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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第4章 拍を奪うもの バンドマン

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第35話 音が揺らぐ夜

 ここはレイアノーティア。

 名は人を座らせ、役目は人を歩かせる。


 音は波となり、

 波は重なり、

 やがて均衡に戻る。


 ――戻らないさざ波だけが、ひとつ。

 それは、誰のものでもないはずの波。



 三日目の夜。


「検証三回目です」


 コムギが真顔で言った。


「統計的に、偶然とは言い切れません」

「何の統計だ」

 トンヌラが聞く。

「おいしい店は三回行ってもおいしいのか、です!」

「なんだそれ」

「大事な検証です!」

「俺も、あの店は気に入りました」

 ガルドが静かに頷く。

「ガルドさんまで」

「立ちやすいです」

「それたぶん褒めてるんでしょうけど、独特すぎて」

 フィーが小さく笑い、すぐ真剣な顔に戻る。

「実は私も少し、気になることがあります」

「何です?」

 コムギが聞く。

「昨日の風です」

「風?」

「はい。少しだけ、気になっていて」

「私はご飯の方が気になります!」

「お前はずっとそうだな」

 トンヌラが言う。

「だって大事ですし! 団長さんも魚が気になるんでしょう?」

「……それはそうだ」

「ほらー!」


 理由は、まあ十分だった。



《青錆の弦亭》


 扉を開けると、いつもの匂いがした。

 その上を、ギターの音が滑っていく。


 今日は客が多かった。


 笑い声も、皿の鳴る音も、注文を呼ぶ声も、昨日より一段だけ多い。

 それなのに、店の空気は妙に軽かった。


 ミラは舞台の上から、一行が入ってきた瞬間に気づく。


(来た)


 もう驚かない。

 来てほしいとも思っていた。


 同じ席。

 同じ空気。

 同じ温度。


 そして今日は、何かが少し違う。


 客の呼吸が、ほんの半拍だけ速い。


 気のせいだと言われたら、それまでの差だ。

 でも、音の人間はそういうわずかなズレで食っている。


 ミラの指が、一瞬だけ強く弦を押さえた。



 一曲目。


 完璧だった。


 二曲目。


 問題ない。


 三曲目の途中。


 チリ。


 ほんのわずかに、弦の裏側でざらつく音がした。


 ミラだけが気づく。


(今の、違う)


 指は正確だった。

 チューニングも狂っていない。

 手元に乱れはない。


 客は笑っている。

 料理は運ばれている。

 誰も気にしていない。


 だが、音の裏側がざらついた。



 トンヌラたちの席では、相変わらず会話が平和だった。


「魚、どうします?」

 コムギが聞く。

「まだ悩んでいる」

 トンヌラが真顔で答える。

「昨日も同じこと言ってませんでした?」

「魚というものは、見極めが大事だ」

「そこまでですか!?」

「俺は肉も捨てがたいです」

 ガルドが言う。

「ガルドさん、それ両方頼む流れじゃないですか」

「可能なら」

「可能です。すいませーん!」

 コムギが店員を呼んだ。

「補給担当として、そこは柔軟にいきます!」

「お前の柔軟さ、だいたい食事に向くな」

「大事ですから!」


 フィーは舞台を見ていた。


「……少し」

「何です?」

 コムギが聞く。

「力みがあります」

「ミラさんですか?」

「はい。昨日より、少しだけ」

「緊張ですか?」

「たぶん、それだけじゃないんですよね」


 ぽめは椅子の下で丸い。

 丸いまま、まだ寝ている。



 四曲目。


 今度はコードが、ほんの半拍だけ遅れた。


 いや、遅れたのではない。


 どこかが、先に進んだ。


 ミラの背中に冷たい汗が伝う。


(あたし、ズレてないよね?)


