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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第5章 因果を縫う者 手品師 戦場守護者の赤

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第48話 赤はまだ見えない

 ここはレイアノーティア。

 山は、誰の味方でもない。


 高いから偉いわけでもなく、

 厳しいから正しいわけでもない。


 ただそこにあって、

 来る者の都合より先に、自分の重さで立っている。


 だから山の中では、

 こっちが試されている気分になる。



 道はさらに細くなっていた。


 岩肌が露出し、足場は乾いて脆い。

 左は崖、右は切り立った斜面。

 馬を通すにはもう厳しく、手綱を引く速度も自然と落ちている。


 先頭を歩くガルドが、静かに言った。


「足元、崩れやすいです」


 その声は低く、短い。

 だが、こういう時のガルドの言葉はいつも妙に当たる。


「え、今言わないでくださいよ」

 コムギが反射で言う。


「ひぇー!進んで大丈夫ですか?」


 ミラが肩越しに斜面を見る。


「でも、たしかに嫌な地面してる」

「嫌な地面って何だ」

 トンヌラが聞く。

「見た目で分からない? こう、踏んだ瞬間に“あっ”ってなる感じ」

「感覚すぎる」

「感覚で生きてる人に言われたくないけど」

「俺は理論派だ」

「どこが」

「経験則だ」


 フィーは少し前を見ながら言った。


「岩の下、少し浮いてます」

「えっ」

 コムギが固まる。

「それ先に言ってください!」

「今言いました」

「そうなんですけど!」


 ぽめは、コムギの足元近くで丸いまま運ばれていた。

 危機感があるのかないのか分からない。



 その時だった。


 バキ、と乾いた音が鳴った。


 ガルドの足元ではない。

 少し前、斜面側の岩場の奥。

 だが音の位置より速く、地面のひびが走る。


「下がってください!」


 ガルドが即座に前へ出る。


 次の瞬間、斜面の上から石が落ちた。


 一つではない。

 二つでもない。

 大小入り混じった岩塊が、遅れて、まとめて崩れてくる。


 コムギが悲鳴を上げる。


「ひえっ!?」

「コムギさん、左!」

 フィーが叫ぶ。

「はいっ!」


 ミラが咄嗟に後ろへ飛び、ギターを庇うように抱く。

 トンヌラも一歩退いた。

 退いたつもりだったが、半歩しか動いていない。

 足場が悪く、思ったより重い。


 その間に、ガルドが盾を構えていた。


 鈍い衝撃音が連続する。


 ドン。

 ガン。

 バキ。

 ゴッ。


 一発。

 二発。

 三発。


 落石が盾と肩口と足元を打ち、砕けた石片が周囲へ散る。

 土煙が上がる。

 しばらく視界が白く濁った。


 やがて、静まる。



 ガルドは立っていた。


 外傷は見えない。

 血も流れていない。


 だが、彼はすぐに動かなかった。


「……ガルドさん?」

 コムギが恐る恐る声をかける。


 ガルドは遅れて答えた。


「少し、身体が重いです」


 その言葉だけが、山に吸われるように沈んだ。


 フィーがすぐ近づく。


「見せてください」

「大丈夫です」

「大丈夫じゃない時の顔です」

 フィーが横から言う。

「顔に出てます?」

「ちょっとだけ」


 コムギは荷袋を引っかき回し、すぐに小袋を取り出した。


「この粉を水で飲んでください!」

「なんだそれ」

 トンヌラが聞く。

「緊急用です! まず動ける方へ戻します!」

「味は?」

 ミラが聞く。

「今そこですか!?」

「いや大事でしょ」

「甘いです! 以上です!」

「雑」

「今はいいんです!」


 ガルドが小袋を受け取り、水で流し込む。


 だが、飲んだ直後に良くなる感じではなかった。

 呼吸は戻る。

 けれど、何か別の重さが残っている。



 クラウスは、その様子を見ていた。


 いや、正確にはガルドそのものではなく、

 ガルドの背後に薄く漂う“線”を見ていた。


 赤い。


 血ではない。

 傷でもない。


 衝撃の軌道だけが、消えずに残っている。


 さっき盾で受けた落石。

 流したはずの衝撃。

 逸らしたはずの重さ。


 それらが、空間に赤い糸のように浮いていた。


(……背負っている)


 クラウスの喉が、わずかに鳴る。


 ガルド自身は気づいていない。

 他の誰にも見えていない。


 だが確かにそこにある。


 受けたもの。

 耐えたもの。

 流さなかったもの。


 それが消えずに、残っている。



 遠くで、低い脈動が鳴った。


 ドクン。


 山の奥で、何かが息をしているみたいだった。


 クラウスの思考が、一瞬だけ別の場所へ飛ぶ。


 豪奢な寝室。

 天蓋の下の少女。

 薄い呼吸。

 遠い焦点。


「……返す」


 エリシアの言葉が、脳裏で重なる。


 そして、逆回転した時計。


 クラウスは目を細めた。


(減っているのではない)


