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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第5章 因果を縫う者 手品師 戦場守護者の赤

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第49話 返却開始

 ここはレイアノーティア。

 山は記録する。


 受けたもの。

 流さなかったもの。

 守るために呑み込んだ衝撃。


 それらは消えない。

 見えなくなっているだけで、どこかに残る。


 そして山は、ときどきそれを返してくる。

 律儀なようで、たぶんいちばん質が悪い形で。


⸻


 霧の奥で、何かが止まった。


 足音ではない。

 呼吸でもない。

 近づいてくる圧そのものが、一度だけ、考えるみたいに静止した。


 ガルドが低く言う。


「……来ます」


 その直後だった。


 霧が左右に割れる。


 のそりと音を立て現れたのは、人の倍ほどもある巨躯だった。

 輪郭は人型に近い。

 だが人ではない。

 黒い体表は油膜のように鈍く光り、節目ごとに赤い筋が微かに脈打っている。


 顔のようなものはある。

 だが表情は読めない。

 目の位置に当たる場所だけが、妙に深く窪んでいた。


 一歩。


 それだけで空気が沈んだ。


 コムギが喉を引きつらせる。


「ひえっ」

 今度は小さかった。

「これ、絶対だめなやつです……」


 ミラがギターの肩紐を握り直す。


「うわ……趣味悪」

「ミラさん、感想そこなんですね」

「そこでもあるでしょ」

「ありますけど!」


 フィーは相手を見たまま、かすれるように言った。


「生き物の呼吸じゃないです」

「でしょうね」

 トンヌラが返す。

「逆に呼吸してたら嫌です」

 ミラが言う。


 その黒い巨躯が、喉の奥を擦るみたいな声を出した。


「ワレ……」


 音が遅れて山肌へ染みる。


「カエス」


 ガルドの背後で、見えない赤が脈打った。


 ドクン。


 ガルドの視界が一瞬だけ赤く染まる。

 何もない。

 だが盾を持つ腕の内側で、鈍い痺れが走った。


「……大丈夫、です」


 答えた言葉が、ほんの半拍だけ遅れる。


 足元の岩が、また“遅れて”砕けた。


 コムギが目を見開く。


「今の何です!?」

「わからん」

 トンヌラが即答する。

「団長さんのわからん、今日は信用度高いです!」

「高くても嬉しくないな」

 ミラはそういいながら、ギターを構える。額の汗が地面へ落ちた。


⸻


 クラウスはその影を見て、確信した。


(……魔王だ)


