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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第5章 因果を縫う者 手品師 戦場守護者の赤

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第43話 栄養と空腹の街

 ここはレイアノーティア。

 名は人を座らせ、役目は人を歩かせる。


 そして数字は、人を安心させる。

 足りている。回っている。問題ない。

 そう言い切れるだけの数が並べば、人はだいたい少しだけ安心する。


 だが、ときどき数字は、

 足りていないものを上手く隠す。



 メルグラフ連邦は、遠くから見ても整った国だった。


 街道は広い。

 荷車は詰まらず流れ、門の出入りは速く、見張りの目も行き届いている。

 無駄が少ない、洗練された国。


 中へ入れば、なおさらだった。


 石畳は広く、道は真っ直ぐ。

 倉庫の壁には穀物袋が積まれ、荷札の紐は色ごとに分けられている。

 秤が揺れ、帳簿が開き、商人たちの声が絶えず飛び交っていた。


 ここでは剣よりも、数字の方が強い。


 どれだけ運べるか。

 どれだけ残るか。

 どれだけ損を減らせるか。


 それをきっちり回せる者が、この街では強者だった。


「……いい匂い」

 ミラが鼻を鳴らした。


 焼きたてのパン。

 煮込み肉。

 甘い果実の香り。

 香辛料と油の熱が、風に混ざって流れていく。


 食の都、という触れ込みは伊達ではないらしい。


 コムギの目が、静かに輝いた。


「油の温度管理が完璧ですね」

「どこ見てるんですか」

 ミラが即座に突っ込む。

「大事なところです!」

 コムギは真顔だった。

「香りの立ち方が安定してます。あと揚げ音が均一!」

「違いが全然分からん」

 トンヌラが言う。

「団長さんは分からなくていいです」

「急に切るな」

「私の担当領域なので!」

「それはそうです」

 フィーが頷いた。

「ですよね!?」

「はい。食べる前から分かることもあります」

「フィーさんまで!?」

「私は匂いで分かるだけです」

「それも十分すごいですよ!」


 ガルドは周囲を見回しながら、小さく言った。


「整ってますね」

「うん、すごくね」

 ミラも珍しく素直に同意する。

「嫌な言い方すると、お行儀のいい街」

「嫌な言い方なんですか」

 コムギが聞く。

「良い意味でもあるけど、きっちりしすぎてると疲れる時あるじゃん」

「わかるような、わからないような……」

「団長さんはどうです?」

「飯がうまそうだ」

「ですよね!」

 コムギが即答した。

「さすがにそこは一致しました!」



 しばらく市場通りを歩く。


 肉屋の軒先。

 果物の山。

 乾燥した香草を吊るした店。

 焼き串の煙。

 通りを埋める人の活気。


 コムギは完全に目が忙しかった。


「あっ、あの保存肉、塩の入り方きれいです」

「見ただけで分かるの?」

 ミラが呆れる。

「なんとなく!」

「なんとなくでそこまで言うんだ」

「補給担当ですから!」

「便利な言葉だな」

 トンヌラが言う。

「団長さんの“名を預かる”よりは具体的です」

「いきなり責められた」

「事実です」

 ガルドがまた静かに補足した。

「今日はガルドさんもずいぶん切れ味ありますね!?」

「事実なので」

「最近みんなその返し好きですよね!」


 ぽめは相変わらず、とことことついてきていた。


 人混みの中でも踏まれない。

 避けているわけでもないのに、なぜかちゃんと隙間を通る。


 フィーが少しだけ目を細める。


「器用ですね、この子」

「犬だからな」

 トンヌラが言う。

「それで終わらせるの、ちょっとずるくない?」

 ミラが笑った。



 だが。


 市場の賑わいを抜け、一本裏の通りへ入った瞬間、空気が変わった。


 石は欠けている。

 壁は剥がれ、日当たりも悪い。

 人通りが減り、声が引く。


 地面に座り込む人影があった。


 空の椀。

 古い布。

 子供。

 痩せた老人。


 さっきまでの匂いが嘘みたいに、ここには食の熱が薄い。


 ミラの足が止まる。


「……同じ街?」


 声音が少し低い。


 コムギはすぐに、周囲の人間を見る目に切り替わった。


 食材ではなく、人の顔を見る目だった。


「栄養は足りています」

 ぽつりと言う。

「え?」

 ミラが振り向く。

「少なくとも、完全な飢餓ではありません」

 コムギは静かに続ける。

