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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第4章 拍を奪うもの バンドマン

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第33話 拍の外側にいる男

 ここはレイアノーティア。

 名は人を座らせ、役目は人を歩かせる。


 音は人を揺らし、

 拍は人をつなぐ。


 ――だが時々、

 拍の外側に立つ者がいる。



 ヴァルミオン自治領は、音の似合う街だった。


 昼は荷車の軋みと商人の声が拍を作り、

 夜は弦と酒と笑い声が、その拍を引き継ぐ。


 誰も意識していないのに、この街では人の歩幅も会話も、どこかひとつの流れに乗っている。

 それは秩序というほど固くはなく、自由というには少し整いすぎていた。


 だから、ここでは“ずれ”が目立つ。

 音の外れも、呼吸の乱れも、場に合わない者の沈黙も、他の土地よりずっと早く空気へ出る。


 そして、今夜の一行は、その“空気”とうまいものが目的だ。


「調査おつかれ会です!」


 コムギが胸を張る。


 街道の依頼でずいぶん削られた心身を、少しは回復させよう。

 そういう名目だった。

 ギルドで「飯がうまい」と聞いた店へ向かっている。


「打ち上げって、初めてで」

 フィーが少し笑う。

「大事です! 美味しいものはだいたい正義です!」

「補給担当らしい意見だな」

 トンヌラが腕を組んだまま言う。

「団長さん、今さら何言ってるんですか。食べないと偉そうにもなれませんよ」

「俺は食ってなくても偉そうだ」

「偉そうは否定しないんですね」

 フィーが言う。

「事実です」

 ガルドが真顔で頷く。

「ガルドさんまで乗るんですか」

「事実なので」

「今日はみんな、やけに正直ですね……」


 コムギが呆れ半分に言う。


 ぽめはコムギの足元を、とことことついて来ていた。

 あいかわらず妙に距離感が分からない。

 近すぎないのに、離れもしない。



 一向が街を歩いているときだった。


 黒いコートの男と、すれ違う。


 白い手袋。

 カツン――カツンと、迷いのない靴音。

 歩幅が、周囲と一切ずれない。


 いや。


 周囲の方が、男に合わせている。


 トンヌラは無意識に振り返りかけて、やめた。


「……何だ今の」

「観光客ですかね?」

 コムギが気軽に言う。

「観光客にしては、目立ちすぎです」

 フィーが小さく首を振る。

「目立つのか?」

 トンヌラが聞く。

「はい。あの人だけ、息が乱れてなかったので」

「そこか」

「そこです」

「フィーさん、見るところが玄人ですね……」


 ガルドは少しだけ眉を寄せた。


「俺は、あの人が歩くたびに周りが静かになる感じがしました」

「ひえっ、何ですかそれ」

 コムギが肩をすくめる。

「気のせいかもしれません」

「それ、気のせいで済ませたくないやつです!」


 男は振り向かない。

 ただ、通りの向こうへ消えていく。


 その瞬間、遠くで鐘が一度だけ遅れた。半拍程度だが間違いなく遅れていた。


 まるで、誰かに合わせ直されたみたいに。


 フィーが足を止める。


「……今の」

「鐘ですか?」

 コムギが聞く。

「はい」

「何か変だったのか」

 トンヌラが言う。

「少しだけ」

「気のせいだといいのですが」

「はい」


 フィーはそう答えたが、それ以上は言わなかった。


 少し先、黒いコートの男は人波へ混ざって消えている。

 ただ、見失ったはずなのに、まだそこにいる気がする。



《青錆の弦亭》


 扉を押すと、空気がやわらいだ。


 酒と焼けた肉の匂い。

 煮込みの湯気。

 木の椅子が擦れる音。

 笑い声。

 そして、奥の小さな舞台から流れてくるギターの音。


 店内は半分ほど埋まっていた。

 料理を目当てに来た顔。

 会話をしに来た顔。

 なんとなく居着いている顔。


 その中で、舞台の上にひとりの少女がいる。


 ギターを抱えていた。

 立ち姿は軽い。

 だが軽さでごまかしていない。

 自分の音を持っている人間の立ち方だった。


 髪が揺れる。

 指が弦を弾く。

 声は外れていない。


 だが、客の半分はそこまで真剣に聴いていなかった。


 心地いい音だ。

 けれど、届ききってはいない。


 ミラは、その空気をわかっていた。


(今日も、か)


 指は正確だった。

 声も外れていない。

 でも客の呼吸と、ほんの少しだけ合わない。


「四名様でよろしいですか?」

 店の店員が聞く。

「ぽめもいます!」

 コムギが元気に言う。

「犬は一名に入らないです」

「そうなんですか!?」

「だいたいそうです」

 フィーが静かに補足した。

「勉強になります……」

「そこは覚えなくてもいい」


 トンヌラが言い、四人と一匹は舞台のよく見える席へ案内された。


 ガルドは椅子に腰かけても、どこか緊張感がある。

 コムギは真剣にメニューを分析している。

 フィーは舞台と店内の空気を同時に見ている。

 ぽめは丸い。

 中心に、団長が座った。


 何もしていない。

 なのに、そこだけ妙に空気が整う。



 ミラは演奏しながら、そのテーブルへ視線を向けた。


(……なに、あれ)


