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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第2章 支える者 管理栄養士

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第21話 静かな帰還

ここはレイアノーティア。

名は人を座らせ、役目は人を歩かせる。


だが、ときどき世界は——

歩かせたあとで、何事もなかった顔をする。



森が切れ、地形が開けた。


木々の隙間から見えたのは、低い柵と見張り台の影だった。石の積み方が粗い。完璧な城壁ではない。だからこそ、生きている拠点の形をしている。


「……着いた」


誰かが言った声は、嬉しさより先に、空気が抜ける音だった。

そこから先は、足が勝手に進む。止まったら崩れると、身体が知っている。


門番が駆け寄ってくる。

顔を見て、ぎょっとして、口をつぐんだ。


この一行は、書類の上では「比較的安全な補給任務」を遂行するはずだった。

現実は——見れば分かる。


煤けた顔。割れた唇。重い足。

そして、まだ立っているガルド。


「依頼の物資を届けに来た……!」


誰かが叫んだ。

門が開く。



柵の内側へ入った瞬間、張り詰めていた糸が一本切れたみたいに、あちこちで膝が落ちた。座り込む。倒れ込む。笑うとも泣くともつかない声が漏れる。


ガルドだけは最後まで立っていた。疲労が濃く、肩で息をする。

立っていないと崩れる身体を、無理やり地面に固定しているように見えた。


コムギは鍋を抱えたまま、荷受け場へ走る。

帳簿と印章、受領の署名。

その一つひとつが、現実へ戻るための儀式だった。


「……完了、です」


言った瞬間胸が熱くなった。泣くのはあとにしたい。でも、泣いていい場所があると分かっただけで、全身の筋肉が緩む。



荷が運び込まれ、拠点の人間が頭を下げる。


「助かった……本当に助かった」


それは拠点側の言葉だった。

だが、今日いちばん刺さったのは、同じ道を歩いてきた冒険者たちの方だった。


別班の年配の男が、ガルドの前へ来て、深く頭を下げた。


「あんたが立ってくれなきゃ、全滅していたかもしれない」


次に、コムギへ向き直る。

幼い顔に、帽子。鍋。大きなリュック。おたま。


……もう誰も「子ども」とは言わなかった。


「コムギさん。あんたがいなきゃ、もっと犠牲者が出ていてもおかしくなかった」


コムギは一瞬、固まって、すぐに顔を伏せた。


「……私は、足りなくて……」


言いかけて、口を閉じる。

そこで、トンヌラが腕を組んだまま言った。


「足りないのは、依頼者の方だ」


雑な言い方だった。

でも、逃げ道を作る言い方だった。


「お前は、足りない中で回した。十分だ」


コムギの指先が、鍋の縁をきゅっと掴む。

熱はもう残っていない。なのに、その金属がやけに温かく感じた。


ガルドが、少し遅れて頷く。


「……本当に、助かりました。コムギさん」


その言葉は、緊張のない柔らかい声だった。

ただ正直な礼だった。


コムギは、ようやく息を吐く。


「……はい」


たったそれだけの返事なのに、胸の奥が少しだけ軽くなる。



あっという間に、日が落ち、夜になった。

拠点の水場は、小さかった。

だが水がある。火があり、囲いがある。

そして見張りがいる。


それだけで世界は、急に静かになる。


鍋の音が綺麗に鳴った。

木皿のぶつかる音も、苛立ちではなく単なる生活の音だ。


誰も怒鳴らない、誰も責めない。

その静けさが逆に怖いくらいだった。


コムギは焚き火の近くで鍋を磨きながら、ちらりと二人を見る。


ガルドは、火の前に座っている。

背筋はまだまっすぐだが、肩の力が落ちている。立っていないのに、今日の自分を手放していない座り方だった。


トンヌラは相変わらず腕を組んでいる。

だが、さっきから何度も水を飲む。

いつもより喉が渇いているのを隠している顔だ。


(……団長も、怖かったんだ)


