表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第12章 欠けた旋律は鳴り止まない

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
121/131

第121話 何度でも

ここはレイアノーティア。


 遅れた一歩は、戻らない。


 あと少し早ければ。


 あの時、そこにいれば。


 手を伸ばせていれば。


 そう願っても、


 過ぎた時間は、命の波の外へ静かに沈んでいく。



 ヴァルミオン領のギルドに併設された診療室。


 薬草の香り。


 白い布。


 窓から差し込む、やわらかな昼の光。


 その静けさの中で、ミラは眠っていた。


 左目には包帯。


 左耳にも、痛々しい処置の跡が残っている。


 右手は、ベッド脇に置かれたギターケースへ伸びかけたまま止まっていた。


 眠っていてもなお、


 そこへ触れようとしているようだった。



 フィーは椅子に腰掛けたまま、動けずにいた。


 両手を膝の上で重ね、


 ただ、ミラの寝顔を見つめ続ける。


(……間に合わなかった)


 胸の奥へ、


 何度も同じ言葉が沈んでいく。



 事故が起きた時、


 フィーは別件の調査依頼で遠方にいた。


 連絡は遅れた。


 戻るまで、数日。


 たった数日。


 けれど、


 命の波にとっては長すぎる時間だった。



 フィーが戻った時には、


 すでに処置は終わっていた。


 出血は止まり、


 命に別状はない。


 それだけが救いだった。


 けれど、


 失われたものも、確かにあった。



「完全な回復は……難しいでしょう」


 医師は静かに告げた。


 冷たい言い方ではない。


 ただ、


 変えられない事実を伝える声だった。


「左目と左耳は、損傷してから時間が経ちすぎています」


 医師はわずかに視線を落とした。


「命は助かっています」


「ですが、機能の回復は……」


 そこで言葉が止まる。


 続きを聞かなくても、


 意味は分かった。



 フィーは、そっとミラの手へ触れた。


 鼓動はある。


 呼吸も穏やかだ。


 命の波は、


 今も確かに流れている。


 ミラは生きている。


 けれど。


 左目の奥。


 左耳の奥。


 そこだけは、もう静かだった。


 乱れているのではない。


 弱っているのでもない。


 機能を支えていた波そのものが、


 すでに失われている。



「……時間が、経ちすぎてる」


 フィーの声が震えた。


 傷ついた身体なら整えられる。


 乱れた命なら調律できる。


 死へ向かう命も、


 終わりきる前なら繋ぎ止められる。


 サトウの時は、そうだった。


 死は、


 まだ完了していなかった。


 だから繋ぎ止められた。


 命を保留することができた。


 けれど、


 すでに失われた機能は違う。


 合わせるべき波が、


 もう、そこには存在しない。



「治せない……」


 声が落ちる。


「命はあるのに」


 フィーの目に涙が滲んだ。


「ここだけ……もう戻らない」


 それは諦めではなかった。


 初めて、


 自分の力が届かない場所を知った声だった。



 遠く離れた、世界調停機構。


 水晶の前には、


 リリカだけが残っていた。


 エヴァンは別の調整へ向かい、


 ノインも記録の整理へ戻っている。


 リリカは、診療室を映す水晶を静かに眺めていた。


 眠るミラ。


 その傍らに置かれたギター。


 失われたものはある。


 それでも、


 まだ離そうとはしていない。



 リリカが小さく呟く。


「消えてないじゃない」


 水晶の片隅で、


 いくつかの数値が揺れた。


【音響残響:微弱】


【感情振動:残存】


【ネームレス残滓:微弱共鳴】


 リリカは微笑んだ。


 けれど、


 その笑みはいつもより少しだけ薄い。


「本当に……しつこい子たちね」



 診療室。


 ミラの瞼が、ゆっくりと動いた。


 右目だけが開く。


 焦点が合うまで、


 少し時間がかかった。


「……泣いてる?」


 かすれた声。


 フィーは首を振ろうとした。


 けれど、


 涙だけが先に落ちた。


「ごめん」


 謝るつもりなど、


 本当はなかった。


 それでも、


 言葉は勝手に口から出た。



 ミラは右目だけで、


 フィーを見つめた。


「なんで?」


「私が……いなかったから」


 フィーの声が震える。


「もっと早く戻れていたら」


「事故の直後に触れられていたら」


「左目も、左耳も……」


 言葉が崩れていく。


「私がもっと強ければ」


「もっと早ければ」


「もっと――」



 ミラは静かに息を吐いた。


「全部、自分で背負わないで」


 フィーの言葉が止まる。


 ミラは少しだけ笑おうとした。


 けれど、


 うまく笑えてはいなかった。


「もし、あの時そこにいても」


「結果は同じだったかもしれない」


 しばらく何も言わなかった。


「でも」


 ミラがゆっくり息を吐く。


「悔しいよ」


 右目に涙が滲んだ。


「音が半分しか返ってこない」


「距離も分からない」


「自分で出した音なのに……知らない場所から聞こえるみたいで」


 指がシーツを握る。


「でもさ」


 ミラはギターケースを見る。


「まだ鳴る」


 フィーは、


 何も言えなかった。


「だから、今は泣く」


 右目から涙を流しながら、


 ミラは静かに笑った。


「泣いてから……また考える」


 フィーは頭を下げたまま、


 ミラの手を握り続けた。



 ここはレイアノーティア。


 治せないものがある。


 戻らないものもある。


 それでも、


 まだ終わったわけではない。


 これまでも、すべてが上手くいったわけではなかった。


 届かなければまた手を伸ばした。


 聞こえなければ。


 何度でも呼んだ。


 音が変わってしまったのなら、変わった音で鳴らせばいい。


 それでも鳴らす何度でも。


 呼び直す。


 第121話 了

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