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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第6章 観測の外へ

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第58話 拒絶は地に足をつける

 ここはレイアノーティア。

 この山は、応えない。


 だが――

 思想には、応える。


 人が何を選び、何を拒み、どこへ立とうとするのか。

 それに意味があると知った時、世界は静かに身構える。


 拒絶は、いつだって突然ではない。

 前触れはある。

 ただ、それが前触れだとわかる頃には、だいたいもう遅い。



 風が、ぴたりと止まった。


 それまであった冷たい流れが、唐突に途切れる。

 消えた、というより――最初からそこに流れていなかったような、不自然な空白だった。


 フィーが真っ先に顔を上げる。


「……来ます」


 その声は小さかったが、迷いはなかった。


 コムギがごくりと喉を鳴らす。


「出るんですね!?」

「出る」

 ミラが低く言う。

「こういう時の嫌な予感、外れたことない」

「外れてほしいです!」


 コムギが半泣きで返す。


 クラウスは谷の奥を見たまま、静かに言った。


「空いています」

「何がだ」

 トンヌラが聞く。

「場が」

 クラウスは短く答える。

「何かが立つための余白だけが、綺麗に残されている」


 その言葉の意味を理解する前に、地面の奥で何かが低く鳴った。


 遠雷に似ている。

 だが空ではない。

 岩の下。

 山の内側。

 もっと深いところで鳴っている音だった。


 ガルドの背で、赤が脈打つ。


「俺が立ちます」


 低い声だった。


 怖くないわけではない。

 だが、退く声ではなかった。


 トンヌラはガルドの背を見たあと、前へ出かけて止まる。


(来る)


 理屈ではない。


 あの老人の言葉。

 観測の里の空気。

 上から見ている気配。

 手を出さず、ただ見ている者たちの沈黙。


 そのすべてが、今ここへ集まっている気がした。



 岩陰の向こうで、黒が滲んだ。


 最初は影に見えた。

 だが影にしては輪郭が濃すぎる。


 光を吸っているわけでも、反射しているわけでもない。

 そこだけが、世界の描き方を変えているみたいだった。


 油膜のように揺らぐ外皮。

 地に足をつけたまま、ほとんど動かない四肢。

 脚は四本。

 重心は低い。


 獣に似ている。

 だが、生き物の呼吸がない。

 湿りもない。

 躍動もない。


 ただそこにいるだけなのに、圧だけが静かに増していく。


 コムギが思わず後ずさった。


「……何あれ」

「魔物、ではないですね」

 フィーが低く言う。

「普通の生き物とは違います」

「早すぎるでしょ」

 ミラが吐き捨てる。

「考える暇くらいくれないわけ?」


 黒が、わずかに揺れた。


「……コトバ、アル」


 低く、途切れ途切れの声だった。


「センベツ……ヒツヨウ」


 片言。

 感情はない。

 怒りも憎しみも感じられない。


 ただ、判断だけがある。


 それが逆に、ぞっとする。


 クラウスの喉が小さく鳴った。


「……構造の拒絶」


 それは魔物ではない。

 思想の残滓でもない。


 構造が、自衛のために取った形。


 観測を拒否し、調整を拒否し、なお選ぼうとする者がいれば、そこへ構造の側から返答が来る。


 その返答が、いま目の前にいる。



 トンヌラは腕を組んだ。


(いやいやいや)

(聞いてないぞ、こんなの)

(なんかペース早くない??)


 かなり本気でそう思っている。

 だが、口はいつも通り勝手に動いた。


「俺たちは葡萄を探しているだけだ」


 黒が揺らぐ。


「コ……ユウセン……」

「キンコウ……クズス」


 一語ごとに、空気が重くなる。


 地面がわずかに沈んだ。


 踏み込まれてもいない。

 攻撃されたわけでもない。


 トンヌラの背筋を、冷たいものが走る。


(これ、やばいな)


