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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第3章 治す者 ペットシッター

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第27話 やさしさが足りなかった日

 ここはレイアノーティア。

 名は人を座らせ、役目は人を歩かせる。


 けれど、ときどき世界は、

 座る暇も、役目を選ぶ暇も与えない。


 ただ足りなかったことだけを残して、

 人の胸に、長く居座る。



 四日目の朝、空気は明らかに変わっていた。


 湿ってはいない。

 風もある。

 だが、肌を通る空気が、少しだけ重い。


 最初は人間ではなく馬が気付いた。


 耳を小さく動かし、鼻先を揺らし、足を運ぶたびにほんのわずかにためらう。

 フィーはその様子を見て、黙ったまま歩幅を合わせていた。


 コムギがリュックを抱え直す。


「……今日、なんかやです」

「そうですね」

「フィーさんまで!」


 コムギが本気で嫌そうな顔をする。


 ガルドは前を見たまま、小さく言った。


「昨日より、緊張しています」

「馬ですか?」

「馬も、俺たちもです」

「ひえー! 自覚あるやつです!」


 それが余計に怖かった。


 トンヌラは腕を組んだまま空を見た。

 分からない。

 だが、分からないままでも、何かが昨日より悪いことだけは分かる。


「風が悪いな」

「団長、それ便利な言葉すぎません?」

「便利だから使う」

「開き直りました!」


 コムギが叫ぶ。


 フィーはそのやり取りに少しだけ口元をゆるめたが、目だけは前を見たままだった。



 午前のうちは、まだ避けられた。


 右へ寄る。

 少し待つ。

 歩幅をずらす。

 馬の向きを変える。


 それで何度か、ぎりぎり戦闘を避けることができた。


 だが、昨日までと違うのは、避けた先にもまた別の気配があることだった。


 草の奥でひとつ。

 水場の近くでふたつ。

 離れた木陰にもうひとつ。


 散っているようで、散りきっていない。

 逃げた先に次がある。


 フィーが足を止める回数は、昨日より明らかに増えていた。


「……こっちです」

「またですか?」

「またです」

「ひえ……」


 コムギの怖がり方は、だんだん素直になってきた。


 ガルドが低く聞く。


「今度は何匹です?」

「三匹……いえ、四」

「増えましたね」

「はい」

「よくないですね」


 フィーは短く頷き、少しだけ唇を噛んだ。


 昨日まではもっと楽に読めていた。

 寄り方にも、間にも、まだ余裕があった。

 今はそれどころではない。


 見えるが、見えたところで避けられるとは限らない。


 いやな感覚が、胸の奥を静かに撫でた。



 最初に避けきれなかったのは、昼過ぎだった。


 街道脇の低い茂み。

 フィーが先に「止まって」と言った時には、もう一匹が飛び出していた。


 大きくはない。

 だが速い。


 ガルドが一歩前へ出る。


「下がってください」


 低い声だった。

 それだけで隊の前に境界ができる。


 魔物は飛びかかりかけて、そこでほんのわずかに軌道を迷った。

 その一瞬で十分だった。


 境界に弾かれた個体が地面を転がり、フィーが馬を引き、コムギ叫びながら鍋を抱えて飛び下がる。


「ちょ、ちょっと! 避けるって言ってましたよね!?」

「言いました」

「来てますけど!?」

「来ました」

「冷静!!」


 トンヌラは腕を組んだまま、半歩だけ後ろへ下がった。

 後ろへ下がったことを悟られないように、偉そうな顔だけは崩さない。


(やばい。来た)

(来るな来るな)