 客の呼吸は普通。

 手拍子も普通。

 店員の足音も、皿を置く音も、見た目には何も変わらない。


 でも合わない。


 どこか一枚、薄い膜みたいなものが、音の上にかぶさっている。


 合わせようとすると、少しだけ外れる。

 外れたと思って戻すと、もう半拍ずれている。


(なに、これ)


 ミラの喉がひりつく。



 舞台の端。


 ぽめが、ぱちりと目を開けた。


「……」


 一瞬だけだった。


 眠そうな顔が、ほんのわずかに起きる。

 そしてまた、何事もなかったみたいに目を細める。


 フィーはその小さな変化を見逃さなかった。


「ぽめ?」

 小さく呼ぶ。


 ぽめは返事をしない。

 だが耳だけが、ほんの少しだけ舞台の方を向いていた。


 フィーの胸の奥に、嫌な感覚が走る。


「……この子、起きました」

「珍しいですか?」

 コムギが聞く。

「少し」

「そんなに気になります?」

「はい」

「ひえっ」

 コムギが肩をすくめる。

「それ、気にした方がいいやつですね?」

「たぶん」

「たぶん、が怖いです……」


 ガルドも前を見たまま、小さく言った。


「俺も、何かあります」

「何がです?」

 コムギが聞く。

「分からないです。でも、少し落ち着かない」

「ガルドさんがそう言う時って、何かあるんですよね……」


 トンヌラは水を飲みながら、ふと呟く。


「……今日は少し騒がしいな」


「混んでますしね」

 コムギが言う。

「そうじゃない」

 トンヌラは眉をひそめた。

「何がです?」

「分からん」


 意味不明だった。

 だが、ミラはその言葉に反応した。


(分かるの?)


 分かる、というより、拾っている。

 音の理屈ではなく、場の違和感を。



 曲が終わる。


 拍手はいつもより大きかった。


 客は楽しんでいる。

 声も出る。

 空気も悪くない。


 それなのに、手応えがない。


(なんで)


 音は外れていない。

 声も届いている。

 客の反応もある。


 なのに、胸の奥につっかえるような感覚。


 終わったあとに残るはずの“繋がった感じ”だけが、どこかに抜け落ちている。



 店の外。


 風が一度、逆向きに流れた。


 遠くで鐘が鳴る。


 今度は――ほんのわずかに不協和だった。



 観測室。


 水晶の表面に、細い亀裂みたいな線が一度だけ走った。


 ノインが顔を上げる。


「微細な振動。発生源不明」

 リリカが身を乗り出す。

「ズレてる?」

「まだ誤差です」

「でも嫌な感じします」

「感じる、ではなく数値で」

「ノイン、そういう時ほんと硬いですよね」

「職務です」

「はいはい……でも、嫌な予感は大事ですよ」

「……」


 ノインは答えなかった。


 ただ、沈黙が少し長かった。


 エヴァンは目を閉じたまま、静かに言う。


「許容誤差、範囲内」

「長官」

 ノインが呼ぶ。

「前奏だ」


 それだけだった。


 まだ指は動かない。

 だが、聴いてはいる。



 店内。


 ミラは、水を飲むふりをして呼吸を整えた。

 だが整いきらない。


 胸の奥にざらつきが残る。


 そのまま、トンヌラのテーブルの前へ来る。


「今日、どうだった?」


 強がった声だった。


 トンヌラは少し考えた。


「腹には響いた」

「それ以外は?」

「……少し、うるさかった」


 ミラの心臓が跳ねる。


「どこが」

「分からん」

「分からないんだ」

「だが、整ってない」


 短い。

 雑だ。

 でも、核心だけは外していない。


 ミラは数秒、黙った。


 それから、いつもの強気な笑い方を作る。


「そっか。じゃあ整えてみせる」


 宣言だった。

 誰にでもなく。

 まず、自分に向けた。


 コムギが目をぱちぱちさせる。


「今の、ちょっとかっこよかったです」

「ちょっとだけ?」

 ミラが聞く。

「かなりです!」

「じゃあ許す」

「上からだ……」

 フィーが小さく笑う。

「でも、似合います」

「でしょ?」

「はい」

「いいですね、フィーさん。分かってる」

「何となくです」

「何となくでそこまで言われると嬉しいな」


 ミラはそう言ったが、目の奥はまだ少し硬いままだった。



 その夜。


 街は何事もなく眠る。

 戦いもない。


 ただ――


 どこかで、音が重なり損ねている。


 まだ名はない。

 だが確実に。


 不協和音が、静かに息を潜めている。


 ここはレイアノーティア。

 波はやがて均衡に戻る。


 ――戻れなかった波だけが、物語になる。



 第35話 了


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