そう思った瞬間、コムギの胸の奥が少しだけ温かくなる。

怖いのは自分だけじゃない。

それでも、二人は諦めない方を選んだ。


コムギは鍋を抱えたまま、トンヌラの近くまで行った。距離は取るが、逃げない。


「……トンヌラさん」


「なんだ」


「トンヌラさんは、最後まで私のせいにしませんでした」


声が震えそうになるのを、歯で止める。


「こんな小さな私を……隊の一員として扱ってくれました」


言葉を選ぶ。

本当は「ついて行っていいか」と言いたい。

でも、それを直接言うのは怖い。


だから、少しだけ遠回りする。


「……これからも、団長って呼んでいいですか?」


トンヌラは一拍だけ黙った。

腕を組んだまま、火を見ている。


その沈黙は、拒否ではなかった。

丁寧な言葉で返すべきだと分かっている沈黙だった。


やがて、短く言う。


「好きにしろ」


コムギの喉が詰まりかける。

嬉しさが先に来ると泣きそうになる。


「……じゃあ」


言葉が小さくなる。


「私、ついて行ってもいいですか」


今度は、逃げずに言った。


トンヌラは、視線だけをコムギに向ける。

強い目ではない。

ただ、線を引く目だ。


「同行を許可する」


命令の形を借りた、受け入れだった。


コムギは、鍋を抱えたまま深く頷いた。


「……はい。任せてください」


声が少しだけ明るい。

それだけで、夜の空気がひとつ軽くなる。


ガルドが、ぼそりと呟く。


「……よかった」


誰に向けた言葉でもない。

でも、三人の間には届く。



帰路の静けさは不気味だった。

行きの地獄が嘘みたいに獣が出ない。

風も穏やかで、茂みも静かだ。


水の減りが普通。

塩の減りが普通。

砂糖の減りが普通。


全てが普通。

それが一番、恐ろしかった。


「……なんでこんなに静かなんだ」


誰かが呟く。

誰も答えない。


答えられないのではない。

答えが分かってしまうのが怖い。


トンヌラは腕を組んだまま、空を見上げる。

雲の流れが、綺麗すぎる。


(行きのあれは、何だったんだ)


言葉にしない。

言葉にした瞬間、なにかが決まる気がして言えなかった。


コムギは鍋を抱え、歩きながら材料を数える。

減りが普通であることが、逆に胸を締める。


ガルドは前に立ち、何も来ない道を見続ける。

立つ理由がないのに立っているのが、いちばん怖い顔だった。


そして、街道はそのまま——何事もなく、三人を送り返した。



世界調停機構コンダクターズ・第二観測室


水晶卓の波形が、静かに整う。


《局所負荷:解除》

《遭遇偏り:補正完了》

《回復過剰:一時抑制》


ノインは立ったまま、淡々と記録を閉じた。何も言えなかった。


リリカが端末を抱え、息を吐く。


「……上手く行っちゃいましたね」


ノインは黙っている。


リリカは言葉を迷ってから、画面の端に残るログを見る。


《KMG:自己責任傾向、増大》

《周囲の評価:称賛へ移行》

《N-LESS:誤解の核、維持》


一番厄介なのは、数字ではない。

“心の向き”だ。


リリカは小さく呟いた。


「あれだけの負荷を乗り越えてしまうなんて……」


ノインは目を細めた。必要なことだけ言う。


「計算が合いませんでした」


リリカの指が、止まる。


「拠点も戦線を維持しています」


ノインの声は冷たくはない。

ただ、温度がない。


「誤植か…」


そして、もう一つの線に目を落とす。


《N-LESS:誤植》


広がりすぎれば、切る。

広がらなければ、観測を続ける。


ノインは最後に記録を残す。


■観測更新

対象:N-LESS

評価:監視継続

備考:誤解の核、維持。周辺への影響、緩やかに拡大。

次工程:別軸での軽調整を検討。


リリカは端末を胸に抱えた。

胸の奥が、少しだけ重い。


——けれど、言わない。

言ったところで、世界は変わらない。


変わるのは、彼らの方だ。

変わってしまうのが、いちばん困る。



ここはレイアノーティア。

完璧で、正しくて、少しだけ狭い世界。


その中で、誤解は——

今日も、息をしている。



第二章 完

ガルド


元の職業:自宅警備員

真名:バトル・ウォーデン(戦場守護者)

能力:仲間を守る前衛防壁


最初にトンヌラと出会った仲間。


元の職業は《自宅警備員》。

どう見ても冒険者向きではなく、本人もどこか後ろめたさを抱えていた。


だが、その本質は「動かないこと」ではなく、

そこに立ち続けることだった。


真名バトル・ウォーデンとして覚醒したガルドは、仲間の前に立つことで戦場そのものを支える防壁となる。


派手に敵を斬り伏せる英雄ではない。

けれど、誰かが倒れそうになった時、必ずそこにいる。


彼の強さは、攻撃ではなく防衛。

勝つためではなく、帰る場所を守るための強さである。



コムギ


元の職業:管理栄養士

真名:ミリタリー・サスティナー(戦線維持者)

能力:補給・回復・戦線維持


大きなリュックとおたまを背負った、小柄な補給担当。


元の職業は《管理栄養士》。

戦闘職ではなく、本人も「自分は前に出る存在ではない」と思っていた。


だが、戦場で本当に人を生かすものは、剣や魔法だけではない。


水。

塩。

食事。

休息。

そして、もう一度立ち上がれるだけの心。


真名ミリタリー・サスティナーとして覚醒したコムギは、仲間の消耗を支え、戦線を維持する存在となった。


彼女の能力は、単なる回復ではない。

人が倒れる前に支え、心が折れる前に温める。


つまり、補給は正義である。

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