第118話 正解の重さ
ここはレイアノーティア。
正解が増えるほど、迷いは消える。
迷いが消えれば、人は早く動ける。
無駄は減る。
失敗も減る。
誰かが傷つく前に、物事は収まっていく。
それは、正しい。
だが。
正解を与え続ける者は、いつか気づく。
自分が配っているのは、食料だけではないのかもしれないと。
⸻
朝。
メルグラフの広場は、驚くほど整っていた。
瓦礫は片づき、炊き出しの列は乱れず、物資は予定通りに届いている。
以前なら、誰かが声を荒げていた。
食料が足りない。
順番がおかしい。
自分の家を先に直してほしい。
子どもがいるから多めに回してほしい。
そんな声が、あちこちでぶつかっていた。
今は違う。
不満はある。
困っている人もいる。
だが、大きく膨らむ前に、どこかで収まる。
「今日の配給、もう決まりました!」
若い職員が声を張る。
「コムギさんの案です!」
広場に、ぱちぱちと拍手が起きた。
コムギは笑顔で手を振る。
「順番にいきましょう。焦らなくて大丈夫です」
穏やかな声。
正確な指示。
迷いのない手順。
誰もが安心した顔になる。
⸻
「さすがですね」
商会の男が言った。
帳簿を片手に、深く頷く。
「あなたがいれば、街は回る」
街は回る。
その言葉が、コムギの胸に少しだけ引っかかった。
いい言葉だ。
褒められている。
感謝されている。
それなのに、喉の奥に小さな違和感が残る。
「そんな、大げさですよ」
コムギは笑って返した。
笑顔は崩さない。
崩せない。
⸻
「この区域、どうします?」
「避難者の移動、決めてもらえますか?」
「次の収穫配分、判断お願いします」
次々と声が飛ぶ。
誰も悪くない。
みんな真剣だ。
街をよくしたい。
食料を無駄にしたくない。
誰かを飢えさせたくない。
だから、コムギに聞く。
コムギなら分かるから。
コムギなら間違えないから。
コムギなら、正解を出してくれるから。
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コムギは手帳を開く。
人数。
食料。
水。
保存量。
移動距離。
明日の天気。
労働できる人の数。
数字が頭の中で並ぶ。
答えはすぐ出る。
「東区画の避難者は、今は動かさない方がいいです」
「北側の空き家を先に修繕してください」
「収穫分は、三割を保存、四割を炊き出し、残りを市場へ回しましょう」
迷わない。
止まらない。
自分でも驚くほど、答えが早い。
「分かりました!」
「それでいきます」
「やっぱりコムギさんに聞くのが一番だ」
周囲が安心していく。
胸が少しだけ重くなる。
⸻
(私が決める)
いつの間にか、相談ではなくなっている。
誰かが悩みを持ってくる。
コムギが答えを出す。
みんなが頷く。
物事が進む。
街は回る。
それは、正しい。
正しいはずだった。
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昼。
倉庫で打ち合わせが開かれた。
木箱が積まれ、麻袋が並び、乾物の匂いが薄く漂っている。
商人、職員、復興作業員、炊き出し担当。
みんながコムギを見る。
「この案とこの案、どちらがいいでしょう?」
商会の男が二枚の書類を出す。
「あなたなら分かりますよね?」
コムギは書類を見る。
ひとつは効率がいい。
ひとつは公平に見える。
ただし、公平な案は輸送に無駄が出る。
効率のいい案は、遠い区画が少し我慢することになる。
コムギは計算する。
栄養。
日数。
移動の負担。
腐敗のリスク。
配給時間。
答えは、すぐに出た。
「こちらの方が合理的です」
効率のいい案を指す。
「遠い区画には、乾物を少し多めに足してください。調理できる人を二人派遣すれば、不満は抑えられます」
全員が頷いた。
「決まりですね」
「助かります」
「さすがです」
誰も異論を言わない。
誰も、もう一枚の案を見ない。
コムギは、手帳を閉じる手を止めた。
(……異論がない)
以前なら、誰かが言った。
でも、あっちの人たちは納得するのか。
ここの人たちは我慢ばかりしていないか。
量は足りても、気持ちはどうなのか。
そういう声があった。
今はない。
コムギが決めたから。
正しいから。
それで終わる。
⸻
「他に、意見はありますか?」
思わず聞いた。
倉庫の中が静かになる。
皆が顔を見合わせる。
そして一人が笑った。
「いや、コムギさんの案で問題ないでしょう」
「ですね」
「それが一番安心です」
安心。
その言葉が、袋の上に重く落ちた。
⸻
夕方。
広場の端で、子どもが駆け寄ってきた。
「コムギお姉ちゃん!」
「はい?」
「明日のごはんは何?」
「楽しみにしてる!」
無邪気な笑顔。
疑いのない期待。
コムギはしゃがみ、笑う。
「明日は豆と野菜のスープです。あと、少しだけ果物も出せると思います」
「やった!」
子どもは走っていく。
嬉しそうだった。
それは本当に嬉しかった。
でも。
(私は……)
胸が締まる。
期待。
信頼。
依存。
どこからどこまでが、どれなのか分からなくなっていく。
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夜。
倉庫に一人残り、コムギは帳簿を見ていた。
数字は完璧だった。
誤差は少ない。
無駄も少ない。
誰も飢えない。
保存量も適正。
明日の配給まで問題なく回る。
完璧だ。
だからこそ、ページの端に目が止まった。
小さな文字。
自分でも気づかないうちに、書いていた。
『これでいい?』
コムギはその文字を見つめる。
自分で書いた。
自分への問い。
正解を出したはずなのに、問いだけが残っている。
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「コムギさん」
背後から声がした。
振り向くと、若い冒険者が立っていた。
まだ装備は新しい。
剣の柄にも傷が少ない。
緊張した顔で、帽子を握っている。
「どうしました?」
「今度の討伐、参加するか迷ってて」
彼は視線を落とす。
「北の森の小規模討伐です。危険度は高くないって聞きました」
「はい」
「でも、俺、前線に出たことがあまりなくて」
言葉が詰まる。
「あなたなら、どうしますか?」
⸻
コムギは、すぐに答えられる。
彼の体格。
装備。
表情。
緊張の仕方。
手の震え。
過去の記録。
討伐隊の構成。
前線に出すには不安がある。
後方支援なら、役に立てる。
危険も少ない。
合理的だ。
死ぬ確率を下げられる。
「あなたは、前線向きではありません」
口が動いた。
冷静に。
「後方支援の方が適性があります」
若い冒険者は、ほっとしたように笑った。
「やっぱりそうですよね」
「ありがとうございます」
「迷ってたんですけど、助かりました」
頭を下げ、倉庫を出ていく。
その背中を、コムギは見送った。
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胸の奥が、静かに重くなる。
(私は……彼の可能性を削った?)
