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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第13章 何度でも、朝へ

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最終話 不完全な楽園で

 ここはレイアノーティア。


 完璧ではない。


 だから今日も、


 少しだけ騒がしい。



 王都の広場。


 市場には、いくつもの声が重なっていた。


 値段を巡って言い合う商人。


 その隣で、別の店を勧める客。


 走り回る子ども。


 転んで泣く子。


 慌てて駆け寄る親。


 荷車が道の真ん中で止まり、


 後ろにいた男が苛立った声を上げる。


「早くしてくれ!」


「すみません! 車輪が外れてしまって!」


 別の誰かが荷台へ手をかけた。


「文句はあとだ。先に動かすぞ」


 人が集まる。


 誰かが押す。


 誰かが車輪を持ち上げる。


 荷車は少し傾きながら、


 どうにか道の端へ動いた。


 予定は遅れる。


 声はぶつかる。


 誰かが困る。


 それでも。


 誰もが、自分の足でそこに立っていた。



 エリシアは、


 その様子を見ていた。


「この区画の使い方は、どうしましょう」


 役人が尋ねる。


 以前なら、


 すぐに最適な案を出していた。


 誰も強く反対しない答え。


 問題が最も小さく収まる答え。


 けれど。


 今は少しだけ考えてから、


 自分の意見として口にした。


「私は、商人たちの区画を広げた方がいいと思います。でも、決めるのは皆さんです」



 ざわめきが生まれる。


「いや、荷車の通路が先だ」


「子どもが通れる場所も必要だろ」


「なら時間帯で分けたらどうだ?」


 意見が割れる。


 少し揉める。


 誰かが言いすぎて謝る。


 別の誰かが笑う。


 すぐには決まらない。


 それでも。


 話し合った末に、


 一つの案が選ばれた。



 エリシアは、


 小さく頷いた。


(これでいい)


