第34話 もう一曲、聴きに来て
第34話 もう一曲、聴きに来て
ここはレイアノーティア。
名は人を座らせ、役目は人を歩かせる。
音は流れ、
拍は揃い、
乱れはやがて整う。
――整わないものだけが、目立つ。
⸻
翌日の夜。
トンヌラたちは、アークレイドへ戻るのをやめ、ヴァルミオンをしばらく拠点にすることにした。
飯がうまい。
宿も悪くない。
音がある。
理由としては、だいたい十分だった。
「再検証です」
コムギが真顔で言った。
「昨日の出汁、火入れのタイミングが完璧でした。確認が必要です」
「何の確認だ」
トンヌラが聞く。
「再現性です!」
「料理人みたいな顔して言うな」
「補給担当です!」
「似たようなものですね」
フィーが少し笑う。
「ですよね!?」
「俺も、あの店は立ちやすかったです」
ガルドが静かに言った。
「ガルドさん、その感想だいぶ独特ですよ」
「でも分かる気はします」
フィーが頷く。
「フィーさんまで!?」
「ぽめも落ち着いてました」
「私は少し気になることがあります」
「理由が増えたな」
トンヌラが腕を組む。
「昨日は結局、肉を食べた。魚も気になる」
「よし、十分です!」
コムギが胸を張った。
理由は、まあ十分だった。
⸻
《青錆の弦亭》
扉を開けると、昨日と同じ匂いがした。
焼けた肉。
酒。
煮込みの湯気。
人の声。
木椅子の擦れる音。
その全部の上を、ギターの音が薄く滑っていく。
今日は昨日より少しだけ客が多い。
噂が広がったわけではない。
ただ偶然だ。
けれど偶然にしては、店内の空気が少しだけ濃い。
そして、舞台の上の少女は、扉が鳴った瞬間に気づいた。
「あ、来た」
にやっと笑う。
コムギが小さく声を漏らす。
「えっ、覚えられてます?」
「だろうな」
トンヌラが言う。
「団長さん、そこ当然みたいに言いますけど、普通ちょっと嬉しくなるやつです!」
「そういうものか」
「そういうものです!」
ミラはギターを抱えたまま、舞台の上からこちらを見ている。
今日は昨日より少しラフな空気だ。
構えすぎていない。
だが、そのぶん視線はまっすぐだった。
(来ると思ってた)
なぜかは分からない。
でも来る気がしていた。
⸻
一行は昨日と同じ席に座る。
ガルドは椅子に座っても“立っている”。
コムギはメニューを真剣に分析している。
フィーは舞台と店の空気を観察している。
ぽめは丸い。
トンヌラは静かに座る。
何もしていない。
なのに、あのテーブルだけ拍が揃う。
ミラはそれを、今日は昨日よりはっきり感じていた。
(やっぱ変だ)
この男は、拍に乗っていない。
合わせようともしていない。
なのに、周りだけが妙に安定する。
腹が立つほど自然で、
悔しいほど目立たない。
だから余計に引っかかる。
⸻
一曲目が終わる。
昨日より少し、自由に弾けた。
客の反応が劇的に変わったわけではない。
それでも、歌っていて楽だった。
視線が、あのテーブルへ向く。
トンヌラは料理を見ている。
世界の命運みたいな顔で。
コムギが小声で言う。
「団長さん、今日は魚にするんですか?」
「まだ決めていない」
「昨日から言ってません?」
「魚というものは、慎重に選ぶべき存在だ」
「そこまでですか!?」
「団長さん、魚に何を背負わせてるんですか」
フィーが少し笑う。
「食事は大事です」
ガルドが真顔で補足する。
「ガルドさんまで真面目な顔で言わないでください!」
そのやり取りを見た瞬間、ミラの指が少し軽くなった。
(あー、これだ)
あのテーブルは、誰もきっちり合わせようとしていない。
なのに崩れない。
それが、悔しい。
そして、羨ましい。
⸻
二曲目のあと、ミラは舞台から降りた。
客席を抜けて、まっすぐそのテーブルへ向かう。
「ねえ」
コムギが顔を上げる。
「演奏者の方です!」
「見れば分かる」
トンヌラが言う。
「団長さん、そういうところですよ」
「何がだ」
「雑なんです」
ミラはトンヌラを見る。
「昨日さ、あんた変なリズムしてたでしょ」
「リズムはしていない。飯を食っていただけだ」
「それが変なの」
「意味が分からん」
「分からないままでいい。とにかく、あんたのテーブルだけズレてないの」
