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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第4章 拍を奪うもの バンドマン

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第32話 指揮者は静かに現れる

 ここはレイアノーティア。

 名は人を座らせ、役目は人を歩かせる。


 その流れを整える者を、世界は《指揮者》と呼ぶ。

 指揮者は正しく、静かで、場を支配する。


 ――その正しさは、些細な雑音ひとつで、致命的に音を外す。



 水晶の海は、今日も青かった。


 無数の因果が糸のように垂れ下がり、

 街道の風、魔物の歩幅、人の決断を、静かに編んでいる。


 その中心に置かれた白い部屋は、音が少なすぎた。

 だからこそ、遠くから聴こえるたった一音が、よく響く。


 ピアノだった。


 迷いなく、正確で、均整の取れた音。

 協奏曲と呼ぶにはあまりに独りよがりで、独奏と呼ぶにはあまりに完成されすぎている。


 音が止まる。


 唐突だった。

 鍵盤の方が先に気分を害したような止まり方だった。


 完璧だからこそ、そこで止めた。


 白い手袋をはめる。

 靴音が鳴る。


 カツン。

 カツン。


 迷いのない歩幅。

 その歩幅に、部屋の空気そのものが合わせ直される。


 ――エヴァン。


 世界調停機構コンダクターズ長官。

 勇者も魔王も、人の営みも、同じ譜面の上へ置いて考える男だった。


 彼は水晶卓へ触れず、その前に立った。

 眺めるだけで十分だと言わんばかりに。


「ノイン」


 呼び方が短い。

 それだけで、部屋の温度がわずかに引き締まる。


「報告を」



 ノインが一歩前に出る。


「対象コードN-LESS――通称トンヌラ。

 同行者三名、すべて“後発確定”を観測」


 記録が空中へ浮かぶ。


 ・バトル・ウォーデン:ガルド

 ・ミリタリー・サスティナー:コムギ

 ・バイオ・チューナー:フィー


 因果の順序は逆転していた。

 結果が先に立ち、理由が後から追いかけてくる。


 エヴァンは、それを見て小さく頷く。


「綺麗ではないね」


 この世界で、その言葉はほとんど「誤り」と同じ意味を持っていた。



 横から、少しだけ勢いのある声が出る。


「でも悪い感じじゃないんです!」

 リリカだった。

「ぽめも可愛いし、フィーさんもあの……なんか、こう、すごく整ってますし……」


 ノインの視線が氷になる。


「感想は禁止」

「はい……」


 しゅんとするリリカを横目に、エヴァンはほんの一瞬だけ口元を緩めた。


「構わない。感想は人の仕事だ」


 ノインがわずかに息を止める。

 長官が“人間側”へ寄る言い方をするのは珍しい。


 リリカは少しだけ顔を上げた。


「じゃあ、可愛いはセーフですか」

「ケースによる」

「厳しいなあ……」


 リリカはぼやいたが、端末を抱える手は止めていない。

 そこが彼女の愛嬌であり、仕事人でもあるところだった。



 エヴァンは水晶卓の縁を、指先でなぞった。


「ノイン。名とは何だ?」


「機能。席。数式です」


 即答だった。


 エヴァンは静かに頷く。


「名は世界を揺らさないための重りだ。

 揺れない世界は、壊れない」


 水晶に波紋が広がる。


「名があるから、人は座れる。

 役目があるから、迷わず歩ける」


 それが、コンダクター方式。


 世界が役割を配る。

 人はそれに従う。


 完璧で、美しい。

 少なくとも、エヴァンはそう信じている。



「だが――」


 エヴァンは、トンヌラの観測ログを開いた。


 戦闘記録――なし。

 能動行為――なし。

 覚醒条件――不明。


 ただ一行だけが、何度も繰り返されている。


《覚悟、完了……!》


 エヴァンはしばらくそれを見ていた。

 ノインが静かに言う。


「ネームレスです」


「違う」


 否定は、間を置かずに落ちた。


「彼は“名を与えられていない”のではない」


 エヴァンの指先が、その一行の上で止まる。


「“名を呼んでいる”」


 観測室が、一瞬だけ静まった。


「居場所を、だ」



