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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第6章 観測の外へ

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第57話 拒絶の前触れ

 ここはレイアノーティア。

 この山は、応えない。


 だが――

 思想には、応える。


 人が何を選び、何を拒み、どこへ立とうとするのか。

 山はそれを聞いているわけではない。

 ただ、静かに反応する。


 答えは、いつも遅れてやってくる。

 だが来る時は、だいたい嫌な形だ。



 円台を離れたあと、一行はしばらく無言で山道を進んでいた。


 風は戻っている。

 さっきまでの張りつめた静けさも、少しだけ山本来の冷たさへ戻っていた。


 だが、胸の奥に残ったものまでは戻らない。


 コムギが背負い袋の紐を握り直す。


「……なんか、変です」

「何がだ」

 トンヌラが聞く。


 コムギは少しだけ眉を寄せた。


「うまく言えないんですけど」

「否定されたわけじゃないのに、落ち着きません」


「わかるわ」

 ミラが即答する。

「嫌なこと言われたわけじゃない。でも胸のどこかに引っかかる感じ」

「すっきりしないっていうか」

「正しいのかもしれないから、余計に嫌なんだよね」


 フィーが静かに息を吸う。


「私は……助けないことにも理屈がある、って言われたのが、まだうまく飲み込めません」


「飲み込みたくない、の方が近いかもしれませんね」

 クラウスが低く補足した。

「理解できることと、納得できることは別です」


 ガルドはしばらく黙っていたが、やがて静かに言った。


「……立っているだけで苦しまない、というのは」

 言葉を選ぶように、少し間を置く。

「少し、わかってしまいました」


 コムギが振り向く。


 ガルドは視線を落としたまま続けた。


「だから、嫌です」


 ミラが少しだけ笑う。


「すごくわかる」


 トンヌラは前を向いたまま、小さく息を吐いた。


「わかった気になるのが、面倒だな」


「はい」

 フィーが静かに頷く。

「知らないままの方が、たぶん楽でした」


 コムギはぎゅっと紐を握り直す。


「でも、知っちゃったんですよね」

「知っちゃった以上、前と同じ気持ちではいられないです」


 少しだけ顔を上げる。


「みんな必死に今を生きているのに」

「それを上から見て、苦しみごと抱えない場所があるっていうのが……なんか、苦しいです」


 クラウスはその言葉に、ほんのわずかだけ目を伏せた。


「ええ」

「だからこそ、ここから先で何を選ぶかが残る」


 トンヌラは何も言わなかった。


 観測者。

 調整者。

 構造。

 選別。


 言葉は聞いた。

 意味も半分くらいはわかった気がする。


 だが、理解したとは言えない。


 それでも進むしかない。

 エリシアを待たせている以上、ここで立ち止まるという選択肢は最初からない。



 少し下ったところで、空気が変わった。


 フィーが最初に足を止める。


「……また、変です」

「今度は何だ」

 トンヌラが聞く。


 フィーは答える前に、ゆっくり息を吸った。


「生き物が、いません」

「さっきも言ってましたよね」

 コムギが不安そうに周囲を見回す。

「今はもっと、はっきりです」

 フィーの声は低い。

「隠れているんじゃなくて、もう離れている感じです」


 クラウスも足を止め、谷の奥を見た。


 山の糸は乱れていない。

 だが、整いすぎている。


 偶然ではない。

 何かが“来るための余白”だけが、綺麗に空けられている。


(……舞台が作られている)