「ズレてないのは良いことでは」
ガルドが真顔で言う。
「そうなんだけどさ」
ミラは少しだけ身を乗り出した。
「あたしの方が、合わせたくなるのよ」
コムギがきょとんとする。
「それって褒めてます?」
「半分くらいは」
「半分!?」
「残り半分は悔しいの」
「正直!」
「音楽やってると、そこは正直になるの」
トンヌラは少し考えた。
「音楽は分からん」
「うん」
「だが、腹には響いた」
「……」
一瞬だけ、ミラが黙る。
昨日と同じ言葉だ。
でも今日は、その一言の重さが少し違った。
持ち上げているわけではない。
媚びてもいない。
ただ、自分の感覚で返している。
だから、妙に刺さる。
コムギが補足する。
「音に栄養はありませんが、いい音色だったと思います!」
「その補足、合ってるような違うような」
ミラが笑う。
「でも、嬉しいです!」
「お前は全部嬉しそうだな」
トンヌラが言う。
「だいたいそうです!」
フィーがぽめを撫でながら口を開く。
「この子も、昨日より落ち着いてます」
「犬まで聴いてるの?」
「聴いてるかは分かりません。でも、心拍は安定してます」
「すごいな、それ」
「職業病です」
「便利だね」
「団長さんほどではないです」
「どこがだ」
「何もしてないのに中心に見えるところ」
「それは褒めてないだろ」
「半分くらいは」
「お前ら、すぐ半分にするな」
ミラは吹き出した。
この感じだ。
否定しない。
過剰に持ち上げない。
期待も押しつけない。
でも、場がほどける。
それが、歌いやすい。この賑やかな街にはいない、珍しい人達。
⸻
「また来てよ」
ミラはあっさり言った。
「今日みたいに、そこで食べてて」
「音響調整役か」
トンヌラが言う。
「違う」
ミラは笑う。
「あたしが歌いやすいの」
「正直に言いますね」
フィーが言う。
「今さらでしょ」
「ガルドさん、立ち位置変えますか?」
ミラがふと思いついたように聞く。
「変えなくていい」
即答したのはトンヌラだった。
「俺は?」
「ガルドはそのままでいい」
「私は?」
「コムギはそのままでいい」
「ぽめは?」
「丸いままでいい」
「変なの!」
コムギが叫ぶ。
「でも合ってます」
フィーが真顔で頷く。
「フィーさんまで!?」
ミラはトンヌラを見る。
「あんた、拍の外側にいるよね」
「外側が安全だ」
トンヌラは真顔で答える。
「経験則だ。三回くらい死にかけた」
「なにそれ」
ミラは思わず吹き出した。
「いや、笑い事じゃないんだけど」
「でも今の、ちょっと面白い」
「面白くない」
「面白いよ」
「勝手に決めるな」
「決めるよ。あたし今、演者だから」
その言い返しが妙に軽やかで、トンヌラは少しだけ言葉に詰まった。
⸻
その時だった。
どこかで、乾いた音が一度だけ鳴った。
風が一瞬、逆向きに吹く。
街のどこかで、拍が一拍だけ整い直す。
完璧に。
正確に。
しかし誰も、まだ気づかない。
街のどこかで、
ほんの小さな“不協和”が芽吹いている。
まだ名はない。
まだ姿もない。
だが確実に、
拍の裏側で何かがずれ始めていた。
フィーがふと顔を上げる。
「……今」
「どうしました?」
ガルドが聞く。
「いえ。風が少し」
「風?」
コムギがきょとんとする。
「気のせいかもしれません」
「それ、最近いちばん聞きたくない言葉です……」
「すみません」
「謝らないでください、余計に気になります!」
コムギが鍋を抱え直す。
ミラはその一瞬だけ、胸の奥にざらりとした違和感を覚えた。
だが、まだ名前はつけられない。
⸻
舞台へ戻る前に、ミラはトンヌラへもう一度だけ視線を向けた。
「じゃ、次の曲いくから。ちゃんと座っててよ?」
「問題ない」
トンヌラは頷く。
まるで世界の指揮を任されたみたいな顔で。
再び音が鳴る。
昨日より自由。
昨日より少しだけ強い。
そしてミラは、確信する。
(あたし、あの人の拍、奪いにいく)
合わせるんじゃない。
揺らしてやる。
自分のリズムで。
ここはレイアノーティア。
音は人をつなぎ、
拍は物語を運ぶ。
――だが今夜、
拍の外側にいる男へ、
ひとりの歌い手が手を伸ばした。
⸻
第34話 了




