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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第4章 拍を奪うもの バンドマン

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第40話 拍は、戻る ライバルは、去る。

 ここはレイアノーティア。

 音は流れ、

 拍は巡り、

 乱れたものも、いつかは元の場所へ戻ろうとする。


 だが一度ずれた心だけはただ戻るのではなく、形を変えて。



 ディソナンスが消えたあと、街には妙な静けさが落ちていた。


 誰もすぐには動かなかった。

 鐘も、足音も、怒鳴り声も、全部が一度止まってから、ようやく少しずつ戻り始める。


 遅れて、誰かが息を吐く。

 そのあとで別の誰かがしゃがみ込む。

 衛兵が盾を下ろし、店の中では倒れた椅子を直す音がする。


 さっきまで確かにあった“噛み合わなさ”だけが、そこだけ切り取られたみたいに消えていた。


「……終わった?」

 コムギが、まだ半分信じていない顔で言う。

「終わった、ように見えます」

 フィーが静かに答える。


 ガルドがゆっくりと肩を回す。


「軽いです」

「またそれ言うんですね」

 コムギが振り向く。

「はい。かなりいいですね」

「それ、たぶん今日の正解です」

 フィーが目を細めて笑う。

「はい」

「やっぱり、すごかったんですね……」

 コムギがしみじみ呟く。


 ミラはまだギターを持ったまま立っていた。


 指先が熱い。

 呼吸は浅い。

 でも立てている。


 立てているだけでなく、今この場にちゃんと自分の足で立っている感覚があった。


 さっきまでとは違う。

 前みたいに、終わった瞬間に空っぽにならない。


 あたしが壊したんじゃない。

 あたしは、奪い返した。


 まだそこまできれいには言えない。

 でも、胸の中で何かが確かに変わっていた。



 広場の端で、ようやく周囲の声が戻り始める。


「……今の、見たか?」

「ネームレスの隊だ」

「やっぱり、何かしたんだろ」

「いや、あの歌い手も……」

「でも最初に動いたの、あの団長だよな」


 嫌な流れだった。


 コムギがすぐに食いつく。


「違いますって!」

 声が大きい。

「今のはミラさんが」

「でも、団長が何か言っただろ」

「言いましたけど!」

「じゃあやっぱり、あのネームレスが」

「だから違いますってば!」


 コムギが鍋を抱えたまま地団駄を踏む。

 その横で、トンヌラは腕を組んでいる。


 止めたい。

 だが下手に否定すると、余計に変な方向へ行く。

 それを、この男はそろそろ学び始めていた。


「落ち着いてください」

 ガルドが低く言う。

「でも!」

「コムギさんが焦ると、余計ややこしくなります」

「そんなの分かってますよ! でも今のは!」

「分かっています」

 フィーが静かに言った。

「誰が何をしたかは、私たちが分かっていればいいです」

「……フィーさん」

「ミラさんも、ちゃんと分かってます」

「はい」

 ミラが、そこで初めて頷いた。


 その一言で、コムギの肩から少しだけ力が抜ける。


「……それなら、まあ」

「まあ、ではないだろ」

「団長さんは黙っててください! だいたい団長さんのせいでこうなるんです!」

「俺のせいなのか?」

「半分くらいは!」

「またそれか」

「団長さんにだけは言われたくないです!」


 ミラがそのやり取りを見て、小さく息を吐く。


 やっぱり変だ、この隊は。

 変なのに、崩れない。

 崩れないから、たぶん居心地が悪くない。



 ギルドの関係者や衛兵たちが、ようやく場の収拾に動き始める。


 怪我人の確認。

 建物の被害。

 人員整理。

 その中で、トンヌラたちの一行は、妙に目立っていた。


 中心にいるのは、やはりトンヌラだ。

 何もしていないように見えるのに、場の視線だけは集まる。


 トンヌラはそれが気に入らなかった。

 でも、ほんの少しだけ、悪くもなかった。


 その自分が嫌だな、とも思う。


 ミラがそんな彼を見た。


「……あんたさ」

「何だ」

「毎回こうなの?」

「何がだ」

「何もしてない顔して、だいたい真ん中にいる感じ」

「不本意だ」

「でも慣れてる」

「慣れた」

「それ、嫌な慣れ方」

「お前もだいぶ戻ってきたな」

「誰のせいよ」

「知らん」

「そこは少しは自覚持ちなさいよ」


 言い返しながら、ミラは少し笑う。


 さっきまでは、そんな余裕もなかった。

 それだけでも大きい。



 ぽめは少し離れた場所で丸くなっていた。


 さっきまでのことなど気にも留めていない顔で、もう眠る準備に入っている。


「……すぴ」


 最強の無責任だった。


 ミラはその姿を見て、ふっと笑う。


「こいつ、本当に何なの」

「犬だ」

 トンヌラが即答する。

「いやそれは見たらわかるって」

「ポメラニアンだな」

「団長さん、間違ってはいないですが」

 フィーが言う。

「だろ?」

「開き直りました」

 コムギが呆れる。

「でも、可愛いは正義です」

「お前はそこだけ一貫してるな」

「大事ですから!」


 ぽめは起きない。

 その起きなさが、逆に不穏で、でも妙に安心もさせた。



 完全な静寂が落ちたのは、その少し後だった。