 内心だけが忙しい。


 その間にも、藪の向こうで二匹目が唸る。

 三匹目の気配が少し離れて動く。


 フィーの目が細くなる。


「……近すぎる」

「何です?」

「いえ」


 言って、フィーは口を閉じた。


 今のは誰に言ったわけでもない。

 だが、自分の中で確かに嫌な形に近づいていた。


 呼吸は読めたし足の運びも見える。

 飛び出す角度も分かる。


 だが全部は止められない。



 どうにか一団をやりすごし、小さな水場まで退いたところで、コムギがへなへなと座り込んだ。


「なんとかなりましたね……」

「まだ始まったばかりです」

「始まってほしくなかったです!」

「俺も同感です」

「ガルドさんまで!」


 ガルドは周囲を見ながら、少しだけ息を吐く。


「でも、今のはまだ小さい方です」

「まだ大きなのもいるってことですよね」


 コムギが頭を抱える。


 フィーは水場の縁にしゃがみ込み、馬の脚を見た。

 震えてはいない。

 ただ、落ち着きがない。

 呼吸も少し速くなっていた。


「大丈夫」


 馬に向けて言う。

 それは馬への声で、同時に自分への声でもあった。


 トンヌラが近くへ来る。


「お前は大丈夫か」

「……はい」

「嘘だな」

「団長さん、その言い方ちょっと容赦ないです」

「大丈夫ではないです。でも、動けます」

「ならそれでいい」


 トンヌラはそう言ったが、フィーは少しだけ助かった顔をした。


 大丈夫かと聞かれるのは苦手だった。

 大丈夫ですと答える癖があるからだ。

 だが、最初から嘘だと切られると、少しだけ肩の荷が降りた。


 コムギが水を飲みながら、ふとぽめの方を見た。


「あれ、この子全然怖がってなくないですか?」

「怖がってないですね」

「肝のすわった犬」

「ポメラニアンだな」

「団長、それ答えになってません!」


 ぽめは少し離れた場所で座り、いつも通り眠そうな顔をしていた。

 さっきの騒ぎにも大して動じていない。


 フィーの目が、また一瞬だけ止まる。


 小さくて白い。

 丸くて、ふわふわ。

 妙に落ち着いている。


 (似てる)


 その言葉が胸に浮かんだ瞬間、フィーはすぐに視線を外した。



 午後に入ると、避けきれない場面が露骨に増え始めた。


 正面を避ければ横から来る。

 横を捌けば、少し遅れて別の個体が現れた。


 戦闘というほど大きくはないが、消耗が積み重なっていく。


 いちばん嫌なテンポだった。


 ガルドが前へ出る。

 フィーが道をずらす。

 コムギが「ひえー!」「またですか!」「多いです!」と叫びながらも鍋だけは守る。

 トンヌラは腕を組み、何もしていないのに何かしていそうな位置にいる。


 傍から見れば、妙な連携だった。


 しかも、それが機能してしまう。


 小さな群れをいなして、ようやく開けた場所に出た時、向こうから来た別班の冒険者が目を見開いた。


「……まだ無傷なのか」

「ええ。なんとか」

「こっちはもう二回も噛まれてる」


 相手の目が、自然とトンヌラへ移る。

 嫌な流れだった。


「やっぱり、ネームレスがいる隊は違うな……」

「違いますけど!?」

「何が」

「だいたい全部誤解だ」

「でも避けられてるじゃないですか」

「それはフィーさんが」

「そういうところが余計怖いんだよ」


 どうしろというのか。


 トンヌラは内心でそう思ったが、説明すればするほど怪しくなるのも分かっていた。

 なので結局、いつもの雑な答えになる。


「知らん。避けたのはフィーだ」

「団長、それ訂正になってないです」

「事実だろ」

「そうなんですけどね」


 コムギはそんな団長の態度にも慣れてしまっている。

 フィーは困ったように笑ったが、その笑いは少し薄かった。


 今のようなやり取りに救われるのは本当だ。

 だが、その救われ方は、昔にはなかった。


 昔は、見えていても届かなかった。

 分かっていても、守れなかった。


 あの時も、数は読めていた。

 流れも分かっていた。

 けれど多すぎた。


 増える怪我人、吠える声が重なった。

 血の匂いと湿った毛の匂いが混ざった。

 そして、自分は結局治すことも、戻すこともできない。


 息が浅くなる。


「フィーさん?」


 コムギの声で、今に戻る。


「……すみません」

「大丈夫ですか?」

「はい」

「それ、たぶん大丈夫じゃないやつです!」

「鋭いですね」

「そこ褒められても困ります!」


 コムギの反応に、ガルドが少しだけ口元を緩めた。


「コムギさんが騒いでるうちは、まだ大丈夫です」

「ガルドさん、それどういう意味ですか?」

「まだ元気なので、いけます」

「ひどい!」


 その会話が、フィーの息を一拍だけ整えた。



 野営地へ着く頃には、先日までとは打って変わって、全員が疲弊していた。


 大きく壊れたわけではない。

 だが、小さく削られている。


 それが一番厄介だった。


(この前と似ているな)



