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ゴカイ無双―五つの戒めは、世界を自由にする―  作者: フラグメント水沢
第12章 欠けた旋律は鳴り止まない

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第118話 正解の重さ

 ここはレイアノーティア。

 正解が増えるほど、迷いは消える。


 迷いが消えれば、人は早く動ける。

 無駄は減る。

 失敗も減る。

 誰かが傷つく前に、物事は収まっていく。


 それは、正しい。


 だが。


 正解を与え続ける者は、いつか気づく。


 自分が配っているのは、食料だけではないのかもしれないと。



 朝。


 メルグラフの広場は、驚くほど整っていた。


 瓦礫は片づき、炊き出しの列は乱れず、物資は予定通りに届いている。


 以前なら、誰かが声を荒げていた。


 食料が足りない。

 順番がおかしい。

 自分の家を先に直してほしい。

 子どもがいるから多めに回してほしい。


 そんな声が、あちこちでぶつかっていた。


 今は違う。


 不満はある。


 困っている人もいる。


 だが、大きく膨らむ前に、どこかで収まる。


「今日の配給、もう決まりました!」


 若い職員が声を張る。


「コムギさんの案です!」


 広場に、ぱちぱちと拍手が起きた。


 コムギは笑顔で手を振る。


「順番にいきましょう。焦らなくて大丈夫です」


 穏やかな声。


 正確な指示。


 迷いのない手順。


 誰もが安心した顔になる。



「さすがですね」


 商会の男が言った。


 帳簿を片手に、深く頷く。


「あなたがいれば、街は回る」


 街は回る。


 その言葉が、コムギの胸に少しだけ引っかかった。


 いい言葉だ。


 褒められている。


 感謝されている。


 それなのに、喉の奥に小さな違和感が残る。


「そんな、大げさですよ」


 コムギは笑って返した。


 笑顔は崩さない。


 崩せない。



「この区域、どうします?」


「避難者の移動、決めてもらえますか?」


「次の収穫配分、判断お願いします」


 次々と声が飛ぶ。


 誰も悪くない。


 みんな真剣だ。


 街をよくしたい。

 食料を無駄にしたくない。

 誰かを飢えさせたくない。

 だから、コムギに聞く。


 コムギなら分かるから。


 コムギなら間違えないから。


 コムギなら、正解を出してくれるから。



 コムギは手帳を開く。


 人数。

 食料。

 水。

 保存量。

 移動距離。

 明日の天気。

 労働できる人の数。


 数字が頭の中で並ぶ。


 答えはすぐ出る。


「東区画の避難者は、今は動かさない方がいいです」


「北側の空き家を先に修繕してください」


「収穫分は、三割を保存、四割を炊き出し、残りを市場へ回しましょう」


 迷わない。


 止まらない。


 自分でも驚くほど、答えが早い。


「分かりました!」


「それでいきます」


「やっぱりコムギさんに聞くのが一番だ」


 周囲が安心していく。


 胸が少しだけ重くなる。



(私が決める)


 いつの間にか、相談ではなくなっている。


 誰かが悩みを持ってくる。


 コムギが答えを出す。


 みんなが頷く。


 物事が進む。


 街は回る。


 それは、正しい。


 正しいはずだった。



 昼。


 倉庫で打ち合わせが開かれた。


 木箱が積まれ、麻袋が並び、乾物の匂いが薄く漂っている。


 商人、職員、復興作業員、炊き出し担当。


 みんながコムギを見る。


「この案とこの案、どちらがいいでしょう?」


 商会の男が二枚の書類を出す。


「あなたなら分かりますよね?」


 コムギは書類を見る。


 ひとつは効率がいい。


 ひとつは公平に見える。


 ただし、公平な案は輸送に無駄が出る。


 効率のいい案は、遠い区画が少し我慢することになる。


 コムギは計算する。


 栄養。

 日数。

 移動の負担。

 腐敗のリスク。

 配給時間。


 答えは、すぐに出た。


「こちらの方が合理的です」


 効率のいい案を指す。


「遠い区画には、乾物を少し多めに足してください。調理できる人を二人派遣すれば、不満は抑えられます」


 全員が頷いた。


「決まりですね」


「助かります」


「さすがです」


 誰も異論を言わない。


 誰も、もう一枚の案を見ない。


 コムギは、手帳を閉じる手を止めた。


(……異論がない)