 その言葉が、嫌なくらい自然に浮かんだ。


 ミラが腕をさする。


「やだな、これ」

「私もです」

 コムギが即座に頷く。

「なんか、出ますよね」

「たぶん出る」

 ミラが言う。

「“たぶん”で済ませたくないです」

「じゃあ“かなり”」

「悪化しました!」


 ガルドの背で、赤がごく小さく脈打つ。


 本人は何も言わない。

 だが、トンヌラにはわかった。


 来る。

 この男の勘は、そういう時だけ妙に外さない。



 その時だった。


 山の上空。

 誰にも見えない高さで、光の糸が一度だけ震えた。


 木の枝に腰を下ろしていたリリカが、ぴくりと顔を上げる。


「……来た」


 耳元の水晶片が、かすかに熱を持つ。


 次の瞬間、ノインの声が届いた。


『リリカ』

「はいはい、聞こえてます」


 リリカは双眼鏡を下ろし、山肌の向こうを見た。

 下では、ネームレスたちの気配がまだ揺れている。


「思ったより早かったですね」


『長官が調整を入れました』

『山域収束率、上昇』

『顕在化条件、順調に進行しています』


 リリカが口元だけで笑う。


「やっぱり、呼び水は入れてたんだ」


 否定は返ってこない。


 代わりに、少し遅れて別の声が入った。


「呼んだ、という言い方は正確ではない」


 エヴァンだった。


 穏やかな声音。

 だが、その奥には盤面を一段先へ進めた者だけが持つ冷たさがあった。


「私は傾けただけだ」

「均衡が、自ら応答しやすい形へ戻った」


 リリカは枝の上で足を組み直す。


「それ、だいたい同じじゃないですか?」


『違います』


「そういうところ、ほんと好きじゃないです」


『知っています』


 エヴァンは小さく息を吐いたようだった。


『山は観測者の領域だ』

『本来、我々は直接干渉できない』

『だからこそ、外縁だけを整える』


『構造が反応しやすいだけの舞台を用意した』


 リリカは、下方の気配を見つめる。


 ネームレス。

 ガルド。

 クラウス。

 そして、まだ丸いままのぽめ。


「で、出るんですね」


『はい』

 ノインの声は平坦だった。


『思想干渉に対する構造防衛反応』

『次段階へ移行します』


「名前、もうついてるんですか?」


 ほんの少し沈黙が落ちた。


 それから、エヴァンが静かに告げる。


「まだ仮称だ」


「だが、足はつくだろう」


 リリカの表情から、少しだけ軽さが消える。


「……厄介そう」

「厄介だよ」

 エヴァンは穏やかに言った。

「ネームレスは、世界を定義しようとしている」

「なら世界もまた、何らかの形で返す」


 山の奥で、何かが低く脈打った。


 リリカが思わず目を細める。


『観測を継続してください』

 ノインが告げる。

『干渉は不要です』


「はいはい」

『リリカ』

「なに?」

『ぽめには近づかないでください』

「わかってるって」


 そう答えながらも、リリカの視線はつい、白く丸い一匹へ吸われる。


「……でも、あれ絶対なんかあるよね」


 そのやり取りの最中にも、山の圧は静かに変わっていく。


 ネームドの里。

 ネームレスの選択。

 そして、エヴァンがわずかに傾けた均衡。


 そのすべてに応じるように、山の奥でまだ見えない何かが、ゆっくりと形を持ち始めていた。



 地上では、トンヌラが立ち止まっていた。


「……来るな」

 小さく呟く。


「来ますか?」

 コムギがすぐ反応する。

「嫌なやつがだ」

「ふわっとしてます!」

「でもたぶん合ってます」

 フィーが低く言った。


 ガルドが一歩、前へ出る。


「俺が立ちます」


 その声には、もう迷いがなかった。


 制御はできない。

 使いこなせてもいない。

 だが、“何かが来る”なら立つだけだ。


 クラウスが周囲を見た。


「逃がしていませんね」

「何をだ」

 トンヌラが聞く。

「可能性を、です」

 クラウスは静かに答える。

「この場は、何かが起こるために整えられている」


 ミラが顔をしかめる。


「ほんと最悪」

「はい」

 コムギが頷く。

「本日の最悪更新です」


 ぽめだけが、トンヌラの足元で小さくあくびをした。


「……ふぁ」


 その緊張感のなさが、逆に不気味だった。



 風が、ぴたりと止んだ。


 山は応えない。

 だが、思想には応える。


 その意味を、一行は次の瞬間に知ることになる。


 ここはレイアノーティア。

 観測者は、何もしない。

 だが、調整は境界の外から均衡を傾ける。


 そして選択は、必ず何かを呼ぶ。



 第57話 了

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