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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第12章 欠けた旋律は鳴り止まない

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第122話 伝えに来た

 ここはレイアノーティア。


 届かない声がある。


 それでも。


 誰かが、次の誰かへ繋いでいく。


 消えないものを、


 もう一度、届けるために。



 ギルドの廊下。


 フィーは、閉じられた診療室の扉の前に立っていた。


 中では、ミラが眠っている。


 片側だけになった世界で。


 ギターのそばで。


 フィーは壁へ背中を預け、ゆっくり息を吐いた。


 廊下の隅では、ぽめが丸くなって眠っている。


 いつからそこにいたのか、誰も知らない。


 呼んでも起きない。


 身体を揺らしても、目を開けない。


 ただ静かに、


 深い眠りの中にいた。



(団長は、まだ知らない)


 アンタイトルの外れにある丘の家で、


 何もせずに暮らしている。


 ぽめがいないことにも、


 きっと少し遅れて気づく。


 知らせるべきなのか。


 知らせない方がいいのか。


 あの人は今、


 何も持っていない。


 怒る力も。


 世界へ言い返す力も。


 誰かの名を呼ぶ力も。


 ミラの怪我を知ったら、


 何が残るのか分からない。



 でも。


 黙っているのは違う。


 ミラは生きている。


 傷ついている。


 悔しいと泣いた。


 それでも、


 まだ鳴ると言った。


 その言葉を、


 あの人へ届けないのは違う。



 数日後。


 アンタイトルの外れにある丘。


 古びた空き家の縁側に、


 トンヌラは座っていた。


 何もしていない。


 ただ、空を見ている。


 その隣では、ぽめが丸くなって眠っていた。


 いつ戻ってきたのか、誰も知らない。


 気づけば、


 いつもの場所にいた。



 フィーは家の前で足を止めた。


 足が重い。


 胸が苦しい。


 それでも、


 縁側の前まで進んだ。


「団長」


 トンヌラが顔を上げる。


「団長ではない」


 いつもの訂正。


 けれど、


 声はひどく薄かった。


「……トンヌラさん」


「おう」


 普通の顔だった。


 何も変わっていないように見える。


 それが、


 余計に苦しかった。



 フィーは言葉を選べなかった。


 選んでしまえば、


 言えなくなる気がした。


 だから、


 そのまま口にした。


「ミラが……怪我をしました」


 風の音だけが残った。


 トンヌラの目が、わずかに揺れる。


「……どれくらいだ」


「左目と、左耳です。視力と聴力を……失いました」


 声が震えた。


 それ以上は、


 続けられなかった。



 トンヌラは空を見た。


 怒らない。


 叫ばない。


 拳も握らない。


 ただ、


 静かに座っている。


「治るのか」


 フィーは首を振った。


「時間が経ちすぎています。命は助かりました。でも、失われた機能を支える波は、もう残っていません。私では……戻せません」


 最後の言葉が、


 喉の奥で崩れた。


「治せません」



 トンヌラは、


 しばらく何も言わなかった。


 フィーは怒ってほしかった。


 責めてほしかった。


 なぜそこにいなかったのか。


 なぜ助けられなかったのか。


 そう言われた方が、


 まだ前へ進める気がした。


 けれど、


 トンヌラは何も言わない。



「……そうか」


 それだけだった。


 フィーの胸が締めつけられる。


「団長……」


「お前は悪くない。誰も悪くない。事故だったんだろ。仕方ない」


 優しい声だった。


 優しいはずだった。


 けれど、


 中には何もなかった。



(何も感じていない……?)


 違う。


 感じていないわけではない。


 目は揺れた。


 声も、ほんの少しだけ沈んだ。


 ミラのことを、


 どうでもいいと思っているわけではない。


 ただ。


 感じたものを動かす場所がない。


 怒りへ変える場所も。


 言葉へ変える力も。


 誰かへ手を伸ばす理由も。


 そこだけが、


 きれいに奪われている。



「違います」


 フィーは首を振った。


「それで終わらせないでください。誰も悪くない、仕方なかったで終わったら、ミラが痛かったことまで、何もなかったみたいになってしまいます」


 トンヌラがフィーを見る。


 困ったような顔だった。


「でも、俺に何ができる」


 静かな問いだった。


 あまりにも弱い問いだった。


 フィーは答えられない。


 今のトンヌラへ、


 何かをしろとは言えない。


 立ち上がれとも。


 戦えとも。


 戻ってこいとも言えない。


 それでも。


 このまま静かに終わらせるのは、


 もっと違う。



「ミラは、まだ鳴るって言いました」


 フィーは涙を拭った。


「悔しいって泣いていました。音が半分しか返ってこないって。距離も分からないって。それでも、まだ鳴るって言ったんです」


 トンヌラの目が、


 わずかに動く。


「だから、私は伝えに来ました。治せないものがあります。戻せないものもあります。でも、なくなっていないものまで、終わったことにしたくありません」


 フィーは、


 眠るぽめへ視線を向けた。


 ぽめは動かない。


 呼吸だけを繰り返しながら、


 深い眠りの中にいる。


「消えていないものも、あります」



 トンヌラはゆっくり視線を落とした。


 自分の手を見る。


 普通の手。


 今は、


 何もできない手。


 それから、


 遠くの空を見た。


「……まだ鳴る、か」


 小さな声だった。


 大きな力はない。


 決意とも呼べない。


 それでも、


 完全な空洞ではなかった。


 フィーは、


 ようやく少しだけ息を吸った。



 ここはレイアノーティア。


 届かない声がある。


 動かない心がある。


 それでも、


 誰かが伝えに来る。


 消えていないものを、


 もう一度、呼び戻すために。


 第122話 了

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