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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第3章 治す者 ペットシッター

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第22話 やさしい獣医の嘘

 ここはレイアノーティア。

 名は人を座らせ、役目は人を歩かせる。


 だが生き物だけは、

 名前より先に――体で答える。



 ギルドへ戻ると、掲示板の赤札が増えていた。


 無理もない。

 この前の街道で起きた魔物の急増は、まだ街の空気に尾を引いている。冒険者たちのざわめきはいつも通り騒がしいのに、どこか落ち着かない。誰もが、少しだけ気にしているのだろう。


 赤札のひとつを、ガルドが見上げる。


《街道方面補給任務及び魔物分布の調査》


「……この前の件の続きか」


 低い声だった。


 ガルドはこういう札に敏い。

 コムギは背負い袋を抱えたまま依頼文を読み込み、トンヌラは腕を組んで、まるで他人事みたいな顔をしていた。


「物を運びながら、様子も見ろということか……」


 トンヌラが重々しく言う。

 受付嬢が頷いた。


「はい。補給が主目的ですけど、ついででいいので街道沿いの魔物の痕跡や偏りも見てきてください。最近、ちょっと報告が増えてるので」

「偏り、ですか?」

「増えた、だけなら護衛を厚くすればいいんですけどね。場所にばらつきがあるというか……まあ、そのへんも含めてです」

「なるほど」


 コムギは神妙な顔で頷いた。

 分かっていそうで、たぶん半分くらいしか分かっていない顔だった。


 トンヌラが腕を組んだまま言う。


「不安要素を先に潰す依頼か」

「団長、今日ちょっとだけそれっぽいですね」

「ちょっとだけとは何だ」


 コムギの返しに、近くの冒険者が何人か吹き出した。


 受付嬢は書類を揃えながら続ける。


「中継地点の馬房にも寄ってください。念のため、そこで馬を乗り換えた方が、何かあった時に動きやすいので」


 前回の依頼が予想外に厳しかったことは、ギルドも理解しているようだった。


「たまに見に来てくれる人がいるので、会えたら話は早いと思います」


 その時はまだ、三人とも深く気に留めなかった。



 街を出て、街道をしばらく進む。

 空は高く、風は軽い。補給任務というには、見た目だけなら平和な道だった。


 だが中継馬房に近づくにつれ、空気が少し変わる。


 藁の匂い。土の匂い。獣の体温を含んだ湿った匂い。

 生き物のいる場所の匂いなのに、妙に静かだった。


「……変ですね」


 コムギが小声で言った。


「何がだ」

「馬がいる場所って、もっと賑やかなイメージだったので」

「確かに、静かすぎるな」


 ガルドが短く返す。


 トンヌラは腕を組んだまま、いかにも何かを感じ取っていそうな顔をした。

 実際には、少し静かだな、くらいしか分かっていない。


 その時、馬房の奥から声がした。


「今日は機嫌がいいね」


 やわらかい声だった。


 三人がそちらを見ると、一頭の栗毛の首筋に手を添えた女が立っていた。


 背は高めだった。華奢な体つきなのに、腰の線は細く締まり、その対比のように胸元にはやわらかな立体感がある。不思議と頼りなくは見えない。

 派手に見せているわけではないのに、目に入ると自然に印象へ残る。蜂蜜色の髪を肩のあたりでゆるくまとめ、腰には小さなポーチがいくつも下がっていた。


 顔も、姿勢も、声も整っている。

 街中ですれ違えば、たいていの男が一度は振り向くだろう。ただ綺麗というだけでは済まない、大人の女の魅力があった。

 けれどその完成度が、この場に漂う不安と少しだけ噛み合っていない。


 女は馬の耳の向きを見たまま、こちらに気づいて微笑んだ。


「あ、ごめんなさい。馬と話していました」

「ギルドの依頼で寄ったのだが、聞いているか?」

「はい、伺っています。私はここで時々、馬の世話をしている者です」


 その言い方に、トンヌラはほんの少しだけ眉を寄せた。

 コムギは素直に「きれいな人だ」という顔をしている。

 ガルドは周囲を確認してから、ようやく女に視線を戻した。


「ギルドから来た。補給任務だ」

「じゃあ、あなたたちが」


 女は小さく頷いた。


「フィーです。ギルドに所属して、馬の管理と、ペットの預かり仕事をしています」

「ペットの預かり?」