 以前なら、誰かが言った。


 でも、あっちの人たちは納得するのか。

 ここの人たちは我慢ばかりしていないか。

 量は足りても、気持ちはどうなのか。


 そういう声があった。


 今はない。


 コムギが決めたから。


 正しいから。


 それで終わる。



「他に、意見はありますか?」


 思わず聞いた。


 倉庫の中が静かになる。


 皆が顔を見合わせる。


 そして一人が笑った。


「いや、コムギさんの案で問題ないでしょう」


「ですね」


「それが一番安心です」


 安心。


 その言葉が、袋の上に重く落ちた。



 夕方。


 広場の端で、子どもが駆け寄ってきた。


「コムギお姉ちゃん!」


「はい?」


「明日のごはんは何?」


「楽しみにしてる!」


 無邪気な笑顔。


 疑いのない期待。


 コムギはしゃがみ、笑う。


「明日は豆と野菜のスープです。あと、少しだけ果物も出せると思います」


「やった!」


 子どもは走っていく。


 嬉しそうだった。


 それは本当に嬉しかった。


 でも。


(私は……)


 胸が締まる。


 期待。


 信頼。


 依存。


 どこからどこまでが、どれなのか分からなくなっていく。



 夜。


 倉庫に一人残り、コムギは帳簿を見ていた。


 数字は完璧だった。


 誤差は少ない。


 無駄も少ない。


 誰も飢えない。


 保存量も適正。


 明日の配給まで問題なく回る。


 完璧だ。


 だからこそ、ページの端に目が止まった。


 小さな文字。


 自分でも気づかないうちに、書いていた。


『これでいい?』


 コムギはその文字を見つめる。


 自分で書いた。


 自分への問い。


 正解を出したはずなのに、問いだけが残っている。



「コムギさん」


 背後から声がした。


 振り向くと、若い冒険者が立っていた。


 まだ装備は新しい。


 剣の柄にも傷が少ない。


 緊張した顔で、帽子を握っている。


「どうしました?」


「今度の討伐、参加するか迷ってて」


 彼は視線を落とす。


「北の森の小規模討伐です。危険度は高くないって聞きました」


「はい」


「でも、俺、前線に出たことがあまりなくて」


 言葉が詰まる。


「あなたなら、どうしますか?」



 コムギは、すぐに答えられる。


 彼の体格。

 装備。

 表情。

 緊張の仕方。

 手の震え。

 過去の記録。

 討伐隊の構成。


 前線に出すには不安がある。


 後方支援なら、役に立てる。


 危険も少ない。


 合理的だ。


 死ぬ確率を下げられる。


「あなたは、前線向きではありません」


 口が動いた。


 冷静に。


「後方支援の方が適性があります」


 若い冒険者は、ほっとしたように笑った。


「やっぱりそうですよね」


「ありがとうございます」


「迷ってたんですけど、助かりました」


 頭を下げ、倉庫を出ていく。


 その背中を、コムギは見送った。



 胸の奥が、静かに重くなる。


(私は……彼の可能性を削った?)


 いや。


 合理だ。


 正しい。


 彼が死ぬ確率を下げた。


 無理に前線へ出て、怪我をするかもしれなかった。


 後方支援だって立派な仕事だ。


 間違っていない。


 間違っていないはずだ。


 だが。


 聞かなかった。


 彼がなぜ前線に出たいと思ったのか。


 怖いのに、なぜ迷っていたのか。


 誰に憧れていたのか。


 何を試したかったのか。


 何を選びたかったのか。


 コムギは、それを聞かなかった。


 正解を出した。


 早く。


 安全に。


 優しく。


 そして、彼は安心して去っていった。



(正解を与えすぎていないか?)