「痩せ方が違う。水も入ってるし、最低限の配給もあるはずです」

「じゃあなんでこうなってるの」

「……気力が、ないんです」

 フィーが小さく言った。


 子供の目は虚ろだった。


 空腹で焦っている目ではない。

 泣きたいのを我慢している目でもない。

 ただ、何かを諦めたみたいに、焦点が浅い。


「なんかリズムが合わないね」

 ミラが呟く。

「はい」

 フィーは頷いた。

「生き物って、弱ってる時ほど生きようとするのが当たり前なんですが」

「出てない?」

「気力が薄い……」

「うわ……」

 コムギが唇を結ぶ。


 ガルドは黙って立っていた。


 その目が、いつもより少しだけ厳しい。


「どうしました?」

 フィーが聞く。


 ガルドは少しだけ間を置いて答えた。


「……立ちにくいです」

「それ、かなりの警報じゃないですか?」

 コムギが真顔になる。

「はい」

「そんな基準ある?」

 ミラが言う。

「俺の中にはあります」

「あるんだ……」


 トンヌラは腕を組んだまま、その子供を見ていた。


(居場所がない顔だ)


 ふと思った。

 思っただけで、上手く言葉にはならない。


 役目がない、ではない。

 名前がない、でもない。


 ただ、自分がここにいていいと思えていない顔だった。それが少し、不安になる。


 だが、今ここで何かを言って変わるわけではない。

 言葉が届く前に、別の何かが削れている空気だった。



 ぽめが一瞬だけ目を開けた。


「……」


 裏路地の空気を見たあと、すぐまた目を閉じる。


「すぴ」


「寝るんかい」

 ミラが反射で言った。

「でもまあ、こいつが起きたら余計やだな」

「はい」

 フィーが小さく頷く。

「この子、こういう時だけ少し反応しますよね」

「ありがたくない特技ですね……」

 コムギが呟く。


 その時だった。


 大通りの方から、蹄の音が響く。

 重くはない。

 だが、力強い音だった。


 一行が通りへ戻ると、豪奢な馬車が目の前で止まった。


 金斑の紋章。

 磨かれた扉。

 馬具まで無駄なく整えられている。


 御者が降り、続いて中から男が現れた。


 整えられた髭。

 高価な衣装。

 姿勢も悪くない。


 だが、目の奥だけが落ち着いていなかった。


「失礼」


 その視線が、まっすぐコムギへ向く。


「その鍋……あなた、管理栄養士ではないか?」


 コムギはぱちりと瞬きをした。


「はい。元ですが」

「元?」

 男の眉がわずかに動く。

「……まあ、いい」


 そして、その場で深く頭を下げた。


「我が名はアルディウス・ヴァン=メルグラフ」


 ミラが小さく息を呑む。


「え、あの?」

「有名なんですか?」

 コムギが小声で聞く。

「連邦の食い物と薬草の流れ握ってるやつ」

「食材の人ですか!?」

「ざっくり言うとそう」

「ちょっと急に親近感湧きました」

「湧かせるな」


 アルディウスの声は、名に似合わず焦っていた。


「娘が……倒れたのだ」

 言葉が少し乱れる。

「医師にも見せた。祈祷師にも見せた。だが原因が分からない」

 コムギを見る。

「力を貸してほしい」


 コムギはすぐには返事をしなかった。


 代わりに一度、フィーを見る。

 フィーも小さく頷く。

 ミラは腕を組み、ガルドは静かにアルディウスの立ち方を見ていた。


 ため息をついたあと、トンヌラが一歩だけ前へ出る。


「話を聞こう」


 偉そうだった。


 だがこの場では、その偉そうさが少し助かった。

 アルディウスは明らかに、誰かに決めてもらいたい顔をしていたからだ。



 豪奢な馬車が再び動き出す。


 一行は屋敷へ向かう。


 道中、塀の外に、さっき裏路地で見たような子供が立っていた。

 痩せてはいない。

 だが目が薄い。


 アルディウスはそれに気づかない。


 正確には――

 見えていない。


 トンヌラはそれを横目で見た。言葉にできない。うまくまとまらなかった。


 コムギは荷を抱え直す。


 フィーは静かに息を吸う。

 ミラは窓の外の街を見て、さっきの裏路地をまだ引きずっている顔だった。

 ガルドは黙って前を見ていた。


 ぽめだけが、いつも通り丸い。


 ここはレイアノーティア。

 数字は人を安心させる。


 だが数字で回る街ほど、

 帳簿に載らない空白を上手く隠すことがある。


 そしてその空白は、

 だいたい一番遅れて、いちばん重い形で返ってくる。



 第43話 了

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