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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第13章 何度でも、朝へ

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第137話 役割の終わり

 ここはレイアノーティア。


 役割には、


 終わる時がある。


 終わったあとまで握り続ければ、


 人を支えていた名は、


 いつか存在を縛る鎖になる。



 砂漠を、


 静かな風が抜けていく。


 先ほどまで世界を覆っていた圧迫感は、


 もうない。


 空は青い。


 砂は流れる。


 浮かんでいた六色の光も、


 少しずつ風へ溶けていた。



 誰も動かなかった。


 仲間たちも。


 サトウも。


 冒険者たちも。


 ただ、


 二人を見ている。



 統戒の魔王ドミニオン。


 そして。


 自由解放者フリーマン――トンヌラ。



 長い沈黙のあと。


 ドミニオンが、


 ゆっくりと右手を上げた。


 手の甲をトンヌラへ向ける。


 指先から、


 黒い粒子が天へ昇り始めた。


「名奪い《ネーム・ディヴァウアー》」



 黒い粒子が、


 トンヌラへ伸びる。


 名を探す。


 名によって固定された役割を探す。


 世界へ縫いつけられた、


 存在の位置を探す。


 けれど。


 粒子はトンヌラの周囲を巡るだけで、


 何も掴めなかった。


 やがて、


 行き場を失ったように消えていく。



 ドミニオンの紫の瞳が揺れた。


「……名奪い」


 もう一度。


 空間が歪む。


 黒い粒子が、


 先ほどより強くトンヌラへ迫る。


 それでも。


 何も剥がれない。


 何も奪えない。



「なぜだ」


 初めて、


 理解ではなく疑問を口にした声だった。



 トンヌラは肩をすくめる。


「だから、俺に聞くなって。お前が奪ったんだろ」



 エヴァンが、


 震える水晶へ目を向ける。


 表示が浮かんでいた。


【真名:トンヌラ】


【名称:自由解放者フリーマン


【役割固定:なし】


【名称干渉:不成立】



「名はある」


 エヴァンの声が掠れた。


「それなのに、役割が固定されていない」


 何度読み直しても、


 表示は変わらない。


「名があるのに……なぜ、縛れない」



 クラウスが静かに答えた。


「縛るための名ではないからです」


 トンヌラの前に残る文字を見る。


「世界が彼を分類したのではありません。ようやく、呼び直しただけなのでしょう」



 ドミニオンは、


 トンヌラを見つめた。


「役割なくして、何をもって存在を継続する」



 トンヌラは、


 少しだけ考えた。


 けれど、


 答えは大して難しくなかった。


「知らん。歩きたいから、歩いてるだけだ」



 ドミニオンは黙った。


 その答えを、


 理解するための構造を持っていない。


 役割。


 均衡。


 管理。


 修正。


 世界を正しく保つこと。


 それだけが、


 ドミニオンという存在のすべてだった。



 統戒の魔王。


 五戒を束ねる者。


 その名があるから、


 ここにいる。


 その役割があるから、


 動き続ける。


 ならば。


 役割が終わったあとに、


 何が残るのか。


 考えたことさえなかった。



 トンヌラが一歩近づいた。


 武器はない。


 拳も握っていない。


 ただ、


 同じ砂の上を歩く。



「なあ」


 トンヌラは、


 目の前の魔王を見上げた。


「お前は、どうしたい」



 ドミニオンの翼が、


 わずかに動いた。


「我は均衡を維持する。揺らぎを統べ、世界の破綻を――」


「それは役割だろ」


 トンヌラが遮った。


 責める声ではなかった。


「俺が聞いてるのは、お前の話だ」



 風が吹く。


 ドミニオンの黒い髪が、


 初めて自然に揺れた。



 命令ではない。


 観測でもない。


 正解を求められているのでもない。


 自分がどうしたいのか。


 ただ、


 それだけを問われている。



 ドミニオンは、


