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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第12章 欠けた旋律は鳴り止まない

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第126話 それでも鳴る

 ここはレイアノーティア。


 欠けても、


 終わりではない。


 失ったものは戻らない。


 視界の半分。


 音の半分。


 届いていたはずの距離。


 掴めていたはずの響き。


 それでも。


 残ったものがあるなら、


 人はそこから、


 もう一度鳴らすことができる。



 翌夜。


 アークレイドの小さな広場には、


 昨日より少し多くの人が集まっていた。


 大きな宣伝があったわけではない。


 派手な呼び込みがあったわけでもない。


 ただ、


 昨日の歌を聴いた誰かが、


 別の誰かへ伝えたのだ。


 欠けても歌っていた。


 片目でも立っていた。


 前と同じではないのに、


 なぜか胸に残った。


 そんな言葉が、


 静かに街を巡っていた。



 舞台の灯りは低い。


 足元に近い場所で、


 いくつもの小さな明かりが揺れている。


 高く吊るされた照明はない。


 夜の広場は、


 少し暗かった。


 けれど。


 その暗さの中には、


 待っている人たちがいた。



 人混みの端に、


 トンヌラは立っていた。


 一人だった。


 ぽめは、


 丘の上の家へ置いてきた。


 珍しく、


 ついてこなかった。


 というより、


 起きなかった。


 深く眠ったまま、


 耳だけを時折動かしていた。



 トンヌラは朝、


 丘を下りた。


 大きな理由があったわけではない。


 ただ。


 昨夜、


 聞こえた気がした音が、


 胸の奥に残っていた。


 欠けているのに、


 鳴っていた。


 そのことが、


 どうしても引っかかっていた。


 街道を歩き、


 途中で荷馬車に乗せてもらい、


 夕暮れにはアークレイドへ着いた。


 誰にも大げさなことは言わなかった。


 ただ、


 来た。



(何を言えばいいんだろうな)


 人混みの端で、


 トンヌラは腕を組もうとしてやめた。


 最近は、


 腕を組んでも形にならない。


 以前のような、


 根拠のない自信も湧いてこない。


 ただ、


 手持ち無沙汰な男が立っているだけになる。


 それが少し情けなくて、


 トンヌラは両手を下ろした。



 ミラが舞台へ現れた。


 左目には黒い眼帯。


 左耳は、


 もう音を拾わない。


 それでも、


 背筋は伸びていた。


 昨日より、


 少しだけ堂々として見える。


 いや。


 堂々としているのではない。


 震えたまま、


 立っている。


 トンヌラには、


 そう見えた。



 ミラは、


 片目だけで観客を見渡した。


 それから、


 少し笑う。


「昨日来た人、いる?」


 何人かが手を上げた。


「物好きね」


 小さな笑いが起きる。


「今日初めての人もいるでしょ」


 今度は、


 別の手が上がった。


「じゃあ、先に言っておく。完璧な演奏は期待しないで」


 広場が静まる。


 ミラは、


 ギターを抱え直した。


「でも、ちゃんと鳴らすから」


 その声に、


 トンヌラの胸が少しだけ痛んだ。



 弦が鳴る。


 今日は、


 最初の音から昨日より強かった。


 完全ではない。


 左側の空白は、


 まだ演奏の中に残っている。


 音の広がりも、


 ところどころで揺れる。


 それでも。


 昨日より前へ出ていた。


 欠けたまま。


 その欠け方さえ、


 少しずつ自分の音へ変えようとしている。



 トンヌラは黙って聴いた。


 歌詞は届く。


 ギターの響きも届く。


 けれど。


 それ以上に、


 音の奥から伝わってくるものがあった。


 悔しさ。


 怖さ。


 失ったものの痛み。


 それでも鳴らそうとする意地。


 そのすべてが、


 音の中に混じっていた。



(俺のせいかもしれない)