 音楽の人間は、空気で飯を食う。

 だから分かる。


 あの男――真ん中の、無駄に堂々とした男。

 あれはリズムに乗っていない。


 生きていれば、誰にだって鼓動がある。

 呼吸があり、歩幅があり、その人なりの生きるためのリズムがある。


 家庭でも、仕事でも、飲みの席でも同じだ。

 人はみな、少しずつズレながら、それでもどこかで揃って集団の中を生きている。


 けれど、あの男だけは違った。合わせようともしていない。

 むしろ最初から、別の場所に立っているみたいだった。


 なのにあのテーブルだけ、拍が勝手に整っている。


 ガルドが座るだけで重心が安定する。

 コムギの声が会話のテンポを作る。

 フィーの視線が場の温度を落ち着かせる。

 ぽめは寝ている。


 そして真ん中の男は、何もしない。


 何もしないのに、崩れない。


(……何それ)


 ミラの指が、ほんの少しだけ軽くなる。


 その瞬間、音が一段遠くまで伸びた。


 誰も真剣に聴いていないはずなのに、

 否定されていない。


 それだけで、歌いやすい。



 トンヌラはメニューを見ていた。


「肉か、魚か……」

「両方では」

「ガルドさん、それは発想の転換ですね」

 コムギが感心する。

「補給の観点からは、片方ずつ検証したいです」

「何を検証する気だ」

「焼き加減と塩分です!」

「そこで本気になるな」

「フィーさんは?」

 コムギが聞く。

「私は……」

 フィーは舞台を見たまま、小さく言った。

「歌ってる子、少し力みすぎですね」

「分かるんですか?」

「呼吸が浅いです」

「人でも分かるんですね」

「人も生き物なので」

「それ言われるとそうなんですけど!」


 ぽめは椅子の下で丸くなった。


「……くぁ」


 その瞬間。


 ミラの指が、少しだけ軽くなった。


(あれ?)


 音が遠くまで伸びる。


 誰も真剣に聴いていないはずなのに――


 それだけで、歌いやすい。



 曲が終わる。


 拍手は、まばらだった。


 その中で――


 トンヌラだけが普通に拍手した。


 上手いからでも、特別だからでもない。

 終わったから。


 ただ、それだけだった。


 ミラは思わず、笑いそうになった。


(変なの)


 拍手を“するべきだからする”のでも、

 “感動したから大げさに返す”のでもない。


 ただ、終わった区切りに手を打つ。

 そういう拍の置き方だった。


 その自然さが、妙に引っかかる。



 店の外。


 黒いコートの男――エヴァンは立ち止まっていた。


 酒場から漏れる音を、静かに聴いている。


 整わない拍。

 未完成の旋律。

 それでも崩れない空気。


「……プレリュードとしては、悪くない」


 指先で空気を撫でる。


 それだけ。


 何も起きない。


 ただ、街のどこかで

 ほんのわずかに風向きが変わる。


 それだけで街の因果を3点修正した。


 エヴァンは目を閉じる。


 まだ乱れは小さい。

 小さいからこそ、今のうちに測る価値がある。


 ネームレス。

 拍の外にいる男。

 そして、その外側に引っ張られかけている歌い手。


「面白い」


 それは好意ではない。

 まだ、危険とも断じない。

 だが譜面の外に何かがある時、人は目を離せない。



 店内では、ミラが次の曲に入っていた。


 今度は昨日より少し自由に。

 少しだけ、客にではなく、自分に寄せて。


 トンヌラはフォークを置く。


「この曲、腹に優しいな」

「音に栄養はないですよ?」

 コムギが即座に返す。

「あるだろ、たぶん」

「団長さんの“たぶん”が適当すぎます」

「でも分かります」

 フィーが言う。

「えっ」

「やわらかい音です」

「そう、それです!」

 コムギが急に乗る。

「私もそう言いたかったんです!」

「今のは便乗ですね」

 ガルドが静かに言った。

「ガルドさん、それ言っちゃいます!?」

「事実です」

「今日はみんな正直すぎません?」


 ミラは、そのやり取りごと受け取っていた。


(あの人、私のテンポに合わせてない)


 なのに。


(……私の方が、あの人に合わせたくなる)


 悔しい、と思った。


 自分は音楽で場を取る側のはずだ。

 なのに、座っているだけの男が、拍の外側から場の重心をずらしてくる。


 合わせたいわけじゃない。

 でも、気になる。


 それは音楽の人間にとって、かなり強い引力だった。



 演奏後。


 ミラは水を飲みながら、あのテーブルを見た。


 トンヌラは真剣に悩んでいる。


「やっぱ魚か……?」


 世界の命運と同じ顔で。


(……おもしろ)


 ミラは決める。


(あの人たち、もう少し観察しよ)


 興味だった。

 音楽的な興味でもあり、

 少しだけ、もっと別の種類の興味でもあった。



 その夜。


 ヴァルミオンの街は、何事もなく眠る。


 何事もない穏やかな夜だった。


 ただ、ほんのわずかに――

 拍が揃い直しかけている。


 トンヌラは知らない。


 さっきすれ違った男が、

 世界の“拍”を測る側であることを。


 エヴァンは知っている。


 あの無駄に堂々とした男が、

 設計図の外側に立っていることを。


 だがまだ、“危険”とまでは判断していない。


 ここはレイアノーティア。

 音は人をつなぎ、

 拍は物語を運ぶ。


 ――そして今夜、

 まだ名もない物語が、静かに始まった。



 第33話 了


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