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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第5章 因果を縫う者 手品師 戦場守護者の赤

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第47話 重力のある空気

 ここはレイアノーティア。

 山は、役目を持たない。


 ただ、そこにある。

 高く、重く、黙ったまま。


 人が意味を与える前から、山は山であり続ける。

 だから時々、そこへ踏み込んだ人間の方が、

 自分の持っているものを問われる。



 原初の山脈へ入った瞬間、空気が変わった。


 風が重い。

 鳥が鳴かない。

 足音が、土へ吸われる。


 昨日までの山道とは違った。

 道はまだある。

 空も見える。

 視界が閉ざされているわけでもない。


 なのに、歩いているだけで、何か見えないものに押し返される感じがある。


「……静かだな」

 トンヌラが呟く。


 ガルドが一歩前に出た。


「魔物の気配が薄いです」

「薄いのに、重い」

 フィーが小さく言う。

「近くにたくさんいる感じではないです。でも、いない方の静けさじゃない」

「それ、どう違うんです?」

 コムギが聞く。

「いないなら、もっと抜けます」

 フィーは周囲の木々を見た。

「これは、息をひそめてる感じです」

「やだなあ」

 コムギが肩をすくめる。

「山ってもっとこう、空気がおいしいとかじゃないんですか」

「場所による」


 ミラが気怠そうに言った。


「今は最悪寄り」

「その分類、嫌ですね」

「でも合ってるでしょ」

「合ってます……」


 ぽめは、相変わらず寝ていた。


「……すぴ」


「お前だけ、なんでいつも通りなんだ」

 トンヌラが小さく言う。

「大物感あるよね」

 ミラが肩をすくめた。

「ただ寝てるだけなんですけど」

 コムギが真顔で返す。

「だから余計に嫌なんじゃん」



 道がゆるやかに細くなる。


 岩肌が増え、土の匂いが薄くなっていく。

 木々の間に見える空も、どこか鈍い色だった。


 クラウスは一行の少し後ろを歩いていた。

 歩幅は乱れない。

 呼吸も荒れない。

 だが視線だけが、周囲ではなくトンヌラへ向いている。


(気づいていない)


 山の糸が、彼を避けている。

 いや、避けているというより――

 彼を中心に、組み直している。


 クラウスはそれを知っている。

 知っていて、知らないふりをしている。


「ネームレスさん」


 軽い声で言った。


 トンヌラが振り向く。


「なんだ」

「あなた、自覚あります?」

「なにがだ」


 クラウスは少しだけ笑う。


「とんでもないことしてますよ」


 ミラが前を向いたまま、わずかに耳を向ける。

 フィーも会話そのものは聞いていないふりをして、気配だけを拾っている。

 ガルドは前に立ち、コムギは補給袋の紐を確認している。


 トンヌラは腕を組んだ。


「俺は常に世界を背負っている」

「出た」

 ミラが即座に言う。

「今の絶対出ると思った」

「予想されたか」

「されるよ」

「残念です」

 コムギが真顔で言う。

「何がだ」

「今日はちょっとかっこよく決まるかと思ったのに」

「お前は何を期待している」


 クラウスは笑わなかった。


「冗談じゃなくて」

 一歩だけ距離を詰める。

「あなた、役目を呼んでる」


 トンヌラは首を傾げた。


「役目は来るものだろう」

「普通はね」

 クラウスの声が、少しだけ低くなる。

「でもあなたは違う」


 山の上空で、雲がほんのわずかに渦を巻いた。


「あなたが立つと、世界が意味を探し始める」

「意味?」

「理由と言ってもいい」


 全員が静まり返った。


「結果が先に立って、世界の方が後から辻褄を合わせに来る」


 トンヌラは一瞬黙った。


(なんか……重い話になってきたな)