 その考えが、


 胸の奥へ浮かんだ。


 消えない。


 自分がネームレスだったから。


 自分の周りへ仲間が集まったから。


 世界へ抗ったから。


 ドミニオンに目をつけられたから。


 エヴァンが、


 ミラの音を危険だと判断したから。


 だから、


 こうなったのかもしれない。


 理屈は分からない。


 証拠もない。


 それでも、


 そう思わずにはいられなかった。



 ミラの声が高く伸びた。


 少し荒い。


 けれど、


 折れてはいない。


 観客の中で、


 子どもが目を輝かせる。


 老人が手を握る。


 若い兵士が、


 静かに涙を拭った。


 大きな奇跡は起きない。


 世界も揺れない。


 救世響鳴レゾナンス・オブ・エクソダスのような、


 巨大な波も生まれない。


 それでも。


 届いている。


 確かに、


 誰かへ届いていた。



 歌が終わる。


 静けさ。


 それから、


 拍手が起きた。


 昨日より強い。


 昨日より温かい。


 一人の子どもが、


 舞台の前へ出る。


「かっこよかった!」


 ミラは目を瞬かせた。


 それから、


 笑った。


「ありがと」


 声は少し震えていた。


 けれど、


 ちゃんと笑っていた。



 人々が、


 少しずつ広場を離れていく。


 舞台係が片づけを始める。


 ミラはギターをケースへ収めようとして、


 ふと顔を上げた。


 人混みの端に、


 見覚えのある影がある。


 腕も組まず、


 妙に所在なさげに立っている。


 それでも、


 すぐに分かった。


 ミラは動きを止めた。


 それから、


 いつもの調子で言った。


「団長じゃん」


 トンヌラは、


 少しだけ視線を逸らす。


「団長ではない」


「今それ言う?」


「言うだろ」


「言うか」


 ミラが小さく笑った。


 その笑いに、


 トンヌラは少しだけ救われた。



 言葉が続かない。


 トンヌラは、


 ミラの眼帯を見た。


 左耳の傷跡を見た。


 ギターを持つ手を見た。


 謝りたい。


 けれど、


 何を謝ればいいのか分からない。


 それでも、


 口から言葉が落ちた。


「……悪いな」


 ミラの表情が少し変わる。


「なにが?」


「その目と耳」


 周囲の空気が静かになる。


 近くにいた舞台係が、


 そっと距離を取った。



 ミラは肩をすくめた。


「あんたのせいじゃない。もちろん、私のせいでもない。ただの事故ってことになってる」


 トンヌラが顔を上げる。


 ミラは笑っていた。


 けれど、


 軽い笑いではなかった。


「本当にただの事故だったかは、知らないけどね」


「……分かるのか」


「分かんない。でも、照明が落ちた瞬間だけ、妙に全部が遠かった。音も、人も、空気も。誰かに、あの瞬間だけ抜かれたみたいだった」


 ミラは、


 左耳へ手を当てた。


 トンヌラは何も言えなかった。



「俺が、いなければ」


 ようやく出た言葉は、


 それだった。


 ミラはすぐに遮った。


「あんたがいなかったら、私はここに立ってない。歌う理由だって、たぶん途中でどこかへ置いてきてた」


 静かに。


 けれど、


 はっきりと告げる。


「団長からもらったものは、なくならない」


「俺は何も渡してない」


「渡したよ。選べって言った。やりたいことをやれって言った。お前の音楽が好きだって言った」


 トンヌラの目が揺れる。


 ミラは、


 自分の胸を軽く叩いた。


「あれは、まだここにある。目と耳が欠けても、ここは欠けてない」



 風が吹いた。


 ミラの髪が揺れる。


 眼帯の端が、


 わずかにはためいた。


 トンヌラは、


 何かを言おうとして言えなかった。


 以前なら、


 大げさな言葉で誤魔化したかもしれない。


 今は、


 それができない。


 だから、


 小さく答えた。


「……そうか」


「そうだよ。だから、勝手に全部背負うな」



 そのあと二人は、


 広場の外れにある小さな酒場へ入った。


 客は少ない。


 舞台を見終えた者が何人かいるだけで、


 店内は落ち着いていた。


 灯りは低く、


 木の卓には古い傷がいくつも残っている。


 ミラはギターを壁へ立てかけ、


 トンヌラは向かいに座った。


 久しぶりに、


 二人で酒を交わした。



「耳、酒を飲んで大丈夫なのか」


「耳は飲まないでしょ」


「そうか」


「そうだよ。まあ、医者には控えめにって言われたけど」


「飲むなよ」


「今日は少しだけ」


「少しだけで済むのか」


「済ませる努力はする」


「信用できないな」


「団長に言われたくない」


「団長ではない」


「はいはい」