 コムギが鍋をかける。

 ガルドが周囲を見る。

 トンヌラが火の前に座る。

 ぽめは少し離れた場所で丸くなる。


「ふあ」


 フィーは鍋の湯気を見ながら、しばらく黙っていた。


 火の匂い。

 湯気。

 少し焦げた根菜の匂い。


 胸の奥に、別の匂いが蘇る。


 湿ったシャツ。

 血のついた毛。

 震える呼吸。

 そして、小さな生き物の体温。


 あの時も、あまりにも多すぎた。

 怪我をした人がいて、傷ついた生き物がいて、どこから手をつけても足りなかった。

 大丈夫だと、何度も言った。

 落ち着いてくださいと、何度も言った。


 理解はできた。

 呼吸も、弱り方も、何が起きるかも。

 なのに何もできなかった。


 ぽめが寝返りを打つ。

 白い毛が火の明かりを少しだけ返す。


 似ている。


 今度は、その言葉を打ち消せなかった。


「……昔、似た子がいました」


 自分でも驚くくらい、自然に口から出た。


 コムギが顔を上げる。

 ガルドも、トンヌラも、何も言わない。


 フィーは火を見たまま続けた。


「大切にしてた子です」

「犬?」

 トンヌラが聞く。


「はい。ポメラニアンでした」

「ぽめですね!」

「お前、そこで略すな」


 トンヌラがすぐに突っ込む。

 コムギは「すみません!」と肩をすくめたが、空気は少しだけ救われた。


 フィーは、小さく笑った。

 だがその笑いはすぐに消える。


「助けられなかったんです」

「……」

「見ていれば分かることは、たくさんありました。呼吸も、弱り方も、どうすれば少しは楽になるかも」

「でも、届かなかった」

 トンヌラが言う。


 フィーは、少しだけ驚いたように顔を上げた。


「はい」

「今もそう思ってる顔だ」

「……そう見えますか」

「見える」

「雑ですね」

「分かることを雑に言ってるだけだ」

「それ、すごいのか乱暴なのか、分からないですね」

「両方です!」


 コムギが元気よく言った。

 言ったあとで、自分の発言に少しだけ首をかしげる。


「たぶん!」

「勢いでまとめましたね」

「そういう時もあります!」


 フィーはそれに、ほんの少しだけ救われたような顔をした。


 ガルドが静かに言う。


「フィーさん」

「はい」

「見えていたのに助けられないのは、たぶん一番しんどいです」

「……」

「俺にはわかりません。でも分かるのに届かないのが苦しいのは、少し分かります」

「ガルドさん、あたたかい人ですね」

「そうですか。必死なだけです」

「優しいです」


 コムギが力強く断言した。


 フィーは火を見たまま、小さく息を吐く。


「また同じことになったら、と思うんです」

「なるかもしれんな」

 トンヌラが言う。


 フィーは少しだけ目を伏せた。

 否定してほしかったわけではない。

 でも、否定しないのか、とは少しだけ思った。


 そのまま、トンヌラは続ける。


「だが、今はあの時と同じではない」

「……どうしてですか」

「お前が一人で抱えなくていいからだ」

「団長さん、それ今すごくそれっぽいです」

「今だけみたいに言うな」

「いつも本気なのが困るんですよ!」


 コムギが叫び、ガルドが小さく頷く。


「俺もそう思います」

「お前まで乗るな」

「本音です」


 フィーは少しだけ笑った。

 今度の笑いは、昼間のものより自然だった。


 自然だったからこそ、胸の奥が少しだけ痛い。

 こういう空気の中にいると、過去の「足りなかった」が余計にはっきりする。


 だから、まだ怖い。


 誰も失いたくない。

 ぽめも守りたい。

 なのに、自分には見えるだけで、届かないかもしれない。


 その不安が、火の向こうで静かに息をしていた。


 ここはレイアノーティア。

 やさしさだけでは足りない日がある。


 分かるだけでも足りない日がある。


 だから人は、後悔を抱えたまま次へ行く。

 届かなかった手を忘れないまま、

 また手を伸ばすしかない。



 第27話 了


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