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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第4章 拍を奪うもの バンドマン

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第38話 拍の奪い合い

 ここはレイアノーティア。

 拍は人をつなぎ、

 音は場を支える。


 だが、ときどき世界は、

 つなぐための拍そのものを奪いに来る。


 そうなると人は、

 自分の足で立っているのか、

 ただ崩れ損ねているだけなのかも分からなくなる。



 ディソナンスが一歩進むたび、街の拍がずれた。


 鐘楼の針が微妙に遅れる。

 石畳を走る足音が揃わない。

 悲鳴と怒号が同じ空へ上がるのに、どちらも誰かへ届ききらない。


 “戦場”と呼ぶにはまだ早い。

 だが、戦場の手前で一番嫌な崩れ方をしていた。


 誰もが、半拍ずつ噛み合わない。


「右だ!」

「左だろ!」

「散開!」

「誰の指示だよ!」


 衛兵たちは互いの声を拾い損ね、

 市民は逃げる方向をぶつけ合い、

 店の灯りは不安定に明滅する。


 ディソナンスは、笑わない。無機質に世界をずらしていく。



 ガルドがまた一歩前へ出る。


「下がってください」


 低い声。

 大きくはない。

 だが、その一言で、前へ出かけた数人の足が一瞬だけ止まる。


 ガルドは立つ。

 押し返しはしない。

 攻撃もしない。

 ただ、ここから先へは通さないという立ち方だけで立ち続ける。


 それでも今日は、相性が悪い。


 ディソナンス本体がこちらへ迫るというより、

 その周囲でずれた人間たちの流れが、何度も崩れかけて押し寄せる。


 ガルドの呼吸が重くなる。彼の仕事は、魔王より、人々の流れを止める他なかった。


「……これはまずいです」


 それでも立つしかなかった。


 コムギが叫ぶ。


「はいこれ飲んでください! あとちょっと舐めてください! 頭回らなくなる前に!」

「こんな時に飯かよ!」

 半ば錯乱した男が言う。

「こういう時だからです!」

 コムギは噛みつくように返した。

「倒れたら元も子もないでしょ!」


 声は明るい。

 だが、明るいだけで押し切れる状況でもなかった。


 フィーは人の呼吸を見ていた。


 乱れた脈。

 浅い呼吸。

 恐慌の手前で固まる肩。


「落ち着いてください!みんな混乱しています」

 フィーの掛け声に、衛兵が少し遅れて従う。


 今のフィーには、ここまでなら届く。

 整えられる。

 けれど、場全体を覆うこの“ずれ”そのものはまだ別物だった。


 トンヌラは腕を組んで立つ。

 何もしていない。

 だが、この場で何もしていないように立ち続けるのも、けっこう神経を使う。


(こわい)

(めちゃくちゃこわい)

(でも今さら逃げたら全部ダサい)


 内心だけが、かなり忙しい。



 ミラは、その少し後ろで立ち尽くしていた。


 ギターを持っている。

 持っているだけで、まだ鳴らせない。


 ディソナンスを見るたび、胸の奥がずれる。


 外のズレ。

 内側のズレ。

 過去の傷。

 今の恐怖。


 全部が、同じリズムで悪い方へ重なっていく。


(まただ)