「つまり俺は主人公ということか」

「違います」

 即答だった。

「あなたは、勇者ではない」


 沈黙が落ちる。


 前を歩いていたミラが小さく吹き出した。


「そこ即否定なんだ」

「大事なところです」

 クラウスは視線をトンヌラから逸らさない。

「勇者は与えられる側です」

「俺は違うと」

「ええ」

「では何だ」

「それを、私はまだ測っているところです」



 道はさらに険しくなった。


 岩が増え、地面が乾き、靴裏に返る感触が重くなる。

 空気の薄さではなく、密度の重さだった。


 コムギが息を整えながら言う。


「なんかこの山、歩いてるだけで疲れません?」

「わかる」

 ミラも短く返す。

「景色がしんどい」

「景色がしんどいって何だ」

 トンヌラが聞く。

「見れば分かるでしょ。全部こう……」

 ミラが手で空間を掴むみたいにする。

「重い」

「語彙が死んでますね」

 コムギが言う。

「コムギに言われたくないんだけど」

「今日は私も死にかけてます!」


 フィーは周囲を見ながら言った。


「草の揺れ方も少し変です」

「風じゃなくて?」

「風もあります。でも押されてるみたいに揺れてます」

「ひえー!どういうとですかそれ」


 ガルドが低く答えた。


「重力のある空気、ですね」

「なにそれ」

 ミラが振り返る。

「詩人?」

「違います」

「でも今の、ちょっとかっこよかったよ」

「そうですか」

「本人に自覚ないのも含めて」

「ないです」

「でしょうね」



 クラウスは、またトンヌラへ視線を戻した。


「世界は、常に調整されています」

「エヴァンがやってることか」

 トンヌラは当然のように言う。


 クラウスの瞳が、ほんの一瞬だけ揺れた。


「……そうですね」

 淡々と答える。

「でもあなたは、それを壊す」

「壊しているつもりはない」

「壊してます」

 即答だった。


 トンヌラが眉を寄せる。


「断言するな」

「しますよ」

 クラウスは柔らかく笑う。

「あなたが立つと、順番が狂う」


 山風が止まる。


「本来なら後から来る意味が、先に来る」

「順番が違うだけだろう」

「その違いで、世界はだいぶ困るんです」

「なら困っていればいい」

 トンヌラは腕を組み直す。

「俺の進む道は、誰の意図も関係ない。革命だ」


 ミラがまた吹き出した。


「ほんと好きね、その言い回し」

「好きだから使う」

「潔いな」

「トンヌラさんは潔いです」

「そこ乗るんだ」

 ミラが笑う。

 フィーが頷く。


 クラウスだけは少しも笑わなかった。


「革命は、誰かが責任を取る」

 その声だけが少し重い。

「あなたは、それを背負える人ですか」


 トンヌラは一瞬、言葉に詰まった。


(責められてる?)

(いや……試されてる?)


 胸の奥がざわつく。


「……背負うさ」

 わずかに遅れて答える。


 言った瞬間。


 山の奥で、何かが軋んだ。


 クラウスの指先がぴくりと動く。


(やめろ)


(今はまだ、重くするな)


 誰にも見えないように、空気を撫でる。

 糸が、ほんの少しだけ逸れた。


 トンヌラだけが、一瞬だけ違和感を覚える。


(今……なんか触った?)


 だが次の瞬間には、もう分からなくなっていた。



 しばらく歩いてから、クラウスがまた言う。


「あなたは、自分が何を壊しているか知らない」

「壊しているつもりはない」

「壊してますよ」

 また即答だった。

「秩序を」


 そこまで言うと、クラウスは急にいつもの調子に戻った。


「ここから少し険しくなります」

「切り替え早っ」

 ミラが言う。

「そういう芸風ですか」

 コムギが聞く。

「職業柄です」

「便利な言葉だな」

 トンヌラが呟く。

「団長さんの“経験則”ほどでは」

「お前、俺への当たりが少し強いな」

「気のせいですよ」


 少しだけ空気が緩む。


 だが山は緩まない。



 赤い霧が、ほんのわずかに濃くなっていた。


 まだ形はない。

 まだ気配とも呼べない。


 だが“重さ”だけが増している。


 クラウスは前を見たまま、ぽつりと言った。


「私は……失敗しました」


 誰も聞いていないようで、トンヌラだけが聞いている。


 一瞬。

 空気が凍る。


「世界を都合よく騙した」

 軽く笑う。

「結果、私は“手品師”になりました」


 白い廊下。

 水晶の海。

 無数の糸。

 若い自分。


 脳裏にだけ、一瞬それが蘇る。


「必要な犠牲です」


 そう言った記憶が、いまだにどこにも消えていない。


 山道へ戻る。


「私は正しかった」

 クラウスは笑う。

「だから、間違えた」


 トンヌラは黙る。


 うまい言葉が出てこない。

 でも、そこに冗談を挟む空気でもなかった。


「あなたは正しくない」

 クラウスが言う。

「だから怖い」


 立ち止まり、真正面からトンヌラを見る。


「だから――私が制御しないといけない」


 トンヌラは眉をひそめる。


「この俺を、制御できるというのか?」

「はい」

 クラウスは即答した。


(え……俺もしかして嫌われてる???)


 内心だけがざわつく。


 後ろからミラの声が飛ぶ。


「なに難しい顔してんのー?」

「団長さん、また何か言われました?」

 コムギも聞く。

「別に」

 トンヌラはすぐ返した。

「嘘ついてますね」

 ミラが言う。

「顔が少しだけ傷ついてる」

「そんなに分かりやすいか」

「今日はちょっとだけ」

「珍しいです」

 フィーが言う。

「何がだ」

「団長さんが、団長さんっぽいです」

「どういう意味だ」

「説明しにくいです」

 コムギが言って、少しだけ笑った。


 その笑いのすぐ後。


 山の奥で、低い振動が鳴った。


 誰も喋らなくなる。


 まだ名はない。

 だが重い。


 ガルドが呼吸をひとつ置いて、前を向いた。


「……行きます」


 低い声だった。

 それだけで、全員の足が少しだけ揃う。


 トンヌラは山の奥を見る。


 見えない。

 だが、いる。


 そんな感じだけがある。


 ここはレイアノーティア。

 山は誰も忖度しない。


 ただ、そこに積もる。

 受けたものも、流さなかったものも、

 言わずにいたものも、誰かの正しさも。


 その重さが形を持つ時、

 たぶんもう、立っているだけでは済まなくなる。



 第47話 了

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