いや。
合理だ。
正しい。
彼が死ぬ確率を下げた。
無理に前線へ出て、怪我をするかもしれなかった。
後方支援だって立派な仕事だ。
間違っていない。
間違っていないはずだ。
だが。
聞かなかった。
彼がなぜ前線に出たいと思ったのか。
怖いのに、なぜ迷っていたのか。
誰に憧れていたのか。
何を試したかったのか。
何を選びたかったのか。
コムギは、それを聞かなかった。
正解を出した。
早く。
安全に。
優しく。
そして、彼は安心して去っていった。
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(正解を与えすぎていないか?)
帳簿の端の文字が、目に刺さる。
『これでいい?』
コムギは、その文字を指でなぞる。
消えない。
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丘の上。
トンヌラの家。
コムギはまた野菜を持ってきた。
今日は少し多い。
鮮やかな葉物。
小さな根菜。
熟れた果物。
保存肉。
必要以上の量だと、自分でも分かっている。
だが、持ってこずにはいられなかった。
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「団長」
扉を開けて入る。
トンヌラは縁側に座っていた。
ぽめは相変わらず、近くで眠っている。
深く。
静かに。
「団長ではない」
「はいはい」
「雑になってきたな」
「団長が毎回言うからです」
いつものように返す。
けれど、今日はうまく笑えなかった。
⸻
「最近、街が落ち着いてきました」
コムギは野菜を置きながら言う。
「もう大丈夫そうです」
「……そうか」
トンヌラは静かに聞いている。
それだけだった。
以前なら、何か大仰に言ったかもしれない。
だが、今はない。
静かに、受け取るだけ。
⸻
コムギは、手を止めた。
「私、ちゃんと役に立ってますよね?」
唐突だった。
自分でも驚くほど、声が弱い。
トンヌラは、少しだけ顔を上げた。
言葉を探しているようだった。
「……ああ」
短い返事。
「昔からだろ」
コムギの胸が、少しだけ緩む。
安心する。
その自分に、また少しだけ怖くなる。
自分もまた、誰かに正解を求めている。
役に立っていると言ってほしかった。
それを聞いて、安心したかった。
⸻
「昔から、ですか」
「そうだろ」
「そう、ですかね」
「俺は何もしてないからな」
トンヌラはいつものように言う。
「お前らが勝手にやってた」
その言葉は、以前と同じようで、違う。
今は、本当に自分を外に置いているように聞こえる。
コムギは唇を噛む。
「団長」
「なんだ」
「私は、答えを配ってるんでしょうか」
トンヌラは黙る。
コムギは続ける。
「水とか、食べ物とかじゃなくて」
「みんなが迷う前に、正解を渡してる気がするんです」
言葉にすると、怖かった。
「それって、支えてるんでしょうか」
「それとも、選ぶ力を取ってるんでしょうか」
⸻
トンヌラはすぐには答えなかった。
空を見る。
丘の下の街を見る。
それから、ぽつりと言う。
「腹が減ってる奴には、飯がいる」
「はい」
「でも、何を食うか決められる奴には、選ばせてもいいのかもな」
コムギは目を見開いた。
トンヌラは、困ったように頭をかく。
「知らんけど」
「そこで台無しにしないでください」
「本当に知らんからな」
「でも」
コムギは、小さく笑った。
「少し、分かりました」
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ぽめが、わずかに耳を動かす。
だが、目は開かない。
呼吸は深い。
深すぎる。
⸻
夜。
コムギは丘を下りる。
街は整っている。
問題は起きない。
誤差は小さい。
判断は迅速。
正解は早い。
そして誰も、自分で迷わない。
コムギは足を止めた。
胸に手を当てる。
「……明日は、聞いてみよう」
小さく呟く。
何が食べたいか。
どうしたいか。
本当は、どこへ行きたいか。
答えを出す前に。
まず、聞く。
補給は、押し込むことではない。
受け取る人が、生きる方を選べるようにすることだったはずだから。
⸻
ここはレイアノーティア。
正解を与え続ける者は、やがて問いを失う。
だが。
問い直すことは、まだできる。
⸻
第118話 了