 街全体の拍が戻りきった瞬間。

 余計なざわめきが一度底を打ち、夜が本来の静けさへ戻る。


 その静けさの中、屋根の上で白い手袋が外された。


 乾いた、とても正確な拍手。


 パチ。

 パチ。

 パチ。


 そのリズムは、戻ったばかりの街の鼓動と完全に一致している。


 ミラが顔を上げる。

 トンヌラも、ほとんど同時に屋根を見る。


 黒いコート。

 白い手袋。

 月光を背負う、無駄がなさすぎる立ち姿。


 ディソナンスの波形が崩れた余韻を、まるで最初から知っていたみたいな顔で、その男はそこに立っていた。


「魔王ディソナンス――実験終了」


 声に悔しさはない。


「暴走要因は想定外だった」


 視線が、ぽめの方へ一瞬だけ落ちる。


「だが、破綻はしなかった」


 モノクルを外し、夜へかざす。


 今夜の指揮者は、彼ではなかった。

 それでも、落ち着きは一切崩れない。


「設計外で揃うとは」


 目を細める。


「実に不愉快で――美しい」



 トンヌラの胸が、妙に騒いだ。


(やば……)


(なにあれ)


(……か、かっこいい……)


 意味の分からない感情が胸を打つ。


 敵意ではない。

 畏怖だけでもない。


 同じ匂いを持つ。

 なのに、格が違う。


 エヴァンの視線が落ちる。


 一直線に。


 トンヌラへ。


「名を持たず、席を拒み」


 静かな声だった。


「名を、呼ぶ男よ」


 世界が一瞬だけ止まる。


「君は秩序ではない」


 全員が静まり返った。


「笛吹きだ」



 空気が重くなる。


 コムギは半分くらい言葉の意味が分からず、固まっていた。


「えっ、えっ……何の話ですか今」

 誰も答えない。


 ガルドは空気を読み、ただ真っ直ぐに立っている。

 フィーは息を潜める。

 ミラは、目の前の男の“整いすぎた気配”に寒気を覚えていた。


 エヴァンの口元が、わずかに上がる。


「世界を“ロック”する、か」


 その声には、嘲りより先に理解があった。


「ならば私は、世界を“再編”しよう」



 トンヌラは無意識に一歩、前へ出た。


「お前……誰だ」


 問いは震えていない。

 震えていないように見えるだけで、内心はかなり熱い。


 エヴァンは軽く会釈した。


「私は指揮者」


 コートが翻る。


世界調停機構コンダクターズ長官」


髪をかき上げる。


「エヴァンだ」


 月光が、白い手袋を照らす。


「安心したまえ」


 微笑む。


「私は敗北しない」



 トンヌラの胸が熱くなる。


(負けない、だと……)


(くそ、やっぱかっこいい……!)


 歯を食いしばる。


「俺は……」


 言葉が詰まる。


 名乗る名がない。


「ト……」


 エヴァンが先に言う。


「いや、ネームレス」


 視線が鋭くなる。


「消去対象からは外そう」


 見えない糸を、指先でひとつ引く。


 世界の因果が、わずかに書き換わる気配がした。


「観察対象へ昇格だ。君は、楽譜に記せない」



 トンヌラの背筋が伸びる。


 消されなかった。


 だが、許されたわけでもない。


 ――認められた。


(これが……ライバル宣言というやつなのか……!)


 胸の奥が、妙に熱い。



(感動してるの?!)


 ミラが信じられないものを見る目でトンヌラを見た。



 エヴァンは空を見上げる。


「プレリュードは終わりだ」


 指を鳴らす。


 街の鐘が、一斉に揃う。


 完全な一致。


「ここからはフーガ《遁走曲》」


 くるりと踵を返す。


「声は重なり、旋律は追いかけ合う」


 長い指が夜を切る。


「逃げ場のない組曲で、君を包囲してみせよう」



 トンヌラの喉が鳴る。


(うわ……)


(やっぱかっこいい……)


(これが……様式美……!)


 絶対的敗北感。

 なのに、なぜか嬉しい。


「……面白い」


 トンヌラは小さく笑う。

 目だけは、まっすぐ屋根を見ている。


「やってやる」


 エヴァンの瞳が、わずかに揺れた。


「期待している」


 コートが翻る。


「次の楽章で会おう」


 その瞬間。


 姿が消えた。



 静かな夜が戻る。


 誰もしばらく、言葉を失っていた。


 最初に口を開いたのは、ミラだった。


「……誰?」


 トンヌラは答える。


「あれは……ライバルだ」


 初めて、はっきりと。


 目が少しだけ潤んでいた。


 コムギはまだ半分固まっている。


「えっ、あれでそうなるんですか……?」

「団長さん基準では、そうみたいです」

 フィーが静かに言う。

「分かりたくないですね……」

 コムギが本音を漏らす。


 ガルドは真顔で頷いた。


「ですが、たぶん大事な相手です」

「ガルドさんはもうちょっと止めてくださいよ!」


 ぽめがあくびをする。


「……すぴ」


 また寝た。



 ここはレイアノーティア。


 均衡は戻った。

 だが、楽章は容赦なく進んでいく。


 揃える指揮者と、

 居場所を呼ぶ者。


 逃げ場のない完璧な檻の中で、

 トンヌラは再び試される。


 そして、その檻の外側で笑える者がひとり増えたなら。

 この物語は、もう少しだけ騒がしくなる。



 第40話 了


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