 帳簿の端の文字が、目に刺さる。


『これでいい?』


 コムギは、その文字を指でなぞる。


 消えない。



 丘の上。


 トンヌラの家。


 コムギはまた野菜を持ってきた。


 今日は少し多い。


 鮮やかな葉物。


 小さな根菜。


 熟れた果物。


 保存肉。


 必要以上の量だと、自分でも分かっている。


 だが、持ってこずにはいられなかった。



「団長」


 扉を開けて入る。


 トンヌラは縁側に座っていた。


 ぽめは相変わらず、近くで眠っている。


 深く。


 静かに。


「団長ではない」


「はいはい」


「雑になってきたな」


「団長が毎回言うからです」


 いつものように返す。


 けれど、今日はうまく笑えなかった。



「最近、街が落ち着いてきました」


 コムギは野菜を置きながら言う。


「もう大丈夫そうです」


「……そうか」


 トンヌラは静かに聞いている。


 それだけだった。


 以前なら、何か大仰に言ったかもしれない。


 だが、今はない。


 静かに、受け取るだけ。



 コムギは、手を止めた。


「私、ちゃんと役に立ってますよね?」


 唐突だった。


 自分でも驚くほど、声が弱い。


 トンヌラは、少しだけ顔を上げた。


 言葉を探しているようだった。


「……ああ」


 短い返事。


「昔からだろ」


 コムギの胸が、少しだけ緩む。


 安心する。


 その自分に、また少しだけ怖くなる。


 自分もまた、誰かに正解を求めている。


 役に立っていると言ってほしかった。


 それを聞いて、安心したかった。



「昔から、ですか」


「そうだろ」


「そう、ですかね」


「俺は何もしてないからな」


 トンヌラはいつものように言う。


「お前らが勝手にやってた」


 その言葉は、以前と同じようで、違う。


 今は、本当に自分を外に置いているように聞こえる。


 コムギは唇を噛む。


「団長」


「なんだ」


「私は、答えを配ってるんでしょうか」


 トンヌラは黙る。


 コムギは続ける。


「水とか、食べ物とかじゃなくて」


「みんなが迷う前に、正解を渡してる気がするんです」


 言葉にすると、怖かった。


「それって、支えてるんでしょうか」


「それとも、選ぶ力を取ってるんでしょうか」



 トンヌラはすぐには答えなかった。


 空を見る。


 丘の下の街を見る。


 それから、ぽつりと言う。


「腹が減ってる奴には、飯がいる」


「はい」


「でも、何を食うか決められる奴には、選ばせてもいいのかもな」


 コムギは目を見開いた。


 トンヌラは、困ったように頭をかく。


「知らんけど」


「そこで台無しにしないでください」


「本当に知らんからな」


「でも」


 コムギは、小さく笑った。


「少し、分かりました」



 ぽめが、わずかに耳を動かす。


 だが、目は開かない。


 呼吸は深い。


 深すぎる。



 夜。


 コムギは丘を下りる。


 街は整っている。


 問題は起きない。


 誤差は小さい。


 判断は迅速。


 正解は早い。


 そして誰も、自分で迷わない。


 コムギは足を止めた。


 胸に手を当てる。


「……明日は、聞いてみよう」


 小さく呟く。


 何が食べたいか。


 どうしたいか。


 本当は、どこへ行きたいか。


 答えを出す前に。


 まず、聞く。


 補給は、押し込むことではない。


 受け取る人が、生きる方を選べるようにすることだったはずだから。



 ここはレイアノーティア。


 正解を与え続ける者は、やがて問いを失う。


 だが。


 問い直すことは、まだできる。



 第118話 了

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