 コムギが聞き返す。


「はい。職業はペットシッターです。小さい子も馬も、生き物ならだいたい何でも」


 納得したコムギが勢いよく頷く。


 フィーはぺこりと頭を下げた。

 その動きで一瞬、胸が揺れた。


 トンヌラは一瞬だけ視線を向けて、すぐ外した。

 何もしない。

 ほんとうに何もしない。

 だが、その「見ない」がなぜか余計に気になるやつだった。



「馬の様子はどうですか?」


 ガルドが聞くと、フィーは栗毛の首筋を撫でながら答えた。


「落ち着いています。でも、少し神経が立ってます」

「魔物のせいか?」

「かもしれません」


 少し間を置く。

 言い切らない言い方だった。


「進みたがらない子が増えてます。夜に落ち着かない子も」

「魔物が増えているせいか」

「ええ、おそらく。放っておくと面倒です」


 フィーは馬の息を聞くように少し顔を寄せ、それから何気ない手つきでポーチから紙片を出した。短く何かを書きつけ、すぐにしまう。


 コムギが目を瞬かせた。


「今、メモ取りました?」

「はい。体調やその日の様子は、忘れる前に書いておいた方がいいので」

「まじめだ……」


 言いながら、フィーはまた馬を撫でる。

 馬が小さく鼻を鳴らした。


「ほら。ちゃんと返事をします」

「俺より素直だな」

「団長はまず返事をしません」


 コムギの即答に、フィーが少しだけ笑った。


 声を立てるほどではない。

 けれど、目元だけは確かにやわらいだ。



 そこへコムギが、いそいそと餌袋を運んできた。


「馬用に少し調整してみました!」

「もうやったのか?」

「気になったので!」


 背中の大きなリュックが揺れ、はみ出したおたまがかすかに鳴る。

 フィーは目を丸くした。


「……野菜の切り分け、変えてます?」

「分かります!?」

「食べやすいようにしてる。ちゃんとしてるやつです」

「ちゃんとしてるやつです!」


 褒められると、コムギはすぐ元気になる。


 だが次の瞬間、その視線が止まった。

 視線だけが、頭よりやや下を向いている。


「……すごい」

「何がですか?」

「どうやったら胸にだけ栄養がいくんですか?」


 ガルドがむせた。


「コムギ!」

「真剣なんです! 栄養管理の観点から!」

「観点がおかしい!」


 コムギは大真面目だった。


「参考にできるならしたくて……」

「これは生まれつきです」

「そうですか……」


 フィーがあっさり答える。

 コムギは静かにメモ帳を閉じた。


「栄養管理では勝てない領域だった……」


 敗北を受け入れるのが早い。


 トンヌラは馬房の天井を見上げた。

 空ではない。馬房である。だが見上げた。


(……風が悪い)


 何となく、それっぽく思っただけだった。



「補給任務なら、私も少し先まで付きます」


 不意にフィーが言った。


 ガルドが視線を向ける。


「いいのか」

「もともと、この辺の様子も見たかったので。馬の反応を見るなら、街道も見た方が早いです」

「戦えますか? 魔物が多かったら危険です」


 コムギが遠慮なく聞いた。

 フィーは少し考えてから答える。


「戦えません。でも、避けるのは得意です」

「避ける?」

「戦わない方向で頼む」

「負けない方向で」

「倒れない方向で!」


 トンヌラ、ガルド、コムギが順に言う。


 三人とも方向性は一致していた。

 勝利条件だけが、世間一般と少し違う。


 フィーは、その三人を見て少しだけ目を細めた。


「……変わったパーティですね」

「団長がいちばん変わってます」

「俺だけではあるまい」


 そのやり取りを聞きながら、フィーの表情からほんの少しだけ警戒が薄れたように見えた。


 それでも彼女は、出発前にもう一度だけ馬の耳と地面の痕を見て、小さくメモを取った。

 何を見て、何を書いたのかは言わない。

 ただ、見ているものが少し違う。そんな気配だけが残る。


「では、行きましょう」


 フィーがそう言う。

 ガルドが頷き、コムギが背負い袋を抱え直す。

 トンヌラはいかにも最初からそう決まっていたような顔で馬に飛び乗った。


 ここはレイアノーティア。

 異変はいつも、大きな音で始まるわけじゃない。


 そして女は記録を取る。


 まだ名前のつかない違和感を、

 今はただ、手元に留めておくために。



 第22話 了


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