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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第3章 治す者 ペットシッター

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第26話 不調の中心

 ここはレイアノーティア。

 整いすぎた世界。


 整っているからこそ、

 ほんの少しのズレが許されない。


 ズレが生まれれば、

 誰かがそれを直そうとする。

 そこに生きているものの都合など、

 ひとつも数えずに。




 高くそびえ立つ塔。そこはまるで世界をすべて見通せるように、高く高く立っていた。


 その中にある、白い光の差す部屋。


 壁も、床も、机も、余計な装飾がない。

 静かすぎて、衣擦れの音さえ浮いて聞こえる。


 部屋の中央には、水晶卓が置かれていた。

 その表面にはいくつもの線が淡く揺れている。脈のようでもあり、波のようでもある。

 だがそれは生命そのものではない。生命の流れを、都合のいい結果へ寄せるための観測記録だった。


 ノインは、その水晶卓を見下ろしていた。


 長い指先が、ひとつの線をなぞる。


《N-LESS:ネームレス》

《G-ARD:バトル・ウォーデン》

《KMG:ミリタリー・サスティナー》


 そして、そこに最近になって濃度の変わり始めた一本がある。


《FEE:要観測》


 端末を抱えたリリカが、緊張した声で報告する。


「街道観測、更新です。対象パーティ、進行速度は想定範囲内。ただし、遭遇回避率が高いです」

「補給も安定している」

「はい。それに加えて、新規同行者の観測精度が高いです」

「精度」


 ノインは言葉だけを返した。


「魔物の出現位置、群れの寄り方、空白区画の偏り……生態としての違和感に近づいています」

「どこまで」

「断定には至っていません。でも、自然な崩れ方ではない、というところまでは」

「近いですね」

「……はい」


 ノインは机を一度だけ指先で叩いた。


 軽い音だった。

 だがこの部屋では、それで十分だった。


「まずいです」

「やっぱり、ですか」

「彼女は数を見ているのではない」


 ノインの視線が《FEE》へ落ちる。


「呼吸、性質、偏り。生き物の側から見ている」

「だから分布の崩れ方に気づく」

「そうです」


 リリカは端末を抱える手に少し力を入れた。


「でも、まだ真相は分かっていません」

「分かっていないのではない。言葉にしきれていないだけです」

「……」

「理解している者は、断定の前に止まる」

「フィーさんが、ですか」

「そういう種類の個体です」


 ノインの声は平坦だった。


 それは評価ではない。

 好悪でもない。

 ただ、観測対象の機能を正確に言い表しているだけだった。



 ノインは別の記録を呼び出した。


 古いログだった。

 今より少し荒く、今より少しだけ精度の低い時代のもの。

 それでも十分だった。


《地方獣害抑制案件》

《対象群:減耗調整》

《局所負荷:増加》

《生存個体数:予定値へ収束》


 リリカの目が止まる。


 その下に、さらに短い備考があった。


《同行補助個体:観測傾向あり》

《結果:自己責任傾向、増大》


「……これ」


 リリカが小さく呟く。


「前の案件ですね」

「同系統です」

「この時も、魔物分布に手が入っていた」

「はい」

「じゃあ、助けられなかったのは」

「助からない数に戻しただけです」


 ノインは即答した。


 リリカは唇を噛んだ。


「その言い方は、やっぱり……」

「言葉の問題ではありません」

「でも」

「結果が重要です」


 ノインの指先が、記録の末尾をなぞる。


「増えすぎた生存個体数、偏った回復、想定外の持続」

「それを、削った。整えた、と表現することもできます」

「……やだなあ、その言い方」

「好みの問題ではないです」

「そういうところですよ、ノイン」


 リリカは少し頬をふくらませた。

 だが、すぐに画面へ視線を戻す。


 当時の簡易所見。

 怪我人多数。

 生存率低下。

 同行者の精神負荷増大。

 犬一頭、死亡。


 たったそれだけの記録だ。

 そこに痛みは書かれていない。

 誰がどれだけ自分を責めたのかも。

 どの命が、どれだけ大事だったのかも。


「本人は、自分の技量不足だと思っている」

「その方が次の行動は読みやすいです」

「……それ、利用してるってことですよね」

「結果としては」


 ノインは否定しなかった。


 リリカは端末をぎゅっと抱く。

 やっぱり嫌なものは嫌だった。



 部屋が静まる。


 水晶卓の波形だけが、淡く揺れていた。


 ノインはそこで、判断を下す。


「局所負荷を追加します」

「また、ですか」

「はい」

「でも、今でも十分に偏っています」

「だからこそ、です」


 ノインの指が、水晶卓の一点に触れた。


 街道。

 分岐。

 水場。

 野営地。

 目に見えない線が、そこへ向かって伸びていく。


「観測対象を飽和させます」

「飽和」

「違和感をひとつずつ見きれない程度に、遭遇率を増やす」

「有耶無耶にするために?」

「そうです」

「調査そのものを困難にする」

「その通りです」


 リリカは画面を見つめた。


 遭遇率の上昇。

 群れの再偏向。

 空白区画の圧縮。

 休息地点周辺の密度変動。


 紙の上では小さな補正にすぎない。

 だが、現場で浴びる者にとっては、そのわずかな差が判断の遅れになる。


「倒れるほどでは、ないんですよね」

「倒れない程度に」

「でも、避けきれないくらいにはする」

「はい」


 ノインの声は、どこまでも平らだった。


「成功が自然に見えない程度まで重くします」

「失敗させるんじゃなくて」

「成功を削るだけです」

「それ、聞こえ方が違うだけでは」

「結果は同じかもしれません」

「いや、やっぱり嫌ですって、その言い方……」