(削がれているのでもない)


 何かが抜かれている。

 しかも、ただ消えているのではなく、

 どこかへ“運ばれている”。


 山で溜まる衝撃と、娘から抜ける活力。

 方向がある。

 流れがある。


 偶然ではない。


(……精算か)


 その言葉だけが、静かに浮かぶ。



 一瞬だけ、白い廊下の記憶が蘇った。


 水晶の海。

 無数の糸。

 糸を引く自分。


「必要な犠牲です」


 そう言った昔の声が、やけに鮮明に蘇る。


 あの時と同じだ。


 誰かの損失を、全体の整いへ変える。

 帳尻を合わせるために、見えない場所から回収する。


 それを正しいと思っていた。


(……やっているな)


 誰がとは言わない。

 言わなくても分かる。


 これは自然じゃない。

 “調整”だ。



 トンヌラがガルドの肩へ手を置いた。


「立てるか」

「立てます」


 即答だった。

 だが、その声は少しだけ硬い。


 トンヌラは眉を寄せる。


(ちょっとこれ……まずくないか?)


(帰る? いや帰れないよな……)


 だが口に出せば全員の足が止まりそうで、言えなかった。


「無理はするな」

 それだけ言う。


 ガルドは短く頷いた。


「はい」

「はい、じゃないんですよねえ……」

 ミラが小さく言う。

「すみません」

「謝るのも違うのよ」

「難しいですね」

「ほんとそれ」


 コムギはまだ落ち着かない顔のまま、ガルドを見上げた。


「ほんとに大丈夫です?」

「少し重いだけです」

「その“だけ”が怖いです」

「ですが、進めます」

「ガルドさんって、そういう時ほど静かですよね」

 フィーが低く言う。

「はい」

「それ、たぶん我慢してる時です」

「そうかもしれません」

「認めるんだ……」

 ミラが呟く。



 クラウスは山の奥を見る。


 赤い霧が、ほんのわずかに濃くなっている。

 さっきまでは“気配”だった。

 今は、もう少しだけ形に近い。


 まだ軽い。


 だが溜まっている。

 このままなら、限界が来た時に溢れる。


 フィーが小さく言った。


「山、怒ってるみたい」

「その表現!」

 コムギが半泣きで言う。

「でも、私もちょっと分かります」

「コムギさんまで!?」

「気持ちの問題です!」

「それもう全然安心できないです!」

「葡萄はまだ先ですよね」

 フィーが前方を見る。

「はい」

 コムギも息を吐く。

「補給的にも、ここで止まるのはよくないかと」

「なんか……やな感じ」

 ミラが言う。

「山も、落石も、空気も、今の感じも」

「同感だ」

 トンヌラが短く返した。

「お、団長さんと意見合った」

「たまにはな」

「たまにはなんだ」


 クラウスが、ぽつりと呟く。


「これは病気じゃない」


 誰もすぐには反応しなかった。

 山風が、少しだけ遅れて頬を撫でる。


「帳尻です」


 トンヌラだけが振り向いた。


「何のだ」

 問いは短い。


 クラウスは笑った。

 軽く。

 いつもの、何でもないみたいな顔で。


「成功の、ですよ」


 その言い方だけが、妙に冷たかった。



 ドクン。


 今度は、はっきりと脈が鳴った。


 地鳴りではない。

 鼓動とも違う。

 もっと嫌な、数を数えるみたいな間。


 まるで、誰かが自分のものを確かめている音だった。


 クラウスの背に、冷たい汗が流れる。


(選別している……)


 赤い霧がさらに濃くなる。


 ぽめが、ぱちりと目を開けた。


 一瞬だけ。


 白い毛並みが、山の空気の中で揺らいで見える。

 だがすぐ戻る。


「……」


 何も言わない。

 いや、言わないまま見ている。


 クラウスは確信する。


(来る)


 魔物ではない。

 獣でもない。


 もっと“構造寄り”の、嫌な何かだ。


「なにかが来ます」


 クラウスのその一言で、一行の空気が固まった。


「嫌な言い方しないでください!」

 コムギが叫ぶ。

「すみません」

「そういうとこなんですよ!」

「今それどころじゃないだろ」

 ミラが言うが、自分の声も少し張っていた。


 ガルドが一歩前へ出る。

 まだ少し重そうだ。

 それでも前へ出る。


 トンヌラも、腕を組んだまま前を見る。


(うわ……)


(来るのか)


(しかも多分、かなり嫌なやつだな)


 だが顔は動かさない。

 動かない方が、なぜか全員が少しだけ落ち着く気がしたからだ。



 まだ姿はない。


 だが、ゆっくりと。

 確実に。

 何かがこちらへ近づいてきている。


 ここはレイアノーティア。

 山は記録する。


 受けたもの。

 流さなかったもの。

 成功の裏に積もったもの。


 それらは消えずに残り、

 やがて赤く垂れ下がる糸になる。


 そして、その糸が十分に増えた時。

 山はたぶん、何かひとつを形にする。



 第48話 了

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