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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第12章 欠けた旋律は鳴り止まない

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第119話 届いてほしい人

第119話 届いてほしい人


 ここはレイアノーティア。

 夜は、誰かのために灯る。


 昼のあいだは、みんな平気な顔をしている。

 仕事をして、食べて、笑って、明日の予定を話す。


 でも夜になると。


 何も起きない静けさの奥で、

 自分の胸の中に残っていた不安の音が聞こえてくることがある。


 だから、歌が必要になる夜がある。



 ヴァルミオン領の広場。


 仮設の舞台が組まれていた。


 大きなものではない。


 木材を組み、布を張り、吊り下げた灯りで照らしただけの簡素な舞台。


 それでも、人は集まっていた。


 商人。

 兵士。

 工房の職人。

 小さな子ども。

 疲れた顔の母親。

 酒場の椅子を持ち出してきた老人。


 みんな、ひどく困っているわけではない。


 飢えているわけでもない。

 魔物に追われているわけでもない。

 大きな戦が起きているわけでもない。


 この三ヶ月、世界は平和だった。


 平和すぎるほどに。


 それでも、人々は広場に来ていた。


 何かを待つように。


 何かを思い出したいように。



 舞台裏で、ミラはギターを抱えていた。


 指先で、弦を軽く弾く。


 音は少しだけ硬い。


「……緊張してる?」


 近くの職員が聞いた。


 ミラは笑う。


「してないって言ったら嘘ね」


「珍しいですね」


「珍しくないでしょ。あたし、けっこう繊細だから」


「そうでしたっけ」


「そこは否定しないでよ」


 軽口を返す。


 でも、胸の奥は少しだけ重かった。



 世界は整っている。


 それは、分かる。


 最近の街は、以前よりずっと穏やかだ。


 大きな争いはない。

 魔物の襲撃も少ない。

 人々は、予定通りに働き、予定通りに眠る。


 それは、悪いことではない。


 でも。


 広場に集まった人々の顔には、どこか薄い膜がかかっているように見えた。


 泣くほどではない。

 怒るほどでもない。

 叫ぶほどでもない。


 けれど、何かが足りない。


 そんな顔だった。



(大丈夫)


 ミラは息を吸う。


(今日も、ちゃんと鳴らす)


 そして、ふと丘の上の家を思い出した。


 アンタイトルの外れ。


 古びた空き家。


 縁側に座っている、何もできなくなったと言う男。


 ぽめと一緒に、ただ空を見ている男。


(団長)


 心の中で呼ぶ。


 本人が聞いたら、団長ではないと言うだろう。


 でも、ミラの中ではまだそうだった。


(見てないかな)


 そんなことを思う。


 もちろん、ここにはいない。


 この広場にトンヌラはいない。


 でも。


(届いてほしいな)


 ミラは、ギターの胴をそっと撫でた。


(あんたに)



 舞台へ出る。


 灯りが眩しい。


 広場のざわめきが、少しずつ静まる。


 ミラは笑った。


「こんばんはー!」


 歓声が返る。


 大きすぎない。


 でも、確かに待っていた人たちの声だった。


「今日は、ちゃんと夜を鳴らしに来ました」


 少し笑いが起きる。


 ミラは弦に指を置く。


「眠れない人も」


「明日が怖い人も」


「なんか分からないけど、胸のあたりが重い人も」


 広場が静かになる。


「まあ、座って聴いてって」


 そして、弾いた。



 最初の音は、低かった。


 強く押す音ではない。


 誰かを立たせるために急かす音でもない。


 ただ、夜の底に置くような音。


 広場に、波が広がっていく。


 人々の呼吸が、少しずつ変わる。


 誰かが腕を組む。


 誰かが目を伏せる。


 子どもが母親の袖を握る。


 ミラは歌い出した。



 勝利の歌ではない。


 勇者の歌でもない。


 完全な世界を称える歌でもない。


 足りないものがある人の歌。


 なくしたものを抱えたまま、それでも明日の朝へ向かう人の歌。


 何も起きない夜に、

 何かを忘れそうになっている人の歌。



(不完全だから、音がある)