 軽い会話だった。


 それだけで、


 少しだけ昔へ戻ったような気がした。


 けれど。


 完全には戻らない。


 ミラの左目は戻らない。


 左耳も戻らない。


 トンヌラのネームレスも、


 戻ってはいない。


 戻らないものを抱えたまま、


 二人は同じ卓へ座っていた。



 しばらくして、


 ミラが天井を見上げた。


「ねえ」


「なんだ」


「世界が何の問題もなく幸せならさ、音楽なんて生まれてないと思うんだよね」


 トンヌラの胸が、


 強く打った。



「不満があるから。寂しいから。何かが足りないから。言葉にできないものがあるから、鳴らすんでしょ?」


 ミラは、


 杯の縁を指でなぞった。


「完璧な世界なら、歌なんていらない。全部満たされているなら、誰かへ届けたいなんて思わない」


 少しだけ、


 苦く笑う。


「でも、そんな世界、たぶんつまんないよ」



 トンヌラは黙っていた。


 言葉が、


 胸の奥へ沈んでいく。


 完璧な世界。


 何も起きない世界。


 誰も傷つかず。


 誰も泣かず。


 誰も大きく間違えない世界。


 それは、


 正しいのかもしれない。


 けれど。


 ミラの言うとおりなら、


 そこには歌がない。


 怒りも。


 後悔も。


 憧れも。


 欠けた痛みもない。


 誰かが何かを鳴らしたいと願う、


 その理由さえない。



「……そうかもな」


 トンヌラは、


 ゆっくり息を吐いた。


 ネームレスはもうない。


 名もない。


 役割もない。


 円環もない。


 仲間の可能性へ触れる感覚もない。


 世界へ言い張る力もない。


 何もない。


 けれど。


(俺は、選んできた)


 山を降りた。


 仲間と歩いた。


 街を守ろうとした。


 怖いまま、


 嫌だと言った。


 消えたくないと叫んだ。


 ミラの音楽が好きだと言った。


 それは、


 役割だったのか。


 それとも。


 ただ、


 自分がそうしたかっただけなのか。



(何もしていなかったわけじゃない)


 胸の奥で、


 静かに何かが繋がった。


 力ではない。


 名でもない。


 役割でもない。


 もっと小さなもの。


 自分で選んだという、


 ただそれだけの重さ。



「なあ」


 トンヌラが言った。


「俺、ネームレスじゃなくなったけどさ」


 ミラが、


 にやりと笑う。


「知ってる」


「それでも」


 トンヌラは言葉を探した。


 うまく出てこない。


 それでも、


 今度は逃げずに探す。


「やること、あるかもしれない」


 ミラは静かに頷いた。


「あるよ」


「簡単に言うな」


「簡単じゃない。でも、ある」


 ミラは、


 片目だけでトンヌラを見る。


 その目は、


 まっすぐだった。


「団長は団長らしく、生きなよ」


「団長ではない」


「それも含めて」


 ミラは笑う。


「それだけで、十分」



 静かな夜。


 店の外には、


 もうほとんど人がいない。


 舞台の灯りは消えている。


 広場の板には、


 演奏の熱だけがわずかに残っているように見えた。


 トンヌラは空を見上げた。


 完璧ではない世界。


 欠けている。


 歪んでいる。


 誰かが傷つき。


 誰かが後悔し。


 誰かが泣く。


 それでも。


 だから動く。


 だから、


 届けたいと思う。


 だから、


 選ぶ。



「……不完全でいい」


 小さく呟いた。


 大きな宣言ではない。


 けれど。


 トンヌラの中では、


 確かな一歩だった。



 遠く。


 アンタイトルの丘。


 ぽめが寝返りを打った。


 目は閉じたまま。


 深い眠りの底で、


 丸い身体がわずかに揺れる。


 耳が、


 ほんの少しだけ動いた。


 まるで、


 遠くの言葉を聞いたように。



 ミラは杯を置いた。


「明日も歌うよ」


「無理するなよ」


「無理かどうかは、鳴らしてから決める」


「そうか」


「そう」


 ミラは、


 ギターケースへ視線を向けた。


「欠けたけど、鳴るから」


 トンヌラは頷いた。


「ああ」


「ちゃんと聴きに来なよ」


 トンヌラは、


 今度は視線を逸らさなかった。


「行く」


 短い返事。


 けれど、


 確かな声だった。



 ここはレイアノーティア。


 幸せではないから、


 歌が生まれる。


 役割が消えても、


 選んだことは消えない。


 欠けても。


 戻らなくても。


 それでも、


 音は鳴る。


 第126話 了


 第12章 完

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