第132話 覚悟、完了
ここはレイアノーティア。
覚悟は、
誰かにもらうものじゃない。
押しつけられるものでもない。
自分で決めた時だけ、
それは力になる。
⸻
灰色の砂漠。
後方では、
サトウたちが魔物の群れを受け止めていた。
剣戟。
魔法。
咆哮。
無数の音が、
遠くで重なっている。
その中央には、
四体の擬似魔王。
さらに奥には、
統戒の魔王ドミニオンが立っていた。
⸻
ドミニオンが静かに告げる。
「過去の失敗は学習済みだ。同じ結果にはならない」
紫の瞳が細くなる。
一歩、
前へ出た。
「今の貴様らには、この四体で十分だ」
⸻
四体が、
同時に動いた。
不協和。
災衡。
衰退。
虚無。
それぞれの気配が重なり、
灰色の空間を一つの構造へ変えていく。
⸻
クラウスの瞳が細くなった。
四体から伸びる糸が見える。
別々の魔王ではない。
互いの欠損を補い、
一体が崩れれば、
残る三体がその構造を縫い直す。
「四体で、一つです」
クラウスが手を上げる。
紫の糸が、
指先から伸びた。
「接続を切ります。ですが長くは持ちません。倒すなら――同時に」
糸を引く。
四体を結んでいた黒い因果へ、
紫の縫い目が走った。
「行ってください」
⸻
四つの戦場が、
一度に開いた。
⸻
最初に空気を支配したのは、
不協和を写した存在。
呼吸が噛み合わない。
足が揃わない。
鼓動がずれる。
自分の身体から、
自分の拍だけが引き剥がされていく。
⸻
ミラが前へ出た。
ギターを構える。
左耳は戻らない。
左目も戻らない。
それでも、
右手は迷わなかった。
「また乱すの? 悪いけど、救世響鳴はもう鳴らせない。でも――だからどうした」
ギターを握り直す。
⸻
一音。
二音。
三音。
荒い。
完璧ではない。
左側の空白も、
演奏の中に残っている。
けれど。
誰かへ合わせるための音ではない。
今のミラが、
自分で決めた拍だった。
⸻
「拍は、あたしが支配する」
藍色の波が広がった。
押しつけられた不協和へ、
欠けた旋律が食い込んでいく。
整えるのではない。
以前の音へ戻すのでもない。
今ここで鳴っている音を、
戦場の拍として奪い返す。
擬似ディソナンスの身体が揺れた。
「カイセキ……フノウ……」
藍色の亀裂が走る。
⸻
災衡を写した存在が、
ガルドへ迫る。
踏み込めば、
その力が返る。
受ければ、
受けた分だけ押し戻される。
前へ進もうとする意志そのものが、
代償へ変えられていく。
⸻
ガルドは盾を構えた。
かつて欠けた盾ではない。
誰かから借りた盾でもない。
今の自分が、
守るために選んだ盾だった。
「受ける。守る。帰る。それが俺だ」
赤い光が燃え上がる。
⸻
返される衝撃を、
一つ残らず受け止める。
足が砂へ沈む。
腕が軋む。
盾の表面に、
深紅の線が幾重にも刻まれていく。
受け続けた記録が、
巨大な赤い大剣となって背中へ現れた。
痛み。
重さ。
守れなかった後悔。
そのすべてを、
憎しみではなく、
守るために返す。
「赤い帰結」
深紅の大剣が振り下ろされた。
擬似ディザスターの内部へ、
蓄積された帰結が流れ込む。
赤い亀裂が走った。
⸻
三体目。
衰退を写した存在が、
周囲の時間を巻き戻す。
踏み出した足が戻る。
伸ばした手が戻る。
選んだはずの瞬間が、
選ぶ前へ引き戻されていく。
傷も。
涙も。
後悔も。
すべてを、
なかったことにするために。
⸻
フィーが前へ出た。
両手を広げる。
「戻さない。傷も、涙も、後悔も。全部、生きた証だから」
緑の光が脈打った。
失ったものがある。
治せなかったものがある。
どれほど願っても、