 リリカは小さくぼやいた。


 目の前の人間は冷酷なのではない。

 冷酷ですらなく、整える側の論理だけで立っている。

 そこに情は混じらない。

 混じらないからこそ、始末が悪い。



 ノインの視線が、再び《FEE》へ落ちる。


「この個体は、理解するだけなら以前からできていた」

「はい」

「だからこそ厄介です」

「理解できるのに、変えられない」

「その痛みは足を止める」

「でも今回は…」


ノインは目を細めた。


「ネームレスが近い」

「意味づけが先に走る」

「それが"覚醒"の引き金になるかもしれない」

「可能性はあります」

「じゃあ、なおさらまずい」

「はい。だから重くする」


 リリカは端末を胸に抱えた。


 フィーはまだ、助けられなかった過去の上に立っている。

 理解できたのに、届かなかった痛みの上に。

 そこへさらに同系統の負荷を重ねる。

 それがどういうことか、想像できないほどリリカは鈍くなかった。


「……また、同じようなことをさせるんですか」

「同じではありません」

「何が」

「今回は観測対象が複数いる」

「そこですか」


 ノインは迷わない。


「単独で背負わせるより、揺れ方が読みにくい」

「そのぶん危険も増えます」

「承知しています」

「承知してる、で済むんですか」

「済ませます」


 即答だった。


 リリカはむっとした顔をしたが、そこでふと、別項目へ目が止まる。


《白色小型個体:不明》

《追跡値:低》

《優先度:保留》


「……あっ」

「どうしました」

「これ、可愛いですね」

「は?」


 ノインが珍しく聞き返した。


 リリカは端末を少し持ち上げる。


「白色小型個体って、絶対ちっちゃくて丸いやつですよね。しかも追跡値低いって、ふらふらしてる感じですよね。可愛い……」

「何を言っているんですか」

「だって気になりますもん。白くて小さいんですよ?」

「情報量が少なすぎます」

「でも可愛いかもしれないじゃないですか」

「かもしれない、で判断しないでください」


 ノインはそう返しながらも、視線だけはその項目に落ちた。


 保留。

 優先度は低い。

 なのに、妙に引っかかる。


 理由を説明しろと言われても困る。

 ただ、嫌な予感がした。


「……その個体は」

「はい」

「一応、監視は継続してください」

「えっ、やっぱり気になります?」

「可愛いからではありません」

「そこは分かってます!」


 リリカは言いつつ、少しだけにやっとした。


 ノインが保留対象へ言葉を足す時は、だいたい本能が何かを拾っている時だ。

 本人は認めないだろうが。


 リリカは画面を戻し、今度は別の観測線に目を止めた。


《FEE:要観測》


 その横に出ていた補足情報には、同行個体の外見特徴も含まれている。


「……フィーさん、やっぱりスタイルいいですよね」

「今、その話をする必要ありますか」

「だって気になるじゃないですか。華奢なのに胸あるタイプですよ?」

「知りません」

「コムギさんも気にしてましたけど、あれ分かりますもん」

「分からなくていいです」

「えー」

「えー、ではありません」


 ノインは冷たく返したが、リリカはあまり堪えていない。


「可愛い子とか綺麗な人とか、小さい動物って、つい見ちゃうんですよね」

「職務に集中してください」

「してますよ。八割くらい」

「残りの二割が問題です」

「厳しいなあ……」


 リリカは口をとがらせた。

 それでも指は止めない。観測官としての手は、ちゃんと動いている。



 水晶卓の上で、線がわずかに動いた。


 街道の一角。

 森の縁。

 水場の近く。

 昨日までは散っていた点が、ほんの少しだけ寄る。


 あまりにも小さな変化だ。

 現場の人間なら、その瞬間には気づかない。

 だが積み重なれば、必ず息が乱れる。


 ノインはその動きを見ながら、目を細めた。


 ネームレス。

 白色小型個体。

 そして、理解だけで止まっていた観測個体。


 どれも理屈の上では整理できる。

 だが、整理できるはずのものほど、時々嫌な崩れ方をする。


「……ノイン?」

「何でもないです」

「今、嫌な顔しましたよね」

「していません」

「しましたよ」

「気のせいです」

「珍しいですね」


 リリカは少しだけ真面目な声になった。


「何か、嫌な感じします?」

「……します」

「やっぱり」

「説明はできません」

「うわ、一番やなやつだ」

「はい」

「そこ即答するんですね」

「便利だったことがないので」


 それもまた、即答だった。



 同時刻。

 街道では、風向きが少しだけ変わっていた。


 草が寝る。

 枝が揺れる。

 馬が耳を動かす。


 ほんの少し前まで、きれいに散っていた気配が、緩やかに寄り始める。


 フィーは火のそばで、記録を見返していた手を止めた。


 何か、とはまだ言えない。

 だが、空気の密度が変わった気がする。


 ガルドも顔を上げる。


「……増えますか」

「たぶん」

「やっぱりですか」

「はい」


 コムギが鍋を抱き直した。


「ひえー! その“はい”、怖いやつです!」

「すみません」

「謝らないでください、余計に怖いです!」

「でも、怖いです」

「フィーさんまで言うんですか!?」


 コムギが本気で顔を引きつらせる。

 その横で、ぽめがのんびりと丸くなっていた。緊張感がない。


 トンヌラは腕を組み直した。


 話が違う。

 そう言いたかった。

 だが、街道は最初から何も約束していない。


 勝手に静かになり、

 勝手に荒れ始める。

 それだけだ。


 ここはレイアノーティア。

 修正はいつも、派手に始まらない。


 風が少し向きを変える。

 群れが少し寄る。

 空白だったはずの場所に、気配がひとつ増える。


 それだけで、昨日までの日常は、

 急に難しくなっていく。



 第26話 了


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