 しかも、ただの暴力ではない。

 もっと構造寄りの、厄介なやつだ。


 赤い糸。

 蓄積された衝撃。

 回収されずに残ったもの。


 それらすべてへ反応している。


 相手はゆっくりと腕を上げた。

 歪んだ指先が、まっすぐガルドを指す。


「ウケタ……モノ……」

 かすれた、太い声。

「カエス」


 ドクン。


 今度は明確に、ガルドの背後の赤が濃くなった。


 盾に受けた落石。

 流さなかった振動。

 立ったまま呑み込んだ衝撃。


 それらが、宙で震えている。


 ガルドの息が荒くなる。


「……くっ」


 肩がわずかに沈む。

 立っている。

 だが、重い。


 ミラが舌打ちする。


「なにこれ……圧だけで重いんだけど」

「圧だけじゃないです」

 フィーが低く言う。

「さっき受けたものが、戻されてる」

「は?」

 コムギが固まる。

「戻すって何を!?」

「多分……衝撃そのものを」

「ひぇっ。なんですかそれ!」


⸻


 山の上空。

 誰にも見えない高さで、風がわずかに切り替わった。


「へぇ……」


 軽い少女の声。


「ほんとに出た」


 木の枝の上で、赤い外套が揺れていた。

 長い髪を風へ遊ばせながら、リリカは双眼鏡を下ろす。


「80%って言ってたのに、ほぼ100%じゃん」

 くすりと笑う。

「長官、盛ったなあ」


 彼女の視線は、一度だけぽめへ落ちた。


「今日も丸い……」


 頬が緩む。

 だが、すぐ戻る。


「仕事、仕事」


 彼女の足元には細い光の糸。

 中枢の水晶と繋がっている。


 ノインの声が耳の奥へ届く。


『干渉は最小限に』

「わかってるって」


 リリカは空気へ指を滑らせた。


 ほんのわずかに風向きが変わる。

 雲が少しだけ重くなる。


「ディザスター《厄災の魔王》のお手並み拝見、と」


 楽しげだった。

 だが視線は冷たい。


⸻


 ディザスターがもう一歩、進む。


 挙動は遅い。

 だが、その遅さが逆に逃げ場を削る。


「カエス」


 その声と同時に、空気が“戻る”。


 ドクン。


 ガルドの足元が爆ぜた。


 岩が内側から割れ、見えない衝撃が腹部を打つ。

 外傷はない。

 だが呼吸が止まる。


「――っ!」


 ガルドの膝が一瞬揺れる。


 コムギが即座に飛び出した。


「補給します!」

 袋から小瓶を抜き、投げる。

「甘いのいきます! 即効です!」


 ガルドが受け取って飲み込む。

 喉は動いた。

 だが呼吸は戻りきらない。


「効いてない?」

コムギが青ざめる。


 フィーがすぐに両手を当てる。


「整える……!」


 呼吸の波。

 鼓動の律動。

 身体の揺れ。


 合わせようとする。

 だが。


「……ずれる」

 フィーの額に汗が滲む。

「戻した瞬間、また外される」

「相性悪すぎでしょ」

 ミラが吐き捨てる。


 ディザスターが首をゆっくり傾げた。


「タメタ……モノ……」

 腕が上がる。

「カエス」


⸻


 今度は、ガルドの影そのものが揺れた。


 背中の空間が歪む。

 さっき受けた落石だけじゃない。

 今まで盾で受けた衝撃が、“時間差で”返ってきているみたいだった。


 ガルドが膝をつく。


「……まだ、立てます」


 声が震えている。


 トンヌラが前へ出た。


「ガルド」

 短く呼ぶ。

(これ、やばいだろ)

(だいぶやばいだろ)

 だが顔は真剣に見せる。

「立てるか」

「……立てます」


 嘘だ。


 全員がわかった。

 たぶん、本人にも。


⸻


 上空で、リリカが口元を押さえる。


「うわ、やっぱこれ嫌い」


 言葉は軽い。

 でも目は冷静だ。


「溜め込み型って、限界くると派手なんだよね」

 カリカリと頭を掻く。

「しかもこの人、かなり綺麗に溜めてる」


 彼女の指先で糸がわずかに張る。

 観察継続。

 干渉は最小限。


「さて」

 小さく口元が上がる。

「どこまで壊すのかな」


⸻


 クラウスは見ていた。


 赤い線。

 細いが、増えている。


 これは無効ではない。

 蓄積だ。

 そして今、それが返却され始めている。


(限界が来る)


 フィーとコムギでは支えきれない。

 ミラはまだ場を取る段階に入れていない。

 トンヌラは――


 トンヌラは、前に出る。


 足場が沈む。

 それでも立つ。


 腕を組み、迷いなき目で魔王を見つめる。


(さ、最近出てくるやつ、だいぶやばくないか……?)

 脳内の小さなトンヌラが、全力疾走で走っている。ぐるぐると。


 だが外から見えるのは、妙に落ち着いた男だった。


 ディザスターの窪んだ目が、わずかに揺れる。


 名を呼ばれたわけでもない。

 なのに反応する。


 山が静まり返る。


⸻


 リリカが、枝の上で小さく口笛を吹く。


「固定化、完了」


 魔王は、現象から存在へ寄る。

 空気がもう一段重くなる。


「長官、観察フェーズ移行ですね」

 返事はない。

 だが糸が、わずかに張った。


 リリカはまた、水晶でぽめを見る。


 ぽめが目を開けた。


 一瞬、視線が交差する。


 リリカの喉が鳴る。


「……え、見えてる?」


 ぽめは瞬きだけした。

 それから何事もなかったみたいに、また寝る。


「すぴ」


 リリカは真顔に戻った。


「……やっぱりあれ、バグでしょ」

 小さく言う。

「可愛い顔してるのに……」


⸻


 地上では、ディザスターが両腕を広げていた。


 空気が沈む。

 山が軋む。


「カエス」


 その声は怒りでも宣告でもない。

 ただ、目の前のものを処理するだけの機械的な声だった。


 コムギが半泣きで叫ぶ。


「ちょっと待ってください、これ本当に無理では!?」

「わかる」

 ミラが言う。

「でも待ってくれそうな顔してない」

 フィーはガルドの肩へ手を当てたまま、低く言う。

「次、もっと大きいのが来ます」

「わかるのか」

 トンヌラが聞く。

「はい」

 フィーは短く頷く。

「呼吸が、山全体で溜まってる」

「山に呼吸はないだろ」

「多分あの、黒い魔物のせいです」


 ガルドが歯を食いしばる。


 視界が真っ赤になった。

 盾が重い。

 腕が震える。


 自分が受けたもの。

 耐えたもの。

 流さなかったもの。


 今、全部戻ってきている。


 クラウスの指先が、わずかに震えた。


(言うな)

(今、呼ばせるな)

(まだだ)


 だが。


 トンヌラが一歩、踏み出す。


 その一歩で、空気が揺れた。


 ディザスターの目が、まっすぐトンヌラへ向く。


「オマエ……」


 一瞬だけ。

 処理が止まる。


 トンヌラが叫ぶ。


「ガルド!」


 声が山を打つ。


「守るだけが、お前の役目か!」


 空気が凍る。


 ガルドの瞳が揺れる。


「受けるだけか!」

「立っているだけか!」


 クラウスの視界で、糸が弾けた。

 赤が震える。


 トンヌラがさらに叫ぶ。


「返せ!」


 その言葉と同時に――

 赤い糸が、形を持ちかける。


 だがまだ、完全ではない。


 ディザスターが低く唸る。


「カエ……」


 言葉が揺らぐ。

 処理が乱れる。


 クラウスが息を呑む。


(やめろ)

(まだだ)


 だが――


 赤は、刃の輪郭を帯び始めていた。


⸻


 ここはレイアノーティア。


 借りたものは返る。

 受けたものは残る。


 だが――

 返す相手を、選ぶことはできる。


 その意味へ届くまで、

 あとほんの少しだけ、言葉が足りなかった。


⸻


 第49話 了

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