 ミラはそう思いながら弾く。


 世界が何の問題もなく幸せなら、きっと歌なんて必要ない。


 寂しいから鳴らす。


 足りないから歌う。


 言えないものがあるから、音にする。


 誰かに届いてほしいから、声を出す。


 それが音楽だ。


 少なくとも、ミラにとってはそうだった。



 広場の空気が、少しずつ熱を持つ。


 兵士が目を閉じる。


 老人が静かに頷く。


 泣きそうな顔をしていた子どもが、ほんの少し笑う。


 母親が、その頭を撫でる。


 ミラは、その全部を見ていた。


 届いている。


 たぶん。


 全部ではない。


 誰もが明日から強くなるわけではない。


 問題が消えるわけでもない。


 でも、少しだけ。


 胸の奥に置かれた何かが、震えている。



 ミラは弦を強く鳴らした。


 救世響鳴レゾナンス・オブ・エクソダス


 戦場の時のような爆発ではない。


 魔物の拍を崩すためでもない。


 けれど、確かにその残響がある。


 人々の呼吸が重なる。


 足元にあった不安が、少しだけ形を変える。


 逃げるためではない。


 戦うためでもない。


 ただ、まだ自分で立っていることを思い出すための音。



(団長)


 ミラは歌いながら、空を見る。


 星がひとつ見えた。


(届いてる?)


 届くはずがない。


 距離がある。


 場所も違う。


 トンヌラは、きっと丘の上でぽめと一緒にぼんやりしている。


 でも。


(あんたに、届けばいい)


 何もできないと言うなら。


 何もないと言うなら。


 せめて、音だけでも。


 あの人が自分の中にまだ何かあると思えるように。


 ミラは、さらに強く歌った。



 曲が終わる。


 広場に、静寂が落ちた。


 すぐに拍手は起こらなかった。


 人々は、少しだけ遅れて息をした。


 それから、一人が手を叩く。


 別の一人が続く。


 拍手が広がる。


 歓声が上がる。


 大きな熱が、夜の広場へ戻ってくる。


 ミラは、深く頭を下げた。


「ありがとう」


 声が少し震えた。


 でも、笑えていた。



 舞台の前にいた子どもが叫ぶ。


「明日も歌って!」


 ミラは顔を上げる。


 胸の奥が、少しだけ温かくなる。


「明日もやります!」


 自然に言葉が出た。


「今日みたいに、ちゃんと届けたいから!」


 歓声が上がる。


 夜風が、やわらかく広場を抜けていく。



 舞台裏。


 ミラは汗を拭いた。


 指先は少し熱い。


 弦を撫でる。


 鳴った。


 ちゃんと鳴った。


 誰かに届いた。


 そう思えた。



 世界には、不都合がある。


 思い通りにはいかない。


 欠けることもある。


 傷つくこともある。


 失うこともある。


 でも、だから音が生まれる。


 トンヌラと出会って、それを知った。


 完璧ではないから、歌う。


 欠けているから、響く。


 誰かが足りないと思っているから、そこへ届きたいと思う。



「明日も、歌おう」


 小さく言う。


 今日のように。


 ちゃんと届くように。


 あの人にも。


 届くように。



 遠く。


 世界調停機構の塔。


 水晶の表面に、小さな数値が跳ねた。


【音響干渉:再拡大】

【民衆自律値:上昇】

【感情振動:局所的増幅】

【ネームレス残滓:微弱反応】


 エヴァンはその表示を見ていた。


 無表情だった。


 だが、視線は冷たい。


「……まだ鳴るのか」


 水晶には、舞台裏でギターを抱えるミラの姿が映っている。


 ノインが静かに言う。


「影響範囲は限定的です」


「限定的ではない」


 エヴァンは即座に否定した。


「音は、名を介さず届く」


 水晶の中で、ミラが笑っている。


「ネームレスを失っても、音響干渉は民衆の自律値を押し上げる」


 指先が、わずかに動く。


「危険だ」



 少し離れた場所で、リリカが水晶を覗き込んでいた。


 興味深そうに目を細める。


「綺麗な音ね」


 軽い声。


 だが、笑いきってはいない。


「消すの?」


「削除ではない」


 エヴァンは答える。


「調整する」


 リリカは、水晶の中のミラを見る。


 夜の灯り。


 ギター。


 汗を拭う横顔。


 まだ何も知らない顔。


「残酷ね」


「必要だ」


 エヴァンの声は揺れなかった。


 リリカはしばらく黙り、それから小さく肩をすくめた。


「じゃあ、落とすのは光にしましょうか」


 水晶の奥で、舞台の灯りが小さく揺れた。



 ミラはまだ、それを知らない。


 明日も歌うつもりでいる。


 今日みたいに。


 ちゃんと、届くように。



 ここはレイアノーティア。


 不完全だから、音が生まれる。


 だが。


 整いすぎた世界は、その音を恐れる。



 第119話 了

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