 正解を与えたのではない。


 皆で選んだ。


 その重さが、


 確かにそこに残っていた。



 メルグラフ。


 冒険者ギルド。


 一人の若い冒険者が、


 二枚の依頼書を持ってコムギの前に立っていた。


「どちらへ行けばいいでしょうか」


 コムギは依頼書を見る。


 一方は安全な輸送。


 もう一方は、経験のない土地での護衛。


 以前なら、


 適性と危険度を計算して答えを出していた。


 けれど。


 コムギは依頼書を返した。


「あなたは、どうしたいですか」



 冒険者は戸惑った。


 何度も依頼書を見比べる。


 少し迷う。


 長く考える。


 やがて、


 護衛依頼の方を握った。


「……こっちへ行ってみたいです」


 声には、


 まだ不安があった。


 コムギは頷く。


「では、必要な食料と装備を一緒に考えましょう。帰ってきたら、ご飯も作ります」


 正解は与えない。


 けれど、


 一人では行かせない。


 それが、


 コムギの選んだ支え方だった。



 診療所。


 フィーは、


 転んで膝を擦りむいた子どもへ包帯を巻いていた。


「痛かった?」


「うん」


 子どもは鼻を啜る。


 傷は浅い。


 すぐに治る。


 それでも、


 今は確かに痛い。


「全部、すぐに痛くなくなるわけじゃないよ」


 フィーは、


 包帯の端を丁寧に留めた。


「でも、治るまで一緒にいよう」


 子どもは少し考え、


 やがて笑った。


「もう平気!」


 フィーも笑う。


 すべては治せない。


 戻らないものもある。


 それでも。


 届く命へ手を伸ばすことはできる。


 治せない痛みの隣に、


 座ることもできる。



 城門。


 ガルドが立っていた。


 今日も盾を持ち、


 街の外を見ている。


 誰かから、


 そこに立てと命じられたわけではない。


 危険が現れる予定もない。


 それでも。


 ガルドは立っている。


「今日も何も起きないといいですね」


 門番が言った。


 ガルドは遠くの街道を見たまま、


 静かに答える。


「はい。それでも、俺はここにいます」


 何も起きなくても。


 誰にも褒められなくても。


 守ると決めたから、


 そこに立つ。



 夜。


 小さな広場。


 ミラが舞台へ上がった。


 黒い眼帯。


 音を拾わない左耳。


 戻らないものは、


 今もそのままだった。


 けれど。


 ミラはギターを構え、


 片目で観客を見渡した。


「こんばんは!」


 歓声が返る。


 笑い声。


 拍手。


 泣いている者。


 隣の者と肩を組む者。


 少し遅れて手拍子を始める者。


 揃っていない。


 完璧でもない。


 だから。


 すべてが音楽になった。



 一音が鳴る。


 以前とは違う音。


 欠けたまま。


 揺れたまま。


 それでも、


 誰かの胸へ届いていく。


 ミラは笑った。


「何度でも、鳴らすよ」


 弦を掻き鳴らす。


 広場の空気が、


 大きく揺れた。



 書庫の奥。


 クラウスは、


 開いていた記録を閉じた。


 世界の因果は、


 以前よりずっと見えにくくなっている。


 分岐が増えた。


 矛盾も増えた。


 どの未来へ進むのか、


 簡単には分からない。


 クラウスは立ち上がる。


 今日は、


 机に残らない。


 記録するだけでもない。


「さて」


 外套を手に取る。


「今度は、どこへ並びましょうか」


 観測者ではなく。


 仲間として。


 書庫の扉を開いた。



世界調停機構。


 白い塔。


 以前ほど多くの水晶は動いていない。


 未来を決めるための記録ではなく、


 起きたことを残すための記録だけが、


 静かに流れていた。



 ノインは、


 一枚の記録を閉じた。


 そこには、


 正解も。


 修正案も。


 次に起こる未来も書かれていない。


 ただ。


 誰が何を選んだのかだけが、


 残されていた。


「これでは、予測できません」


 隣で、


 リリカが笑う。


「いいんじゃない?」


「記録として不完全です」


「世界も不完全なんだから、ちょうどいいでしょ」



 ノインは、


 しばらく黙っていた。


 それから。


 空白だった最後の欄へ、


 自分の手で文字を加える。


【観測継続】


 少し考え、


 その下へもう一行。


【修正:行わない】



 リリカは、


 開かれた窓へ向かった。


 白い外套は着ていない。


「どこへ行くのですか」


 ノインが尋ねる。


「見に行くの」


「何をですか」


 リリカは振り返り、


 少しだけ笑った。


「予測できなくなった世界」



 塔の外では、


 誰かの笑い声が聞こえていた。


 少し大きく。


 少し不揃いに。


 リリカはその音を聞きながら、


 白い塔を出ていった。



 ノインは、


 閉じかけた記録へもう一度目を落とす。


 そして。


 最後の頁を、


 空白のまま残した。


 エヴァンは、


 公開された調整記録の前に立っていた。


 ミラの事故。


 抑え込まれた怒り。


 消された選択。


 自分が正しいと信じて行ったことが、


 すべて記されている。


 未来を見れば、


 この先どれほど責められるのか分かる。


 どんな処分を受けるのかも。


 どれだけの者が許さないのかも。


 けれど。


 エヴァンは、


 ルック・アヘッド《演奏の先読み》を使わなかった。


 最初の頁へ、


 自分の名を記す。


 正しいかどうかは、


 まだ分からない。


 それでも。


 逃げない方を選んだ。





 丘の上。


 古い家。


 トンヌラは、


 小さな荷物をまとめていた。


 着替え。


 水。


 少しの保存食。


 大したものはない。


 昔と同じだった。


 ただ。


 昔のように、


 逃げるための荷物ではなかった。



 ぽめは、


 足元で丸くなっている。


「行くか」


 ぽめは目を開けない。


 尻尾だけが、


 一度揺れた。



 トンヌラは家を出た。


 扉を閉める。


 鍵はかけない。


 帰る場所だからだ。



 丘を下る。


 途中。


 ガルドたちが待っていた。


「また修行ですか」


 ガルドが尋ねる。


「いや」


 トンヌラは苦笑した。


「散歩だ」


「どこまで?」


 ミラが聞く。


「決めてない」


「相変わらずね」


「変わらんよ」



 コムギが手を振る。


「困ったら呼んでくださいね!」


「お前たち、呼ばなくても勝手に来るだろ」


「ばれました?」



 全員が笑った。


 トンヌラがいなければ、


 何もできない者はもういない。


 それでも。


 一緒に歩きたい時には、


 隣へ来る。


 その関係だけは、


 消えていなかった。



 フィーは何も言わない。


 少しだけ笑って、


 小さく頷いた。


 トンヌラも頷き返す。


 それで十分だった。



 トンヌラは歩き出す。


 ぽめが、


 眠そうな足取りで隣を歩く。


 空を見上げる。


 雲は流れる。


 風は読めない。


 明日も、


 どこへ着くのかも分からない。


 それでいい。



 ぽめが大きく欠伸をした。


「くぁ……」


 珍しく、


 ほんの少しだけ目を開ける。


 深い黒。


 かつて世界の終わりを映した瞳。


 けれど今は、


 流れる雲を静かに映していた。


 すぐに閉じる。


 何もなかったように、


 歩きながら眠りかけている。



 トンヌラは笑った。


「寝るのも仕事か」


 返事はない。


 小さな寝息のような音だけが聞こえた。



 丘の下。


 道は、


 いくつにも分かれていた。


 どれが正しいのかは分からない。


 どこへ続くのかも、


 まだ見えない。


 トンヌラは立ち止まらない。


 一本を選び、


 その道へ足を置いた。



「負けなきゃいい」


 小さく呟く。



 風が吹く。


 誰も答えない。


 けれど。


 その言葉は、


 世界のどこかで、


 また誰かが立つための声になる。



 ここはレイアノーティア――《いたずらの構造》。


 名は人を座らせ、


 役目は人を歩かせる。


 けれど。


 時々。


 名前を呼ばれただけで、


 人はもう一度立ち上がる。


 名前を失っても。


 道を間違えても。


 何度でも、


 呼び直す。



 完璧ではない。


 失うものもある。


 間違えることもある。


 泣く夜も。


 立てない朝もある。


 それでも。


 誰かが誰かを信じ、


 誰かが自分で選び、


 誰かが明日へ歩いていく。



 そんな、


 不完全な楽園で。



 終

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