戻らない時間がある。
だからこそ。
今ここにある命を、
過去へ渡さない。
「代命猶予」
緑の波が、
現在の命を繋ぎ止める。
巻き戻しが止まった。
擬似ディクラインの表面へ、
緑の亀裂が走る。
⸻
最後は、
虚無。
存在を削る。
意味を削る。
輪郭を削る。
食料も。
水も。
温度も。
生きるために積み重ねたものを、
初めからなかったことにしていく。
⸻
コムギが前へ出た。
鍋を持つ。
おたまを握る。
削られていく戦線を見て、
少しだけ笑った。
「削るなら、私は足します」
金色の光が広がる。
食べる。
飲む。
眠る。
立つ。
生きる。
どれも派手ではない。
けれど、
一つでも欠ければ、
人は戦い続けられない。
だから、
最後まで途切れさせない。
「終糧配給」
削られた場所へ、
金色の光が流れ込む。
失われるより早く。
消されるより先に。
人と人とを、
生きるための線で繋ぎ直していく。
擬似ディボイドの処理が追いつかない。
黒い表面へ、
金色の亀裂が走った。
⸻
クラウスの指が震える。
四体を切り離していた紫の糸が、
限界を迎えようとしていた。
「今です!」
⸻
藍。
赤。
緑。
金。
四つの亀裂が、
同時に弾けた。
⸻
擬似ディソナンス。
擬似ディザスター。
擬似ディクライン。
擬似ディボイド。
四体の身体が、
同じ瞬間に崩れ落ちる。
再接続する前に。
互いを縫い直す前に。
灰色の砂へ還っていった。
⸻
静寂。
⸻
ドミニオンが、
初めて眉を動かした。
「……ありえない」
エヴァンも、
水晶へ視線を落とす。
数値が合わない。
「出力が上昇している。誤差中心は存在しないはずだ」
⸻
クラウスが、
紫の糸を消しながら前へ出た。
「当然です。あなた方は、まだ勘違いしています」
ドミニオンを見上げる。
⸻
コムギが続けた。
「私は、団長がいるから支えているんじゃない」
⸻
ガルドが盾を下ろす。
「俺が、守ると決めた」
⸻
フィーは、
胸の前で両手を重ねた。
「私は、命を抱える」
⸻
ミラが弦へ触れる。
「私は、鳴らす」
⸻
クラウスが、
トンヌラの隣へ並んだ。
「私は、並ぶ」
⸻
五人が、
静かにトンヌラを見る。
⸻
クラウスが、
少しだけ笑った。
「団長。もう全員、覚悟は完了しています」
⸻
トンヌラは目を瞬いた。
それから、
苦笑する。
「まさか、また先に言われるとはな」
⸻
クラウスは頷いた。
一本の紫の糸が、
静かに指先から現れる。
世界から伸びてきた糸ではない。
クラウス自身が呼び、
自分の意志で差し出した糸だった。
「私たち全員の名を預けます。もう、あなたが呼ばなくても、私たちは自分で預けると決めました」
クラウスはいつものように、目を細めた。
「あなたに役割がなくても、それが私たちの選択です」
⸻
トンヌラは、
差し出された糸を見つめた。
昔なら、
名前を叫んでいた。
根拠もなく。
大げさに。
世界へ向かって、
そういう存在なのだと言い張っていた。
けれど。
今は違う。
名前を与える必要はない。
もう全員が、
自分の名を知っている。
⸻
トンヌラは、
仲間たちを見渡した。
ガルド。
コムギ。
フィー。
ミラ。
クラウス。
誰一人、
トンヌラに立たされてはいない。
全員が、
自分の足で立っていた。
だから。
初めて、
仲間の選択へ応える。
「覚悟……完了」
⸻
砂漠に、
風が戻った。
静かだった。
けれど。
もう誰も、
迷ってはいなかった。
⸻
ここはレイアノーティア。
役割は、
与えられるものではない。
覚悟が、
人を立たせる。
そして。
選択が、
人を歩かせる。
第132話 了