 ゆっくりと目を閉じた。


 役割の内側ではなく。


 初めて、


 自分の内側を見る。



「我は……」


 声が止まる。


 統戒の魔王としての言葉なら、


 いくらでもあった。


 けれど。


 自分の言葉は、


 まだ持っていなかった。



 長い沈黙のあと。


 本当に小さな声が落ちた。


「……休みたい」



 誰も笑わなかった。


 誰も否定しなかった。


 それは、


 ドミニオンが初めて自分で選んだ言葉だった。



 トンヌラだけが、


 静かに頷いた。


「そうか」



 ドミニオンの翼が、


 ゆっくりとほどけ始める。


 砕けない。


 爆ぜない。


 誰かに消されるのでもない。


 自ら閉じていた指を開くように、


 統合された構造が解けていく。



 紫の身体から、


 五つの記録が離れた。


 乱れた音のような波。


 傾いた秤を思わせる光。


 ゆっくりと薄れていく影。


 形を結べない竜の残響。


 光を呑み込む黒い点。



 不協和。


 災衡。


 衰退。


 破滅。


 虚無。



 五戒は消滅しない。


 ひとつに束ねられていた支配だけが解け、


 それぞれの記録が、


 世界の深い場所へ還っていく。



 最後に、


 小さな紫の光だけが残った。


 統戒。


 すべてを束ねるために生まれた役割。



 その光は、


 眠りにつくようにゆっくりと瞬き、


 風の中へ溶けていった。



 砂漠へ、


 静けさが戻る。


 今度の静けさは、


 誰かに整えられたものではなかった。


 言葉を失った者たちが、


 それぞれに受け止めている沈黙だった。



 エヴァンが、


 砂の上へ膝をついた。


 頬を、


 一筋の涙が流れる。


 先ほどまで出なかった涙だった。



「私は……正しいと思っていた」


 震える声。


「世界を守るためなら、必要なことだと」


 両手を見る。


 調整を指示してきた手。


「ミラの目も、耳も。人々の怒りも。選ぶはずだった未来も。私は奪っておきながら、それを調整と呼んだ」



 トンヌラの手が、


 ゆっくり拳へ変わった。


 すぐには開かなかった。



「怖かったと認めても、やったことは消えない」


 エヴァンは俯いた。


「謝っても、戻らない」



「ああ」


 トンヌラは答えた。


「戻らない。だから、なかったことにはするな」



 エヴァンが顔を上げる。


 トンヌラは、


 慰めなかった。


 許すとも言わなかった。


「次は自分で選べ。正しいかどうかじゃない。やったことから逃げない方を選べ」



 エヴァンは、


 しばらく何も言わなかった。


 やがて、


 震える手を水晶へ伸ばす。


 その指先は、


 未来を確かめようとはしなかった。


 何が起きるのか。


 どんな責任を負うのか。


 もう、


 先を読もうとはしなかった。



「……全域強制調整を停止する」


 水晶へ触れる。


「隠してきた記録も、すべて開く」



 表示が切り替わった。


【全域強制調整:停止】


【調整記録:封鎖解除】



 エヴァンは、


 その文字を見つめた。


「これで終わりではない」


「そうだな」


 トンヌラは答える。


「でも、それがお前の選択なら、そこから始めろ」



 エヴァンは、


 静かに頷いた。


「……ああ」


 その返事は、


 世界調停機構長官のものではなかった。


 一人の人間が、


 自分で出した答えだった。



 ぽめが、


 大きく欠伸をする。


「くぁ……」


 紫の気配は、


 もう戻らない。


 何事もなかったように丸くなり、


 再び寝息を立て始めた。



 トンヌラは、


 青い空を見上げる。


 雲は勝手に形を変える。


 風も、


 どこへ吹くか分からない。


 未来も、


 もう一本ではない。



「それでいい」


 小さく笑った。



 ここはレイアノーティア。


 役割には、


 終わる時がある。


 そして。


 終わったその先で、


 何を選ぶのかは、


 もう誰にも決められない。



 第137話 了

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