 頭の奥で誰かの声が鳴る。


 ――ミラ、早い。

 ――合わせろよ。

 ――置いてくな。


 昔の言葉だ。

 もう終わったはずの言葉。

 なのに今この場では、少しも終わっていない。


 違う。

 違うはずだ。


 でも、体が知っている。

 こういう圧の中で、自分は揃えられなかった。


 場をまとめられなかった。

 音を一つにできなかった。

 結果、置いていった。


「ミラさん!」

 コムギの声が飛ぶ。


 振り向けない。


「ミラさん、大丈夫ですか!?」

「……」

「返事してくださいよ!」


 コムギの声は届く。

 でも、届くだけだ。

 そこから先へ行く余裕が、今のミラにはない。


 ガルドが低く言う。


「コムギさん、今は無理に引っ張らない方がいいです」

「でも……!」

「今俺たちにできることは、混乱を抑えることだけです」

「……分かりました」


 コムギが唇を噛む。


 人の波の隙間から、フィーはミラを見た。


 あの顔は知っている。

 理解できるのに、心が負けた顔。

 過去の痛みがフラッシュバックしてしまった時の顔。


「……ミラさん」

 小さく呼ぶ。


 ミラはその声が聞こえていたが、答えない。

 答えられない。



 ディソナンスが、また一歩進む。


 その動きに合わせて、街の空気が大きく揺れた。


 舞台の床板。

 石畳。

 窓ガラス。

 人の鼓動。


 どれもこれもが、ほんの半拍ずつ外れていく。


 ミラの指先が震える。


(無理だ)


 ひどく素直な言葉だった。


「あの時と同じ……あたしには揃えられない」


 弾けたとしても、また同じになる。

 また誰かを置いていく。

 また、自分だけが先に行く。

 また、終わる。


 怖い。


 その恐怖を、ディソナンスは知っているみたいだった。

 いや、知っている必要すらない。

 “ずれる”ことそのものが、ミラにとって十分な痛みだからだ。


 膝が少しだけ折れそうになる。


 そこへ、トンヌラの声が落ちた。


「おい」


 短い。

 だが妙に通る。


 ミラが、かろうじて顔を上げる。


「お前、今どこ見てる」

「……」

「過去か」

「……っ」


 答えられない。

 だが、図星だった。


 トンヌラは眉をひそめる。


 何を言えばいいか分からない。

 でも、何も言わないとまずいことだけは分かる。


 だから雑になる。


「今ここだろ」

「そんなの……」

 ようやくミラの声が出た。

「そんなの、分かってる」

「分かってない顔だ」

「うるさい」


 その一言に、少しだけ人間味が戻る。


 トンヌラは内心でほっとした。


(返した)

(返せるならまだ沈みきってない)


 ディソナンスが低く波打つ。

 周囲の拍がまた乱れる。


 ミラは歯を食いしばる。


「……また、あたしが壊す」

「壊してない」

 トンヌラが即答する。

「壊した」

「壊してない」

「見てないくせに」

「見てない。だがそういう時は大体思い込みだ」

「最低」

「知ってる」


 コムギがぽかんとする。


「団長さん、それ励ましてるんです?」

「たぶん」

「雑!」

「でも、ちょっと効いてます」

 フィーが言う。


 実際、効いていた。


 優しくはない。

 丁寧でもない。

 でも、過去の“確定した失敗”として自分を閉じ込める言い方だけは、切ってくる。


 ミラの呼吸が、一拍だけ戻る。



 ディソナンスの波が、今度はギターの弦そのものを揺らした。


 ビィン、と不快な音が鳴る。


 ミラの肩が跳ねる。


 また置いていかれる。

 また、場が壊れる。

 また、自分だけが間に合わない。


 その時。


 トンヌラが、深く息を吸った。


 ほんの少し前へ出る。


 何もできない。

 でも、ここで黙っているわけにはいかない。


 ミラの目が、かろうじてそちらを見る。


 ガルドは前に立っている。

 コムギは鍋を抱えている。

 フィーは呼吸を見ている。

 ぽめは、なぜかまた丸い。


 そして、トンヌラだけが、場の外側みたいな顔でそこにいる。


 ミラは、その姿に少しだけ腹が立った。


 何でそんな顔でいられるんだ。

 何で、まだそこに立っていられるんだ。


 でも、その腹立たしさが、完全に折れるのを少しだけ止めた。


 トンヌラは息を吸いきる。


「……」

 その一歩手前で、空気が止まった。


 ここはレイアノーティア。

 拍は奪われることがある。


 けれど、その奪われた拍を、

 誰のものとして取り返すかは、

 まだ決まっていない。


 ディソナンスはずらす。

 ミラは揺らぐ。

 トンヌラは外側に立つ。


 その三つが同じ場に立った時、

 次に鳴る一音は、たぶんただの音では済まない。



 第38話 了

ここから章の終わりまで走ります。


私自身1番好きなエヴァンの見せ所を早く見たいです。

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