。


 その言葉は、クラウスにだけ深く刺さった。



 トンヌラは、それを全部見ていた。


 自分が揺らぐより先に、仲間たちの根が削られていく。


 これはまずい。

 ただ不安になるだけではない。


 今、削られているのは――戒めそのものだ。


 ガルドの「守る」

 コムギの「支える」

 フィーの「届かせる」

 ミラの「奪い返す」

 クラウスの「選び直す」


 それらが全部、“無かったこと”にされかけている。


 ディクラインがトンヌラへ向く。


「ゴカイ……ナカッタ」


 その一言で、トンヌラの胸が冷えた。


 自分一人の意味じゃない。

 五人が痛みから立ち上がってきた事実そのものが、今ここで否定されようとしている。


 それは単なる敗北ではない。


 最初から何も生まれていなかったことにされる、ということだ。



 トンヌラの視界が白くなる。


(ここで終わるのか)


(何もなかったことになるのか)


(……楽、だな)


 一瞬。

 本当に一瞬だけ。


 観測者の里で聞いた言葉がよぎる。


 選ばなくていい。

 壊さなくていい。

 背負わなくていい。


 膝が、落ちかける。


 その時だった。



 ぽめが目を開け、立った。


 初めてだった。


 丸いまま。

 小さいまま。

 それでも、立った。


「……わん」


 小さな声だった。


 だが、その音は消えなかった。


 山に残った。

 空気に残った。

 “鳴った”ことが、無かったことにならないまま、そこに残った。


 ディクラインが止まる。


「……?」


 トンヌラの胸に、微かな熱が戻る。


(いる)


(俺は……一人じゃない)


 ミラの指が動いた。

「……うるさいな」


 ガルドの拳が握られる。

「守る、だろ」


 コムギが息を吸う。

「目的は、明確です」


 フィーの目にうっすらと涙が滲む。

「消させない」


 クラウスが静かに言う。

「意味は、選べる」


 ディクラインが、初めて一歩、後退した。


「……エラー」


 トンヌラが、ゆっくり立ち上がる。


 今度は、震えていない。


 目の前を見る。

 ディクラインではない。


 仲間を見る。


 削られかけたそれぞれの意味。

 それでも消えきらなかったもの。

 五つの傷。

 五つの戒め。


 その瞬間、ようやくわかる。


 こいつは一人の定義では押し返せない。

 五人分の“あったこと”を束ねないと足りない。


「意味がない?」


 偉そうに立つ。


「なら、作る」


 両手を広げる。


 深く、息を吸う。


 五人の背後に、薄い光が戻った。

 まだ未完成。

 まだ輪郭も定まらない。


 だが、消えない。


 リリカが岩陰で、思わず目を見開く。


「……一体何をしようとしてるの」


 ディクラインが揺らぐ。


 油膜が歪み、四脚が地を軋ませる。


「キョヒ……キョヒ……キョヒ!!」


 それは焦りではない。

 だが確かに、処理が遅れ始めていた。


 トンヌラは目を閉じる。


 長い呼吸。

 あの呼吸だ。


 その気配だけで、場にいた全員が理解した。


 次に来るのは、ただの反発ではない。

 五人分の傷をなかったことにはさせない言葉だ。


 ここはレイアノーティア。

 拒絶は、五つの戒めを無かったことにしようとする。


 だが傷は、時に名前になる。

 名前は、時に環になる。


 そして今、その環がようやく形になろうとしていた。



 第61話 了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