 リリカが小さく呟く。


「世界が役割を配るんじゃなくて……

 自分で席を呼んでるってことですか?」


 エヴァンは頷いた。


「祈りと、誤解と、承認。

 偶発的に真名を生む」


 それは、美しくない。


 理論としては雑で、構造としては危うい。

 だが、否定しきれない強度があった。


 ノインが低く言う。


「祈りに近いですね」

「厨二病の発声では?」

 リリカが言う。

「ですが、強度は祈りに近いです」

 ノインが続けた。


 エヴァンは静かに断定する。


「同じことだよ」


 その言葉に、リリカが目を瞬かせる。


「……同じなんですか」

「本物の厨二は、様式を信じる。

 信じるという行為は、祈りと大差ない」

「長官、それ本人の前で言ったら喜びそうです」

「言わないよ」

「そこはちゃんとしてるんですね」

「当然だろう」


 エヴァンは一度だけ手袋の指先を整えた。



 彼は水晶卓から離れた。


「ノイン。君の調律は正しかった。

 階層操作も、確率誘導も」


「ですが、突破されました」


「うん。だから――」


 カツン。


 靴が一歩、世界の中心を鳴らす。


「私が行こう」


 それは宣言ではない。

 すでに決定された未来を、確認しただけの声だった。



 空気が変わる。


 リリカが素で声を上げる。


「長官が直に!?」

「声が大きい」

 ノインが言う。

「だってびっくりしますよ!」

「対象はまだ小さいです」

 ノインが続けた。

「小さい、かい?」


 エヴァンの指先が水晶に触れる。

 そこに映ったのは、丸く寝ているぽめの姿だった。


「小さいからだよ。

 大きな乱れは、歴史が直す」


 魔王。

 勇者。

 戦争。

 災厄。


「だが小さな善意は、日常に混ざる」


 そして静かに、設計図へ穴を開ける。


 リリカがぽめを見つめる。


「……可愛いのに厄介なんですね」

「可愛いかどうかは関係ないです」

 ノインが即答する。

「そこは認めてくれないんですね」

「今は不要です」

「今はって言いました?」

「言ってません」

「言いましたよね?」

「気のせいです」

「ノイン、そういう時だけ強引ですよね」

「リリカ」

「はい、黙ります」


 だがリリカの視線はまだぽめに残っていた。

 可愛いものは可愛い。

 その上で厄介なのが、一番面倒だと彼女は知っている。



 エヴァンは手袋を外した。


「私は敵にはならない」


 一拍。


「だが必要なら、消す」


 ノインが問う。


「では、何に?」


 少しだけ間があった。


 そしてエヴァンは、止まっていたピアノへ手を置く。


「――指揮者だよ」


 長い指が、再び音を奏ではじめる。

 今度は、先ほどより少しだけ速い。

 活発で、軽やかで、だが一切の乱れを許さないアレグロだった。


 完璧な世界を、完璧なまま続けるための。


「世界は役割を配る。

 それが秩序だ」


 音が重なる。


「対して――彼は居場所を呼ぶ」


 一拍。


「ならば、プレリュード《前奏曲》を始めよう」


 静かな対立が、そこで完成した。



 同時刻。

 街道では、トンヌラがくしゃみをした。


「誰か噂してるな」

「風邪では」

 ガルドが真顔で言う。

「栄養は足りてます」

 コムギが即答する。

「今日も丸いです」

 フィーはぽめを抱いたまま、妙に真面目な顔で言った。


 トンヌラは空を見上げる。初めて来た、ヴァルミオン領。


 トンヌラ達が拠点にするアークレイドとは違い、至る所に商人達が声を上げ、楽団がパフォーマンスを披露し賑わっている。


「……なんか、この街、すごい奴いそうだな」


 理由はない。

 ただ何となく、そんな気がしただけだった。


(ちょっと……かっこいいかもな)


 自分でも気づかない、最初の伏線だった。



 ここはレイアノーティア。

 整合された、完璧な世界。


 指揮者は今日も正しい。

 だからこそ――


 間違えられない。


 そして。


 世界は役割を配る。

 トンヌラは居場所を呼ぶ。


 その二つが、同じ舞台へ立った時。

 拍はたぶん、静かには済まない。



 第32話 了


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