第42話 帰還をやめた道
ここはレイアノーティア。
名は人を座らせ、役目は人を歩かせる。
だが道だけは、時々こちらの都合を聞かない。
帰るつもりで進んでいたはずなのに、
気づけば別の場所へ向かわせていることがある。
そういう道は、だいたい静かに始まる。
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ここはアークレイド王国へ帰還する道。
空は高く、雲は薄い。
風も穏やかで、陽の光はやわらかい何の問題もない街道だった。
荷馬車が通るには少し狭いが、馬で進む分には悪くない。
道端の草も荒れていない。
森も深すぎず、穏やかな景色が広がっている。
――に、見えた。
フィーが足を止めたのは、森の入口を半分ほど過ぎたあたりだった。
「……止まってください」
声は静かだったが、迷いがなかった。
先頭寄りを歩いていたガルドが、すぐに立ち止まる。
コムギも大きな荷を抱えたまま足を止め、ミラはギターを背負い直した。
トンヌラだけが一歩だけ進んでから、いかにも最初から分かっていたみたいな顔で振り返る。
「どうした」
フィーはすぐには答えない。
耳を澄ませるように目を細め、馬の鼻先へ視線を落とす。
木々の奥。
枝の揺れ。
鳥の高さ。
風に混じる獣の匂い。
それらを一つずつ拾ってから、ようやく口を開いた。
「この森、前より騒がしいです」
「騒がしい?」
コムギが聞き返す。
「とても静かで、穏やかに見えますけど」
「静かすぎる場所って、だいたい何かあります」
フィーは馬の首筋にそっと手を当てる。
「呼吸が浅い。歩幅も少し短いです」
馬は鼻を鳴らした。
怯えるほどではない。
だが落ち着いているとも言いきれない反応だった。
フィーは顔を上げる。
「鳥の声も高いです」
「高いと何が違うんです?」
コムギが素直に聞く。
「落ち着いていない時の鳴き方です」
「へえ……」
「魔物がまた増えてます」
その一言で、空気が少しだけ変わった。
ガルドが自然に一歩前へ出る。
「仕事、増えそうですね」
低い声だった。
諦めにも似た落ち着きがある。
ミラが肩をすくめる。
「うわ、そんなこともわかるの」
「多分ですが、恐らく普通じゃありません」
フィーが言う。
「もっと嫌」
コムギは背負い袋の紐を握り直した。
「でも、ここ通るしかないんですか?」
「正面から行くなら、そうなります」
フィーは森の奥を見たまま答える。
「ただ……」
目を細め遠くを見つめた。
「避ける方が無難です」
ガルドがフィーを見た。
「やり過ごせない程ですか」
「というより……」
フィーは少しだけ言葉を選ぶ。
「無理して進まない方が無難です」
その言い方に、トンヌラは小さく頷いた。
「なら迂回だ」
即決だった。
コムギがぱちぱちと瞬きをする。
「早っ」
「安全を取るのは当然だ」
「団長さん、たまに妙に判断が早いですよね」
「たまにとは何だ」
「いつもではないです」
「微妙な言い方をするな」
「事実です」
ガルドが静かに補足した。
「ガルドさんまで乗らなくていいです!」
ミラが吹き出す。
だが、その笑いも長くは続かなかった。
森の奥から、葉擦れにしては少し重い音がしたからだ。
ガルドの肩がほんのわずかに固くなる。
フィーは首を横に振った。
「いま行かない方がいいです」
「分かった」
トンヌラは短く返す。
「なら、別の道を取る」
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誰も知らない。
確率が、ほんの少しだけ傾けられていることを。
森の魔物の力が、わずかに調整されていることを。
遭遇しやすくなる角度。
避けにくくなる密度。
目立たない程度に引き上げられた凶暴性。
どれも致命的ではない。
ただ、“面倒ごとが起こりやすい”方へ寄せられているだけだ。
だが、それを知る者はこの場にいない。
一行が知っているのは、
森の空気が良くないこと。
そして、今は正面から入るべきではないことだけだった。
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街道脇で地図を広げる。
コムギが指先で道筋を追った。
「だったら、メルグラフ連邦を経由しましょう」
全員の視線が集まる。
「補給を整えておきたいです」
言い方は軽くない。
真面目だった。
「このまま無理して森を抜けるより、一回ちゃんと物資を見直した方がいいです。水も、保存食も、回復用の材料も」
「ちょうどいいかもしれませんね」
フィーが頷く。
「はい。あと、美味しいものもあります」
「最後のやつが本音では」
ミラが言う。
「本音と合理は両立します!」
コムギが胸を張る。
「補給担当として、そこは譲れません!」
ガルドは地図を見たまま、静かに言う。
「連邦経由なら、道も広いです。馬を休ませるにも悪くない」
「賛成が増えました!」
「食材は豊富です」
フィーも続ける。
「最近補給に余裕がなかったので、コムギさんにはちょうどいいかもしれません」
「フィーさん、その言い方キュンとしました」
「合理的です」
「今日はやたらサクサク決まるな」
「団長さんが言うとちょっと面白い」
ミラが笑う。
トンヌラは腕を組んだまま、遠くを見た。
山脈が、薄く青い影になって見えている。
まだ遠い。
だが、目を引く山だった。
「なら決まりだ」
声はいつも通り、妙に偉そうだった。
「メルグラフ連邦を経由する」
「よし!」
コムギが小さく拳を握る。
「補給、立て直します!」
「食べる気まんまんですね」
ミラが言う。
「当然です!」
「ぶれないなあ」
「大事ですから!」
ぽめはその間、道端で丸くなっていた。
「……すぴ」
相変わらず、何一つ緊張感がなかった。
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進路は決まった。
森を避け、
物流国家メルグラフ連邦へ。
原初の山脈を遠くに見ながら、五人と一匹は道を変える。
帰るための道だったはずなのに、
もうその道は、少し違う意味を持ち始めていた。
まだ誰も知らない。
その山で――
調整が、すでに始まっていることを。
ここはレイアノーティア。
道は、ときどき人より先に答えを知っている。
だから帰るつもりで曲がったはずの道が、
気づけば、次の物語の入口になっていることもある。
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第42話 了