 理屈はわからない。

 だが直感だけは、はっきり告げていた。



 ガルドが一歩踏み出す。


「……俺がやります」


 背後に赤が浮いた。


 《クリムゾン・リコレクション》。


 だが、まだ完全ではない。


 赤い糸が立ち上がり、大剣の輪郭を作りかける。

 しかし収束は甘く、形が揺れる。


 前回のような偶発ではない。

 今回は、自分の意志で呼び出している。


「っ……!」


 赤が歪む。


 剣にはならず、塊のように膨張して暴れかける。

 空間の端が焼けたように赤く揺らいだ。


「ガルド!」

 フィーが声を上げる。

「大丈夫ですか」

「大丈夫、です」


 ガルドは息を荒げながら答える。


「まだ……暴れてます」


 黒が告げる。


「フアンテイ……ハイジョ」


 脚が、わずかに地面を叩いた。


 目には見えない。

 だが圧が、まっすぐこちらへ来る。


 ガルドは歯を食いしばった。


 赤が今度は“外”へ噴かず、“内”へ流れる。


 圧はまだ来ている。

 だが、通らない。


 ミラが思わず息を吐いた。


 ガルドに余裕があるという感じではなかった。

 ただ前に立ち、圧を受け止め続ける。

 それだけで、今は精一杯だった。



「消耗、計算不能です!」

 コムギが叫ぶ。

「ガルドさんの負荷、普通の疲労じゃありません!」


 フィーが低く言う。


「削られてるというより、押し戻されてる……」


 クラウスがその言葉を拾った。


「攻撃ではありません」

「押し戻されてるってこと?」


 ミラが顔をしかめる。


 クラウスは黒から目を離さない。


「前へ出た事実そのものを、なかったことにしようとしている」


 前へ出たこと。

 揺れること。

 選ぼうとしたこと。


 まるで、そんなことは最初から存在しなかったかのように。


 そういう構造の理屈そのものが、圧になっている。


 トンヌラは一歩前へ出た。


(これが……拒絶)

(俺たちの選択に反応した?)


 黒が顔のない面を向ける。


「カンソク……キョヒ……イジョウ」


 その言葉に、里の老人の視線が遠くからかすかに刺さる気がした。


 振り向かない。

 振り向かないが、見られている。


 観測者たちは手を出さない。

 ただ、この選択が何を呼ぶのかを見ている。



 黒の圧がさらに増す。


 ガルドの赤い膜が軋んだ。


「……まだ、持ちます!」


 強がりではない。


 制御できない。

 だが飲まれない。


 今は剣にしきれなくても、バトルウォーデンの“通さない”という一点だけは変わらない。


 トンヌラはその背を見たあと、黒を見据えて言った。


「なるほどな。お前は――正しい」


 空気が止まった。


 ミラがぎょっとする。


「は!?」

「団長さん、何言ってるんですか!?」

 コムギも素で叫ぶ。

「そこ肯定から入るの!?」

「たぶん今のは必要です」

 フィーが低く言った。

「ほんとに?」

「団長は、たまに変なところで核心を踏みます」

 クラウスが静かに補足する。


 黒が、わずかに揺れた。


 敵意でも戸惑いでもない。

 ただ、“想定していない応答”を受けた時のわずかな遅れ。


 トンヌラは続ける。


「だが」


 声が低くなる。


「俺は、正しくなくていい」


 その言葉が落ちた瞬間、黒の外皮にひびが入った。


 攻撃ではない。

 否定でもない。


 ただ、“正しさに入らない”と定義されたことへの拒否反応。


 黒は後退しない。

 前進もしない。


 存在の位相だけが、少し薄くなった。


「ゴジツ……サイテイギ」


 途切れた声を残し、油膜のような黒は地へ溶けた。


 音もなく。

 飛沫もなく。

 最初からそこにいたことさえ、山が曖昧にしようとするみたいに。



 圧が消えた。


 空気が戻る。


 ガルドが、その場に膝をつく。


「……立てました」


 息が荒い。

 額に汗も浮いている。


 完全ではない。

 勝ってもいない。

 だが、折れていない。


 それで十分だった。


 コムギがすぐに駆け寄る。


「偉いです! かなり偉いです!」

「もうあんた頼みになってて悔しいけどね」

 ミラが言う。

「今日はガルドさん頼みです!」

「でも実際そう」

 ミラも少し笑った。

「さっきの、止めたもんね」


 フィーがガルドの背へ手を当てる。


「流れ、戻ってます」

「よかった」

 ガルドが小さく言う。


 クラウスは、黒がいた場所を見つめていた。


「……また来ます」

「え?」

 コムギが振り向く。

「いったん引いただけです」

 クラウスは低く言った。

「もっと整った形で来る可能性が高い」


「可能性って言うけど、来るんですよね?」

 ミラが聞く。


「来るでしょう」


「やだなあ!」


 コムギが頭を抱える。


「でも、今ので終わると思う方が不自然です」

 フィーも低く言った。


 トンヌラは小さく息を吐いた。


(来るんだろうな)


 その予感だけは、嫌なくらい素直に胸へ落ちた。


 ぽめだけが、トンヌラの足元で小さくあくびをする。


「……ふぁ」


 拒絶は消えた。

 だが、消えたものが終わったとは限らない。


 山は応えない。

 ただ、選択の跡だけを残す。


 ここはレイアノーティア。

 思想に形があるのなら、

 拒絶にもまた、次の形がある。



 第58話 了

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