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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第4章 拍を奪うもの バンドマン

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第39話 覚悟、完了

 ここはレイアノーティア。

 名は人を座らせ、役目は人を歩かせる。


 だが、ときどき世界は、

 与えられた席ではなく、

 自分で踏み鳴らした拍の方を選ぶ。


 そういう瞬間だけは、

 正しさより先に、

 誰のリズムで立つかが問われる。


⸻


 ディソナンスの波が、街を削っていた。


 鐘楼の針が遅れる。

 石畳の足音が噛み合わない。

 怒鳴り声も悲鳴も、半拍ずつずれたまま空へ上がる。


 世界そのものがひとつの演奏なら、

 今はその全部が外れかけていた。


⸻


 トンヌラは何もできない。

 でも、ここで黙っているわけにはいかない。


「覚悟、完了……!」


 低く、はっきりと。

 場の空気が止まる。


 それは支配ではない。

 ただ、言葉ひとつで“ここだ”と印を打つみたいな声だった。


 ミラが、かろうじて顔を上げる。


 トンヌラは腕を組んだまま、まっすぐ見ていた。


「揃えようとするな」


 短い言葉だった。


 ミラの呼吸が止まる。


「……え」

「お前、ずっとそこに縛られてる」

「……」

「揃わなかったなら、揃えるな」

「そんなの……」


 ディソナンスの波が、わずかに揺らぐ。


「お前がこの拍を奪え」

「……」

「支配しろ」


 その瞬間、ミラの中で何かが止まった。


 合わせる。

 揃える。

 置いていかれないようにする。

 置いていかないようにする。


 その全部が、自分を縛っていたのだと、今さら分かる。


 だって、ずっとそうしてきたから。


 人に合わせるために速さを削った。

 場に置いていかれないように自分を丸めた。

 揃わなかった責任を、自分の中へ押し込めた。


 でも、トンヌラはその全部を切る。


 揃えるな、と。

 奪え、と。

 支配しろ、と。


 そんな乱暴な正解があるなんて、思っていなかった。


⸻


 ディソナンスが一歩進む。


 そのずれが、また街全体へ走る。

 ガルドの肩が重くなり、コムギの声が上ずり、フィーの視線が忙しくなる。


 もう時間がない。


 怖い。

 まだ怖い。

 また壊すかもしれない。

 また置いていくかもしれない。


 でも。


 今ここで自分の拍を出さないなら、

 あたしは一生、“揃えられなかった側”のままだ。


 ミラは歯を食いしばる。


「……覚悟、完了……!」


 小さな声。

 だが、芯は折れていない。


 風が鳴る。


 ディソナンスの波形が、一瞬だけ揺らいだ。


 トンヌラが、真名を告げる。


「お前の名は《リズム・ドミネーター》――ミラだ」


⸻


 ミラは息を吸う。


 今までと同じ呼吸。

 今までと同じ鼓動。

 なのに、その聞こえ方だけが違っていた。


 怖さは消えない。

 過去も消えない。

 揃わなかった夜も、置いていったと思い込んだ痛みも、そのままある。


 でも今は、そこに立つ意味が違う。


 合わせるためじゃない。

 場を取るためだ。


 ミラがギターを構える。


 指が、迷いなく弦へ落ちる。


 一音。


 鋭い。

 強い。

 それでいて、押しつけではない。


 場の空気が、その一音を中心に少しだけ揃う。


 ディソナンスがぶれる。


 ミラは笑った。


 強がりではない。

 やっと、自分の音に立てた時の顔だった。


「――あたしは、世界で一番ロックな」


 弦を掻き鳴らす。


「バンドマンなんだ!」


 ひとりでも。


 その音が、街へ走る。


 会話のずれた拍が、ミラのリズムへ引き寄せられる。

 足音が戻る。

 悲鳴の高さが揃う。

 衛兵の号令が、今度はちゃんと届く。


 合わせたのではない。

 奪ったのだ。


 自分の拍で。

 自分のリズムで。

 場の中心を。


 ガルドが息を吐く。


「……立ちやすい」

「出たガルドさんのそれ!」

 コムギが叫ぶ。

「でも分かります!」

 フィーが即答する。

「フィーさんまで!?」

「今、街の息が戻りました」

「それはちょっと分かる気がします!」


 ディソナンスが波打つ。

 油膜の虹色が裂ける。

 ずれていた輪郭が、今度はミラの拍に巻き取られる。


 ミラはさらに一音、二音、三音と重ねた。


 支配する。

 従わせる。

 整えるのではなく、奪い返す。


 ディソナンスが初めて“合わされる側”へ回った。


 それが、この魔王にとって一番の敗北だった。


 最後の一撃は、静かなコードだった。


 派手ではない。

 でも、逃げ場がない。


 ディソナンスの体表に走っていた不協和が、その一音を境に崩れる。

 黒い虹色が裂け、

 ずれ続けていた波形が、逆に綺麗すぎるほど一度だけ揃い――


 消えた。


⸻


 街に静寂が落ちる。


 今度の静けさは、さっきまでの気持ち悪い沈黙とは違う。

 終わったあとに来る、本物の静けさだった。


 誰も、すぐには喋れなかった。


 最初に声を出したのは、やはりコムギだった。


「……す、すご」

 そこで止まる。

「語彙が死にました……」

 フィーが頷く。

「フィーさんもですか」

「少し」

「少しで済みます!?」

「でも、すごかったです」

「ですよね!?」

「はい」

「今のは、かなりです」

 ガルドも静かに言った。


 ミラはギターを持ったまま立っていた。


 呼吸が熱い。

 足が少し震える。

 でも、立っている。


 トンヌラがぼそりと言う。


「ほらな」

「何が」

 ミラが聞く。

「揃えなくてよかっただろ」

「本質だ」

「それを雑に言うのがあんたなのよ」

「知ってる。そこは自覚あるんだ」

「腹立つなあ」


 ミラはそう言った。

 でも、その声は少し笑っていた。


(な、なんとかなった…)


内心ヒヤヒヤだが、今日も名を預かった。


⸻


 屋根の上。


 エヴァンは静かに観測していた。


 ディソナンス消滅。

 ミラ覚醒。

 ネームレスの介入。

 ぽめの微細な干渉。


 どれも設計図の外だった。


「……綺麗ではない」


 それでも、否定しきれない。

 綺麗ではないが、成立してしまったものは観測するしかない。


 ノインの声が通信越しに届く。


『長官』

「見ているよ」

『次段階へ移りますか』

「いや」


 エヴァンは目を細めた。


「今夜はここまでだ」


 まだ笑っている。

 だが、その笑みは前より少し薄かった。


 自分の譜面にない旋律が、確かに鳴り始めている。


⸻


 街の下では、ぽめが丸くなっていた。


「……すぴ」


 最強の無責任だった。


 ミラはその姿を見て、小さく息を吐く。


「……ありがと」

 誰に向けたのか、自分でも少し曖昧だった。


 ぽめは寝ている。

 トンヌラは腕を組んでいる。

 ガルドはまだ立っている。

 コムギは興奮している。

 フィーは静かに周囲を見ている。


 その全部が、今は少しだけ心地いい。


 ここはレイアノーティア。

 役目は与えられるだけのものじゃない。


 揃わなかった痛みも、

 置いていったと思い込んだ夜も、

 いつか別の名前で立ち上がる。


 拍を奪われた者が、

 自分の拍で世界を奪い返す夜もある。


⸻


 第39話 了


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